第八章 家族8-3
見失った。
月明かりの下、アリシヤはあたりを見渡す。
街の中心である城の足元まで来た。
途中まで遠くに見えていたタリスの背がふっと消えた。
アリシヤは寒さに白くなる息を吐きながら、あたりを注意深く見渡すが誰もいない。
その場に立ち止まって深呼吸をする。一回二回。
だんだんと落ち着いてくる。
なにをしているのだろう。
ふと、冷静になった。
タリスが何も告げず消えるなんて無責任なことをするわけがないのに。
誰かに会いに行ったのかもしれない。
女性関係が多いタリスだ。
最近は何もないとは言っているが、逢引かもしれない。
そう考えると馬鹿らしくなってくる。
だが、なぜかわからないが胸のざわつきが去ってくれない。
行こうか、戻ろうか。
悩むアリシヤはふと後ろに気配を感じた。
不味い。
そう思って、腰に手をかけて気づく。
剣を持ってきていない。
吹きだした冷や汗を払うように、素早く振り返り後ろに下がる。
そして、目を見張る。
「た、タリスさん…?」
「あー…やっぱり、アリシヤちゃんかぁ」
タリスが苦笑した。
アリシヤは胸をなでおろす。
まだ心臓がバクバクとなっている。
「び、びっくりしました」
「それはこっちのセリフだよ。僕をつけてきたってなにも面白いこともないのに」
誰かが付けていることに感づいたタリスは物陰に身を隠して様子を見ていたそうだ。
それでアリシヤはタリスを見失ったのだ。
「何しに来たの、アリシヤちゃん」
シンプルな質問にアリシヤは言葉に詰まる。
よく見ればタリスは剣以外荷物を持っていない。
どこかに行くような恰好ではない。
ただ、散歩しているだけかもしれない。
そう思うと自分の行動がいかに不自然か分かってしまう。
「そ、その…」
アリシヤはまごつきながら答える。
「タリスさんが消えてしまわないか心配で…」
「消える?僕が?」
心底不思議そうなタリスにアリシヤは事のあらましを話した。
「ラーゴ…あいつ、余計なことを」
タリスが軽く舌打ちをした。
「僕の立場の事はアリシヤちゃんが気にすることは全くない。それに、僕はそんな周りの噂に負けて姿を消すような弱い人間じゃないよ」
「ごめんなさい」
アリシヤは素直に謝る。
その通りだ。タリスは普段のふるまいこそ軟派に見えるが芯は強い。
アリシヤだってわかっていたはずだ。
「でも、心配してくれたのは嬉しいな」
タリスが笑った。
久々に見るタリスの笑顔にアリシヤはほっと息をつく。
タリスの緑の瞳と目が合う。
「やっと目を合わせてくれましたね」
アリシヤは嬉しくなって呟いた。
タリスが、ふっと目を逸らした。
失言だっただろうか。だが、今を逃してはもう機会はないと思った。
アリシヤは勇気を出して言葉を絞り出す。
「タリスさん。チッタの街では申し訳ありませんでした」
「え?」
「私は問うべきでないことをタリスさんに問いかけました」
イリオスの大切な人、デイリアを殺した自分は何なのかと問いかけた。
デイリアはアリシヤにとっては悪人には思えなかった。
だが、家族を魔王軍に殺されたタリスにとっては悪でしかないだろう。
デイリアを殺したことを後悔するアリシヤ。
それがタリスの機嫌を損ねたのではないか。
「違うよ。アリシヤちゃん」
タリスの声にアリシヤは顔を上げる。
「僕はアリシヤちゃんに怒っていたわけじゃないんだ。自分自身に対してだ」
「自分自身に…?」
「そう」
タリスは困ったように笑った。
「俺、アリシヤちゃんにいつか言ったよね。君の赤い瞳、赤い髪は美しいって」
「はい」
アリシヤははっきりと覚えている。
タリスの言葉は衝撃的だった。
「その言葉に嘘はないよ。だけど、デイリアをかばうアリシヤちゃんを見て、僕は思ってしまった。…赤いからだ、と」
息が詰まった。
タリスは続ける。
「アリシヤちゃんはきっと髪や瞳が赤くても黒くても金色でも…デイリアと言葉を交わし記録師様を見たら、彼をかばっただろう。僕は君の事を美しいと言いながら、実のところアリシヤちゃんをアリシヤちゃんとして、見ていなかった。どこかで赤という偏見を持っていた」
タリスがアリシヤに向かい合う。そして、頭を下げた。
「ごめん。俺は自分がふがいなくて君の目が見れなかったんだ」
思っても見なかったことだった。
それでいて嬉しかった。
「ありがとうございます、タリスさん」
今度はアリシヤが頭を下げた。
タリスが戸惑っている。
アリシヤは潤んだ目を隠さずに言った。
「この国で赤に偏見を持たない人なんていません。そんなの当たり前です。それでも、タリスさんはその当たり前を当たり前にしないでくれた。それが私はとても嬉しいんです」
タリスが息を呑んだ。
そして、小さく息を吐いたと思うと、そのまま手を広げアリシヤを優しく包み込んだ。
抱きしめられている。アリシヤは驚きのあまり声が出ない。
「アリシヤちゃん」
耳元でタリスの声がする。
心臓がバクバクとなる。
「何が起きようと、この世界に君の味方はいる。僕が必ずいるんだ。それを忘れないで」
囁かれた言葉にアリシヤの頬から涙が一筋こぼれた。
タリスがそっとアリシヤを離す。
「さあ、行こうか」
そういったタリスはいつも通りで、アリシヤは慌ててこぼれた涙を払う。
まだ頬が熱い。
前を行くタリスに続く。
タリスにとっては慣れっこなのだろうか。
そう思うと少し不服だ。
アリシヤは首をかしげる。なぜ不服なのだろう。
不思議に思いながら、アリシヤはタリスの背を追った。
***
「ところでタリスさん。どこへ向かっているのですか?」
なんとなくタリスの後についてきていたが、そういえば聞いていない。
横を歩くタリスが頭を掻く。
「本当はアリシヤちゃんを連れて行きたくないところ」
「へ?」
「でも見つかっちゃったから仕方ない。このことは姉さんには秘密な?」
タリスが口元に人差し指を当てる。
セレーノに秘密で、アリシヤを連れて行きたくないところ。
アリシヤはハッとする。
「やっぱり、女の人のところですか…!だったら私は帰り―」
「待て待て、アリシヤちゃん。違うよ。というか、やっぱりってどういうこと」
踵を返そうとしたアリシヤの首根っこをつかんでタリスが苦笑する。
「アリシヤちゃん。俺から離れちゃだめだよ」
「はい…?」
アリシヤは首をかしげながら頷いた。
すぐにその意味は分かった。
行きついたのは街の外れ。
治安の悪い場所だ。
「タリスさん、ここに何をしに?」
「ちょっと―」
タリスの言葉が止まった。
アリシヤも気配を感じ振り返る。
男が複数人、崩れかけた建物に隠れてこちらをうかがっている。
視線が合った。男たちがとびかかってくる。
「アリシヤちゃん、僕の後ろへ」
「はい…!」
武器を持っていないアリシヤは足手まといになる。
タリスの指示に従ってさっと後ろに避けた。
「そして、耳を塞いで」
続けてタリスから出た指令に、アリシヤは眉をひそめた。
なぜ耳を塞ぐ必要がある?
男たちがタリスにとびかかった。
タリスは剣を抜かず、一歩前に出た。
「おい、雑魚。俺に殴り掛かるとはいい身分になったもんだなぁ?」
耳をふさがなかったアリシヤは思わず瞬きをした。
目の前のタリスが確かに放った声。
だが、あまりにもいつもと違う口調。
タリスにとびかかった男が、ピタリと止まった。
そして手に持っていたバッドを置き、地面に伏した。
後ろにいた男たちもそれに習った。
「タリスさん!すいませんでした!!」
真夜中の町はずれに男たちの謝罪が響き渡る。
何が起こっているのか分からない。
混乱するアリシヤをよそに、タリスが土下座している男の背を踏んだ。
思わず出そうになった小さな悲鳴をアリシヤは飲み込む。
タリスが片足で男の背を踏みにじりながら言う。
「まだ、この土地への客人に手ぇ出してんのか?やめろって言ったのが聞けなかったのはどの耳だ?」
「ご、ごめんなさいっ!だから、き、斬らないで!!」
今にも泣きそうな男の声が可哀想だ。
アリシヤは恐る恐るタリスの背に話しかける。
「た、タリスさん。もう、よろしいのでは?」
男の背を踏んだままタリスが振り返る。
そしていつもの王子フェイスでにっこりと笑う。
「なんだ、アリシヤちゃん。耳塞いでって言ったのに、悪い子だなぁ」
タリスは男から足を下ろすとアリシヤに向き合う。
そして、アリシヤのほっぺに手を伸ばす。
「おしおきだ」
「ぴぇっ!」
ほっぺをふにふにと伸ばされる。
痛くはないがなんとなく屈辱的である。
アリシヤは眉をしかめる。
しばらくすると満足したのか、タリスが手を下ろす。
そして男たちの方を振り返る。
「おい、雑魚。ラナ爺は今どこにいる?」
雑魚と呼ばれた男が勢いよく立ち上がり背筋を伸ばす。
「あ、案内いたします!タリスさん!」
「よし。つまらねぇこと考えたらブチ殺すからな」
タリスの言葉に雑魚と呼ばれた男は縮み上がっている。
これなら報復されそうもない。
「さあ、アリシヤちゃん。行こうか」
振り返ったタリスの甘い顔と声。
「タリスさん…とんでもない人だったんですね」
「褒めても何も出ないよ」
思わず漏れた感想に笑顔で返された。
薄暗いあたりを見渡す。
普段整備された王都しか見てこなかったがこういう場所もあるのだと、しみじみ理解した。
タリスから離れないように、その隣を歩く。
と、タリスがアリシヤを見つめているのがわかる。
「タリスさん?」
「…嫌いになった?」
タリスの不安げな小さな声に、アリシヤは笑いながら首を横に振る。
確かに驚いた。だけど、タリスが別の一面を見せてくれたことが嬉しくもあった。
「よかった」
タリスがはにかんだ笑顔を見せた。
閲覧いただきありがとうございました。次回、「情報屋」です。よろしくお願いします。




