第九章 再会9-3
「帰りますよ」
ソーリドに言われて、アリシヤは小さく頷く。
イリオスは捕らえられた。
彼は呆然と項垂れながら村を見渡していた。
イリオスはどのような報いを受けることになるのだろうか。
アリシヤはデイリアとの約束を思い出す。
『イリオスを頼む』
アリシヤは俯いた。
何もできなかった。己はあまりにも無力だ。
荒れ果てた村をアリシヤは見つめる。
忘れない。忘れてはならない。このことを。
目を凝らす。そして気づく。
エーヌの民の兵。転がった死体。
その死体からは、エーヌの象徴ともいえる面が外れていた。
優しい顔をした女性だった。
アリシヤは己の手を見つめた。
切り捨てた。切り殺した。
それは、赤い面の化物だとどこかで思っていた。
違う。人間だ。
エーヌの民も人間なのだ。
きっと誰かの大切な人だったのだ。
アリシヤは天を仰いだ。
自分も同じだ。
自分を迫害し、デイリアを悪魔といった彼らと同じだ。
自分の脅威となるものを化物と認識していたのだ。
アリシヤの頬に雫が落ちた。
「雨ですね」
ソーリドが言った。
ぽつりと落ちた雨は瞬く間に激しさを増す。
帰路につくアリシヤをはじめとする兵たち。
無言の行軍が続く。
アリシヤは己の胸に問う。
これから自分が戦うのは人間だ。誰かの大切な人だ。自分にそれを奪う覚悟はあるか?
アリシヤは雨に霞んだ前方を睨む。
奪わせない。これ以上は奪わせない。そのためなら―
隣を歩くソーリドが不意に後ろを振り返った。
「なんだ…?」
アリシヤもつられて後ろを振り返る。
何かがこちらに近づいてきている。
黒いマントに、赤い面。
「エーヌの民だ」
ソーリドが呟き、兵に指示を出す。
「単騎だ。殺さずに捕らえろ」
だが、その指示が間違いだったとすぐに気づく。
たった一人で、兵に向かってきたその人物は、鮮やかな手つきで兵たちを切り伏せていく。
美しいその剣捌き。
アリシヤは体を固くする。
見たことがあるその身のこなし。
「英雄様!お下がりください!」
ソーリドが声を荒げた。
アリシヤは後ろに下がりながらも、剣を構える。
気付けばその場に立っているのは、ソーリドとアリシヤ、それから一人の赤い面だけになっていた。
ソーリドはその人物に素早く突きを入れる。
だが、その人物はそれをものともせずにかわし、ソーリドの腕を狙う。
ソーリドはそれを払う。
「っ!」
後ろに引いたソーリド。
雨だ。足場が悪く小さく体勢を崩した。
それを赤の面は見逃さなかった。
アリシヤはソーリドを守るように剣を放った。
だが、届かなかった。
ソーリドはあえなく打倒された。
アリシヤだけが残る。近づいてくる。
アリシヤに、一歩、また一歩。アリシヤは剣を構えようとした。
だが、できなかった。赤い面をかぶったその人物は言った。
「アリシヤ」
静かなその声。何度も聞いた。そしてもう聞くことは二度とないと思った。
「なんで…どうして―」
アリシヤの手から剣が落ちる。
後ろから誰かが駆けてくる。
それに気づきながらもアリシヤは彼女の面に手を伸ばした。
彼女は言った。
「アリシヤ。愛している」
アリシヤの頬に涙が伝う。
雨に洗い流される。だけど、それでも溢れてくる。
この瞬間を何度望んだだろう。
二度と叶うことのないこの再会を。
だが、次の瞬間、強く後ろに引っ張られる。
彼女の面が外れた。
「っ!?」
思わず後ろを振り返る。
タリス、そして、目を見張ったリベルタがいた。
タリスが叫ぶ。
「何者だ!?」
彼女は答えなかった。面を外した彼女。
黒く長い髪を一つに絞る女性。
中性的で端正な顔に鋭く光る黄金の瞳。
タリスの問いに答えたのは彼女ではなかった。
「ルーチェ」
アリシヤが呟いた。
それと同時にリベルタは言った。
「スクード」
ルーチェは顔色一つ変えずに一歩踏み出した。
素早くタリスの剣を払い、アリシヤの前に回り込む。
「アリシヤ、逃げるぞ」
聞きなれたルーチェの言葉にアリシヤは戸惑う。
が、ルーチェに向かって斬撃が飛ぶ。
ルーチェがアリシヤを突き飛ばした。
リベルタが重い剣がルーチェに飛ぶ。
「スクード、お前…エーヌに堕ちたのか」
いつもは聞かないリベルタの低い声。
ルーチェは答えない。アリシヤは混乱する。
「スクード…?ルーチェがあの勇者の盾の…?」
「どうやらそうみたいだな」
リベルタが答えた。
アリシヤは絶句した。
「まさか女だったとは知らなかったよ」
「クズ野郎が」
ルーチェが、低く唸り剣を振り下げる。
リベルタとルーチェの剣劇。雨の中二人の剣が舞う。
それは見惚れるほど美しかった。
アリシヤはそれをただ見やるしかなかった。
手出しなんかできなかった。
それはタリスも同じだったのだろう。
だが、その剣舞にも終わりが来る。
スクードの流れるような剣をリベルタが避けた。
そして、スクードの腹を剣の柄で思い切り突き上げた。
「ルーチェ!!」
アリシヤは思わず声を上げる。
そこは、ルーチェがエーヌの民に切られ致命傷を負った場所だ。
アリシヤは気づく。
エーヌの民はルーチェを殺そうとしたはずだ。
なのに、どうして、ルーチェはエーヌの民にいる?
そして、かつての疑問を思い出す。
ルーチェを切った男。彼は面をしていなかった。
じゃあ、あれは何者だ?
ルーチェは血を吐いて地面に伏した。
アリシヤははっと我に返る。
リベルタがゆっくりと彼女に足を向ける。
「勇者様!やめ―」
アリシヤは叫んだ。
だが、リベルタは予想に反して、倒れたルーチェを抱きかかえる。
「気を失ってるだけだ。大丈夫」
リベルタはそう言うと、顔を上げアリシヤに微笑んだ。
「間に合ってよかった」
アリシヤはハッとする。二人は確かチッタに行ったはずだ。
「どうしてここに?」
「なんか不味い予感がするって、勇者様が言ったから戻ってきたんだ。勇者様の勘は本当によく当たるから」
剣を拾いながらタリスは答える。
リベルタはルーチェを抱きながら立ち上がり、アリシヤに問う。
「なあ、アリシヤさん。こいつが、スクードが、アリシヤさんの育て親なのか?」
アリシヤは強く頷く。
「そうです。彼女がルーチェです」
アリシヤは答える。
リベルタは一瞬何かを思案した後言った。
「分かった。じゃあ、スクードは俺が管轄する」
「え」
「国には手出しさせない。このままじゃ、エーヌの民として処分されるから」
アリシヤはぞっとした。
そして気づいた。
ルーチェはエーヌの民として何人も人を殺しているのだ。
「大丈夫だ。アリシヤさん」
リベルタがいつものように明るい笑顔を見せる。
「スクードは俺の相棒だ。理由なくエーヌに下るとは思わない。俺が何とかする。アリシヤさんにとっても大事な人みたいだからさ」
力強い言葉にアリシヤは目に涙をためる。
「お願いします。勇者様」
そののち、増援の兵たちによって倒れた兵たちは回収された。
記録師であるイリオスは、エーヌの民に利用されていたという体で、保護という形になった。
そして、アリシヤは英雄となった。
デイリアという悪魔を殺し、エルバの村で多くのエーヌの民を屠った誇り高き剣士として―。
「アリシヤちゃん」
ある日の城からの帰り道、タリスに呼びかけられアリシヤは振り返る。
「どうしました?」
「大丈夫?」
タリスのまっすぐな緑の目に見詰められ、アリシヤは一瞬揺らいだ。
だが、首を横に振る。
「大丈夫です。私は、進みます」
アリシヤは強く答えた。
今まで殺した人の数だけ、救えなかった人の数だけ、それを背負って。
英雄という呼び名を与えられたのだ。
逃げない。この宿命から。
アリシヤは強く地面を踏みしめ、帰路についた。
閲覧いただきありがとうございました。スクードの正体が明らかになった今、物語もそろそろ終焉に向かい始めています。今まで読んでいただきありがとうございました。あと、もう少しお付き合いください。次回から第十章です。




