甘い果実(三十と一夜の短篇第43回)
ぐじゅり、フォークがやわらかな果肉にささる。
白みはじめた空の明かりに輪郭をぼやけさせた果肉は、うっすらと輝いて見えた。
「たとえばさ」
言いながら、貴女が引き上げたフォークの先には、濃い色をしたまるい黄桃。
黄色を通り越して橙色にさえ見えるそれが缶詰のふちからゆっくりと出てくるようすが、ぼくには水平線からのぼる太陽に見えた。
「たとえばなんだけどね」
言いながら、貴女がくちを開く。髪の毛を耳にかけながら、すこしかしげたあごの細さにぼくは思わずのどをならした。
それは、貴女にも聞こえたのだろう。かじる寸前だった黄桃を宙にとどめた貴女の視線が、ぼくに向けられる。
「ほしいの? 言えばいいのに。見てるだけじゃ、わからないよ」
「……うん、ちょうだい」
桃が欲しかったわけではないのだけれど、貴女のほほえみを否定したくなくて、ぼくはテーブルに付けていた顔をあげた。
「はい、あーん」
「ん」
貴女がかじるはずだった黄桃がぼくのくちびるに触れる。こぼれ落ちてくる甘ったるいシロップを舐めとった舌に触れるのは、やわらかくて、つるりとした冷ややかさ。ついで甘みを感じながら、やわい肉をかじりとる。
ぐじゅ、ずる、ぴちゅ。
水音を立てる果肉を味わうぼくのまえで、貴女は手首を返して黄桃にくちづけた。
ぼくの歯がかじりとった痕ののこる肉が、貴女のやわらかそうなくちびるに触れる。食まれ、汁をこぼしながら貴女のなかへと入っていく。果肉よりもやわく、熱い粘膜の奥へ、奥へ入っていく。
「それでね、質問なんだけど」
「ん、うん」
貴女のくちもとに見入っていたぼくは、返事をするのがすこし遅くなってしまった。
けれど貴女は気にした風もなく、くちびるについたとろりと甘い汁をぺろりと舐める。
「男女の友情って、成り立つかな。たとえば、あたしとあなたが親友になるっていうのは、ありかな」
甘い呼気を香らせながら貴女が言うものだから、ぼくはつい笑ってしまった。
「ぼくと、きみが?」
「うん」
こくりとうなずいた貴女は、また黄桃をひとくちかじる。
したたる蜜が赤いくちびるのふくらみの形をなぞるようにつたう。熱い吐息をからませた赤い舌が、それを迎えに這うさまをつい目で追ってしまうぼくと貴女が親友になる、だなんて。
「ふっ、ふふはっ」
「ちょっと、みんなが起きちゃう!」
思わず笑ってしまったぼくに、貴女はあわてる。
けれど、まわりで好き勝手に寝ている連中なんてどうでも良かった。たまたま同じサークルに入っただけのひとたちだ。このなかの幾人が、ぼくの未来に関わってくるだろうか。いや、きっと卒業と同時に疎遠になるだろう。
だけど、貴女はちがう。
声はおさえたけれど、口角があがったままなのを自覚しながらぼくは告げる。
「無理だよ」
「え?」
ぼくは、きみに欲を抱いた。
驚いた顔のうすく開いた唇がどんなに蠱惑的に映るか、きみは知らないだろう。
「無理だよ。ぼくはもう、きみを友だちとしては見られない」
ゆるり、と明るくなった空が貴女の首すじ照らし出す。輝くようなやわい肌。ぼくはそこに触れたくてたまらない。
「ぼくは、きみを抱きたいんだ」
抑えきれずにそう告げたとき。
夜を引き裂く光が射した。まぶしい白さに焼かれたひとみが視界を取り戻したとき、ぼくの目に映るきみは、どんな顔をしているだろう。