姉弟
「酷いよ姉さん!」
姉の家を訪ねるなり、弟は叫んだ。
「あははっ。いいじゃない。男が魔女になるなんて前代未聞だよ? いやー、でも本当に気付かれずに洗礼まで……。やっぱりアルマには才能があるんだねぇ。さすが我が弟!」
快活に語る姉の名は、リアム。
リアム・ミルローグ。
「男に魔女の才能があっても全っ然、嬉しくないんだけど!」
「私より可愛いくせに何を言うかっ。このぉ――」
今し方まで読み耽っていた小説本を振り上げて、角で小突こうとする。
「ちょっ、よくない! 魔女が物理攻撃はよくない! それにそれ、大切なんじゃなかったの!?」
夏は小さな木組みの小屋にあるウッドデッキで、冬は暖炉の前で、リアムは空想の物語に浸る時間をこよなく愛している。
――はずなのだが、
「なに言ってるの。武器になるものは全部武器よ。本が武器にならないなんて考えは大間違いなんだからね!?」
「なんで僕が怒られてるの!?」
「可愛いからだよ!」
「理不尽だ!?」
「弟の方が可愛いとか、私のほうが理不尽を嘆きたいよ! このぉ――」
アルマ・ミルローグは、見た目も声も――まだ声変わりしていないからだが――完全に女の子だ。それも、とんでもなく可愛い。全裸にしなければ男だと解らないだろう。
姉は弟を掴まえ、全身を擽り倒した。
やめてぇ――と言って降参した弟の姿に満足して、ようやく解放。何かをやり遂げたように得意げな顔になると、次いで、軽く偉ぶって語る。
「――と言っても、魔女に選ばれる人間は全て容姿に優れているからね。そういう意味では私だって、一定の評価を得ているわけで」
「魅惑の魔女とか呼ばれてるのに、まだ不満なの?」
弟の目から見ても姉は可憐で美しい。加えてどこか儚げでもあり、魅惑の魔女と呼ばれることにも合点がいく。
「それに、姉さんを世界で一番可愛いって言ってくれる人もできたわけだし」
こう言えば姉は毎回、顔を真っ赤にして上機嫌になる。
「そういう言い方されると、めちゃくちゃ恥ずかしい……っ! はっ、反撃か!? さっきの反撃なのか!? ――さすがは我が弟、やるわねっ」
アルマは幸せな姉の姿を見ることが楽しみだった。
だから姉に恋人ができたという話を最初に聞いた時は、飛び上がるように喜んで、余計に姉を気恥ずかしくさせたりもした。同時にリアムは、弟はきっと私が誰かと一緒になることに嫉妬する――と思っていたから、あっさり受け入れられて本気で喜んでくれることをとても微笑ましく感じている。
「――で、魔女になったアルマ君は、これからどうするの?」
「知らないよ。元々は姉さんのイタズラで始まったわけだし」
「そうだっけ?」
魔女になる人間は魔女教会によって選ばれる。魔女教会という組織がどういう人間で構成されているかを知る人間は――魔女であっても――少なく、リアムも例外ではない。
十二歳になった少女の中から希望者を募って、才覚のある人間を魔女教会が選び抜き、洗礼を受けさせることで少女が魔女に変わる。
それは洗礼という名の契約であり、契約は魔法の効力により永遠に保持される。
魔法契約とも呼ばれるこの行為は神国レルヴァの中では広く人利されていて、一般人であっても魔女を代理人に置けば締結することができることから、国家に蛮族が忠誠を誓い親衛隊となる際にも使用される。
ただ、魔女教会の選定は外見が重視されているとも言われており、それは魔女の威厳を保つためだとか、少女の囲い込みだとか、色々と噂はある。
しかし単に外見で選んでいるならば才覚を無視していることになり、『魔女教会の選ぶ人間が洗礼を受けることができなかった』という事例が、少なくともリアムの知る限りでは一つも存在しないことと矛盾する。
実は全ての人間に魔法の才覚があるのだけれど、それを周知してしまっては現在の非凡で人並み外れた、怪奇とも呼べる、格別に畏怖される魔女が、その地位を失うこととなってしまう。だから本当は誰を選んでも魔女にできるのだけれど、魔女教会はそれをひた隠しにしている。
選んだ魔女にさえ、伝えていない。
現に、洗礼の記憶は失われるのだから。
――そんな小説染みたこと。
いや、でも魔女教会はアルマを男だと見破れなかった。弟は、女性でなければ魔法を扱えないという話――もしくは定説――が嘘か誤りだという証明を果たしてしまった。
「私の妄想力も捨てたものじゃなさそうだねえ。ただの仮説でしかなかったのに」
「その検証にボクを使わないでくれないかな」
魔女教会が選抜すれば、例外なく、必ず魔女になれる。この完全な眼力そのものがすでに魔法だと語る人間もいた。
ならば、裸にされない限り誰が見ても女の子のアルマを候補者の中に混ぜたら、どうなるのか。
本当に外見だけで選ばれるならば、アルマは高確率で洗礼を受けることとなる。
――だって可愛いから。
「自分から進んで魔女候補に名乗り出たんじゃなかったっけ?」
「男が魔女教会に選ばれたら『伝説の魔術師』になれる――って姉さんが言い出さなければ、名乗り出ることはなかったよ!」
歴史の中に唯一存在する、男性の魔術師。この国の最も古い伝説に登場するだけでほとんど空想上の人物という扱いだが、一部の農村地域では彼こそが魔女教会の創始者であるいう話も受け継がれている。
もし自分が魔術師になれるのなら、姉と同じように魔術を学び、使い、助け合いながら生きていけるかもしれない。それは理想的な未来だ。
アルマにとってリアムは憧れの存在である。美しく聡明で、努力家で、人当たりもいい。
――少し性格に難があるような気はするけれど。
そんな姉が魔女に選抜されたのは、当然のように思えた。
だから魔女教会のお眼鏡にさえ適えば男でも魔術を扱えるようになる――という話を聞いて、そうすれば姉という偉大な存在に近付ける、と、アルマは喜んで手を上げてしまったのだ。
リアムは僅かも悪びれることなく言う。
「全く、酷い嘘だよね。洗礼を受けた後に魔女教会の人が言ってたのよ。魔法は選ばれた『女の子だけ』に与えられる特別な能力です――って。そのプライドを胸に、立派な魔女になってください――だって」
「ボクも聞いたよ。で、確認したんだ。男は魔術を使えるようになれないんですか? って。なれないって即答されたよ!」
「そもそもの嘘吐きは魔女教会でしょ。私はちょっとイタズ……実験してみただけ。――――ふふっ。……ああ、でも、その場に居合わせたかったなあ。多分、私、堪えきれなくて大爆笑してただろうなあ」
普段の言動からしてその様子が簡単に想像できてしまうから、やはり性格には難があるな、とアルマは改めて思い知る。
黙っていれば、物静かで小説が好きな、美しい女性なのに。
「さてアルマくん。君はこれから、どうするのかな?」
「どうするって言われても……。洗礼は受けてしまったし。とりあえず十八歳になるまでは、先輩魔女の弟子になって修行しなさい。だってさ」
全ての魔女は十二歳から十八歳の誕生日まで、先輩魔女に師事しなければならない。これは神国と呼ばれるレルヴァでは常識となっている。指示している間は一人前の魔女とは認められず、謂わば見習い魔女という扱いを受けることとなる。無論、一般人には手の届かない異能の力に触れられるものとして、ある程度の尊敬と畏怖も持たれるわけだが。人間的にまだ未熟、という扱いだ。
「あの……。姉さんは弟子を持たないの?」
少し言い辛そうにアルマは訊ねた。
「もしかして、私に弟子入りしたいの?」
「まあ、姉弟だし。そうすれば町を離れなくて済むから」
十八歳になって独り立ちすれば、同時に弟子も取れる。
とは言え、その年頃ですぐに弟子を取る魔女は希少だ。
十二歳からの多感な頃を師の元という抑圧された環境下で過ごすのだから、ようやく解放されて数年は独りで自由に過ごしたいと考えるのが普通だろう。
恋愛もしたいし、ゆくゆくは結婚も考えられる。魔女にとっての十八歳とは、弟子を取ることができると同時に結婚と恋愛が解禁される歳でもある。
そして子供を産んで……と将来を考えれば、六年もの間を弟子と共に過ごすことは勇気のいる決断となる。そもそも恋愛も結婚もする気がないだとか、六年育てても二十四歳だから結婚にはまだまだ余裕があるし恋愛は弟子がいてもできる、だとか。割り切りが必要となる。
「……そうだねえ」
リアムの相槌は、どこか虚しいものだった。
「だめ……かな?」
まだ十二歳のアルマが、家族と一緒にいることを望むのは当然だろう。放っておけばランダムに――全く知らない魔女と――組み合わされることとなる。それは十八歳の若く魅力的な魔女かもしれないし、八十歳の老婆かもしれない。リアムが師事した先輩魔女は年齢を六十歳以上と語っていた。子育てを終えてから三人目の弟子がリアムだったそうだ。
しかしアルマは男――。この事実が下手に公になると、世情がどう反応するかわからない。いや、虚言を吐いていた魔女教会だって信頼して良いものか。
「そっかぁ――。じゃあ、ちょっと考えてみるかなあ。私にも責任はあるし、下手に他の魔女に任せて男だってバレたら厄介だもんねえ」
姉の言葉にアルマは何度も頷いた。
そうだ。せめてしばらくは責任を取ってくれ――という意味を込めて。
しかし潤みがちな目は強く輝き、姉さんさえいれば怖いことなんてない、と訴えているようにも見える。
「…………あ、でも、他の魔女にも必ず挨拶に回るんだよ。あと町の人には――お父さんやお母さんも含めて、誰が相手でも、魔女になったと悟られないこと。わかった?」
言われるとアルマは、実の姉でさえ心臓が止まりそうになるほどの笑顔で応えた。