第八章 家族8-7
名無しの街に入る。
昼間だからだろう。この前のような恐ろしさはない。
それでも、視線は感じる。
あたりを注意深く見渡しながら、アリシヤは目的の地へ向かう。
狭い路地をくぐり、薄暗い階段を駆け上り、また下がって、ついに目的の廃墟のようなラナ爺の家にたどり着く。
白いもこもことした塊のラナ爺。その前に人がいる。
どうやら先客のようだ。
アリシヤは、壁を背に、そちらをうかがう。
「―!」
アリシヤは口を押さえる。
思わず漏れそうになった声を喉元で止めた。
ラナ爺の前にいる先客。あれはどう見てもセレーノだ。
セレーノの明るい声が聞こえる。
「いやあ、ラナ爺助かった!おかげでタリスも諦めてくれそうだよ」
「なぁに、セレーノちゃんの頼みならお安い御用じゃよ」
ラナ爺の声がにやけている。
孫の相手をする祖父のようだ。
だが、ラナ爺がふっと声を落とす。
「だけど、いいのかい?セレーノちゃん」
「いいの。私が一番大事なのは家族。タリスとアリシヤちゃんだから」
なんだか妙に引っかかる。
アリシヤは高鳴る心臓を抑える。
タリスが諦める。それはきっと婚約の話。
アリシヤは勇気を出して壁から飛び出る。
「あ、アリシヤちゃん!?」
セレーノがものの見事に驚いている。
「セレーノさん。婚約のお話、何か隠していますね」
「そ、そんなことはないよ」
セレーノの目が泳ぐ。
これは絶対隠している。
タリスと同じく、セレーノも嘘をつくのが苦手なのかもしれない。
「セレーノさん。ぜひ、お話願います」
アリシヤはセレーノをじっと見つめる。
逃げることもできずにおろおろとしているセレーノ。
だが、一つ深呼吸すると首を横に振る。
「駄目、話せない」
緑の瞳がアリシヤを見据える。
「私のためなの」
強くて真直ぐな瞳だ。
だが、ここで引き下がるアリシヤではない。
「でも―」
「やめい、アリシヤ君」
ラナ爺がアリシヤの言葉を遮る。
そして、後ろから大きな袋を取り出す。
アリシヤは眉をしかめる。
「なんですか?」
「タリスへの口止め料」
「ちょっとラナ爺!」
セレーノが声を上げる。
ラナ爺はかまわず続ける。
「セレーノちゃんは、タリス坊を納得させるため、わしに嘘をつかせた。カルパに噂はないと。これだけの大金を使ってな」
アリシヤは息を呑む。
セレーノはタリスがラナ爺にカルパの噂を聞きに来ることを見越していたのだ。
ラナ爺が視線を伏せる。
「アリシヤ君。セレーノちゃんとタリス坊は唯一無二の肉親だ。二人はなんでも話せるとても仲のいい姉弟だ。だが、カルパの件に関してセレーノちゃんはタリスを欺いた。なぜかは…わしからは言わない」
アリシヤは考える。
タリスを欺く理由。
先ほどのセレーノの言葉。
一番大切なのは家族。
「アリシヤ君」
ラナ爺の声にアリシヤは我に返る。
ラナ爺は寂しげに呟いた。
「セレーノちゃんの覚悟を無にしないでやってくれんか」
「でも」
「アリシヤちゃん」
セレーノの声に振り返る。
「お願い」
先ほどとは違う、必死なその瞳にアリシヤは言葉を失う。
だが、頷くことはできない。
「やっぱり…なんだか納得いきません」
「うん、ならそれでいいよ」
そういってセレーノは笑った。
「そういえば、アリシヤ君。君は何をしに来たんだ?」
ラナ爺に聞かれてアリシヤはふと用件を思い出す。
デイリアのことを訊きに来たんだった。
だが、アリシヤは首を横に振る。
今、セレーノとここで別れる気はない。
「また来ます」
「そうか。近いうちに来なさい」
ラナ爺は笑って頷いた。
***
セレーノと並んで家路につく。
「アリシヤちゃん。今日のことはタリスには内緒ね?」
「分かりました」
今日は偶然、セレーノの秘密を覗いてしまったのだ。
それを外部に漏らすのはいささかルール違反だろう。
アリシヤは素直に頷く。
日が落ちかけている。
「寒いね」
「そうですね」
それ以降、会話は途切れる。
白い息を吐きながら、二人で王都の石畳の上を歩く。
オルキデアの前まで戻るとそこに先客がいた。
「カルパさん」
「セレーノさん。それからアリシヤさんも」
カルパは嬉しそうに微笑んだ。
長い間そこで待っていたのだろうか。
白い肌が真っ赤に染まっている。
セレーノがカギを開け、カルパを中に招き、暖炉に火をくべる。
「カルパさん。来ていただくなら声をかけて下さたらよかったのに」
「いや、こちらこそ急にきて申し訳ない。今日はアリシヤさんもお休みだと聞いてぜひ伺いたいと思ってね」
カルパの言葉にアリシヤは首をかしげる。
己の休みとカルパの何が関係あるのだろう。
「アリシヤさん。少し話をしたいのだけどいいかな?」
戸惑うアリシヤに、セレーノは椅子をすすめる。
「私からもお願いするわ。大切なお話なの。聞いてくれるかしら」
アリシヤは頷いて、席に着いた。
「実は、君を養子に迎えたいと思っているんだ」
「へ?」
カルパの思いがけない言葉にアリシヤはぽかんと口を開ける。
セレーノが苦笑する。
「まあ、そういう反応になるのは致し方ないね」
「ええ、と…養子って、どういうことですか?」
アリシヤの問いにカルパが口を開く。
「君は僕の父。ヴィータ・ジオーヴェを知っているか?」
何度か見かけたことがある。
アウトリタ派と対立する教会派のジオーヴェ家の家長だ。
アリシヤは頷く。
「率直に言おう。わが父ヴィータは君のことを消し去りたいと思っている」
「え」
アリシヤは思わず声を漏らした。
「どうして?」
「君は、チッタの街で英雄となった」
カルパの話にアリシヤは黙る。
またこの話になるのか。
だが、アリシヤは向き合うことに決めたのだ。
強くカルパを見据える。
「私の父は根っからの神話信仰者だ。赤髪、赤目の君が英雄となることを大変不愉快に思っている」
「なるほど」
納得した。神話の中では赤目、赤髪は魔王の象徴。
そんなものがこの国の英雄になってはいけない。
筋は通っている。カルパが背筋を正す。
「前置きが長くなってすまないね。ここで、今回の養子の話だ」
カルパの青い目が鋭く光る。
「君が養子になってくれれば、君はもうジオーヴェ家の人間だ。父も下手に手を出せないだろう。君の安全を守ることができる」
セレーノが強くうなずいたのが見えた。
なるほど、確かにカルパの言う通りだ。
だが—。
「ですが、私を養子にすることをヴィータ様は許してくれますか?」
「それは黙っておくさ。養子縁組を結んでしまってから公表すればこっちのものさ」
カルパはウインクして見せた。
セレーノがアリシヤの顔を覗く。
「どうかしら?」
「…分かりました」
二人の顔が晴れたのが見えた。
「ですが」
アリシヤは声を上げる。
「少し待ってください。私もまだいろいろと納得できたわけではないので」
「分かった。待ってるよ」
カルパは優しく微笑んだ。
「でも、あまり時間はない。それだけはわかってくれ」
アリシヤは頷いた。
***
夜。
アリシヤは自室のベッドに横になる。
あの話の後、カルパは帰っていき、セレーノは夕刻から店を開いた。
相変わらずオルキデアは繁盛しており、セレーノに深く話を聞くことはできなかった。
遅くに返ってきたタリスは何も言わずに自室に入ってしまった。
アリシヤは目を閉じる。
カルパとの養子縁組。
ヴィータはこの国の権力者だ。
彼が本気を出せば、アリシヤを消し去ることなど容易だろう。
背筋が冷たくなる。
だが—。
セレーノの様子を思い出す。
アリシヤを心配そうに見つめるその目。
そして言っていた言葉。
『私が一番大事なのは家族。タリスとアリシヤちゃんだから』
セレーノは、アリシヤを守るためにカルパと婚姻を結んだのではないか。
いや、アリシヤだけじゃない。
今、城で立場の危うくなっているタリスもだ。
ジオーヴェ家という後ろ盾を得ればタリスの立場も安定するのかもしれない。
「でもやっぱり…」
アリシヤは布団の中に潜り込み呟く。
納得がいかない。
暖かな布団にくるまれ、アリシヤは眠りに落ちた。
閲覧いただきありがとうございました。次回「タリスVSロセ」です。よろしくお願いします。
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