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処女懐胎 なりそこない魔女の悪あがき  作者: 本山葵
斧と鉄塊に、狼と巨犬
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白毛の巨犬《バクスター》

 前列の傭兵は闘志を亡くし、後列の正規軍は混乱の渦中にある。

 士官は冷静に努め、事態を確認し、残る正規軍に狼の群れを突破するよう号令をかけようとした。勝敗を賭した戦いは既に終わった。残るは命を賭して逃げるのみ――。

 しかし震えた顎はガチガチと上下の歯をぶつけ合い、喉は固まり、声が鳴らない。


 これは本当に戦場か。

 他の街は簡単に陥落したぞ。

 レルヴァの民、神国なんて所詮、祭り上げられた空想の産物。


 ――そのはず、だった。


 まだ狼は一匹たりも動いていない。

 よく見ると獣使いの少女は隣の巨犬に体を預け、白い毛並みを愛おしそうに撫でている。落ち着きを通り越したその態度は、軍勢を相手にした所作ではない。


「馬鹿にしやがって……ッ」


 ようやく言葉が声になった瞬間、士官は真後ろから頭を割られた。


    ◇


「バクスター、行っていいよ。よく我慢できたね」


 甘く愛でる声で獣使いの少女が言うと、白毛の巨犬(バクスター)は地を這う音でがなり、咆えた。

 瞬間、一斉に狼の群れが襲いかかる。


 駒のように使うはずだった前列の傭兵はほとんど壊滅。

 士官を失って指揮系統を喪失。

 盾に使うはずだった女は全て森へ逃げてしまった。


 ――ここはもう、戦場じゃない。


 一人の正規兵が辺りを見回して、腰を抜かし、死を覚悟する。


 ――ただの、餌場だ。


 潰れた人肉を年老いた狼が喰い、血を啜る。

 動きの良い若い狼は生きた人間を数匹で囲い込んで仕留めると、死など待たずにそのまま四肢を外して貪り、肉の欠片も残さずにベッと骨だけを吐き出す。

 後ろで見守るようにしていた子供狼は死んだ胴体に齧り付き、内臓も生殖器も全て食い尽くしてしまう。残る頭は肉が少なく骨が多いからか、後ろ足で蹴り飛ばした。


 地獄絵図を顕現させた景色を見て気を失いかけたところに、獣使いの少女と巨犬が現れる。少女は敵意を向けず、少し困った表情を見せた。


 一瞬、自分だけは助かる、と思った。


「ごめんなさい。バクスターだけ食事抜きってわけには、いかないの」


 申し訳なさそうに少女が告げると、白毛の巨犬(バクスター)は正規兵の男に噛み付き、絶命の叫びを聞きながらようやく食事に有り付く。


 血みどろの戦場が静かになって、まともに生のある人間がもういないことを確認すると、獣使いの少女は狂戦士(ベルセルク)と呼ばれた少年に駆け寄り、大丈夫か、血ぐらい拭きなさい、などと少しの会話を交わした。


 二人は森へ逃がした女達へ悠然と歩み寄る。


「あの、大丈夫ですか?」


 こんな凄惨な場面を目にして、大丈夫も何もあったものではない。それは理解しているが、最初に駆けるべき声が他になかった。

 ここまで逃げてこられただけでも上出来――。


「治療の必要な方は、いらっしゃいませんか?」


 少し言い方を変えてみた。

 すると獣使いの少女よりも下の歳に見える幼い少女が、着せられたぼろ布から覗く腕を差し出した。


 ――酷い裂傷。


 いつ負った傷なのか。

 血が止まっていないから、それほど時間は経っていないだろう。

 放っておけば傷口が化膿し、壊死を起こす可能性もある。

 幼い少女が深手を負って表情一つ変えずにいられたことに、獣使いの少女は驚いた。


「安心してください。私は獣使いですが、簡単な治癒術(キュア)ぐらいなら扱えます」


 自己紹介のように言って、獣使いの少女は裂けた傷口に両手を翳す。


「聖なる癒しの森よ、母なるレルヴァの大地よ、その御手(みて)で傷付く者を救い給え――」


 簡単な治癒術(キュア)と少女は言ったが、その力は異能に他ならない。


「……しばらく、安静にしていてください。人間の治癒能力で塞がれたわけではありません。治ったと勘違いして無理をすると精霊が呆れてしまい、また傷が開いてしまいますから」


 癒やされた少女は不思議そうに問う。


「……精霊?」

「はい。レルヴァの精霊は凄いんです」


 自慢げに獣使いの少女が言うと、そうですか、と単調に答え、俯いた。


 ――凄いと言っても、守れないものだらけです。


 彼女は捕虜となり、きっと惨い仕打ちを受けた。もしくは惨い仕打ちを受けるところを見せ付けられた。

 心を恐怖で支配するために。


 ――それを防ぐこともできずにレルヴァの精霊は凄いなんて言ったところで、説得力の欠片もないよね。せめて心を癒やす精霊術があれば、少しは償えたのだけれど。


「他に負傷者がいるなら、名乗り出ろ」


 この人はまた――。

 獣使いの少女は横目で狂戦士(ベルセルク)と呼ばれた少年を見遣り、嘆息する。

 可愛い顔に仏頂面を貼りつけて、上から見下すような態度で不躾な物言いをする。

 蛮族出の親衛隊(ヴァリヤーグ)でも、女性が相手となれば、もう少しぐらい気を遣うでしょうに。

 呆れた獣使いの少女に、食事を終えた白毛の巨犬(バクスター)が添うように寄る。


 ――犬のほうがずっと紳士的って、どうなの。


 再び自重を白毛の巨犬(バクスター)に預けようとしたが、白毛の巨犬(バクスター)はそれを無視して動き始めてしまう。


「どうしたの」


 白毛の巨犬(バクスター)は女達の匂いを一人一人嗅ぎ、全て嗅ぎ終えると途中に戻って、茶色い乱れ髪の女の正面に立った。


「な……なに?」


 女は脅えた様子で、巨犬の鼻を見上げる。

 すると後ろから獣遣いの少女が出てきて、苦笑しながら言った。


「すみません。この子、レルヴァの民と他国の民を、嗅ぎ分けられちゃうんです」

「……え、それ……」


 女性が口を動かすと、狂戦士(ベルセルク)と呼ばれた少年は珍しく気を利かせたのか、他の女達に後ろを向くよう指示する。


「それじゃ、バクスター。おかわり(・・・・)だよ」


 温厚な笑顔で放たれた言葉でバクスターは女の頭を喰い、首を千切った。血の咽せる臭いに包まれながら、骨ごと女を喰い尽くす。

 後ろを向いていても一瞬聞こえた悲鳴と飛んできた血飛沫に女達は震え、泣き出す者もいたが、ただ一人、簡単な治癒術(キユア)を施された幼い少女だけがその情景をジッと見詰めていた。

 まるで感情を亡くしたかのように。

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