第八章 家族8-2
緊急事態である。
ギャラリーと化していた他の客に帰ってもらい、セレーノ、タリス、アリシヤ、そしてカルパだけが店内に残る。
一つのテーブルを囲み、四人で座る。
張り詰めた空気にアリシヤは膝に置いた手を強く握る。
カルパの方を見る。金の髪に猫のような青い目。やはり妹と同じく美形だ。
そう、彼はジオーヴェ家の長男。
つまり、現当主のヴィータの息子であり次期当主。それでいてロセの兄である。
「それで?」
嫌悪感をあらわにタリスが切り出す。
「あなたのような貴人様がなぜこんな下町の酒場に?」
「タリス君、そんなに威嚇しないでくれないか。僕は敵ではない」
物腰柔らかな態度はロセと大きく違う。
一方タリスは完全に喧嘩腰である。
「突然あら合われて急に結婚をにおわせる男なんてろくなものじゃないと思いますがね」
「急に現れてというわけではないさ。私はここの常連客だ。そうだよね、セレーノさん」
俯いていたセレーノが顔を上げる。
「ええ、そう。カルパさんはよくこのお店に来てくれる」
セレーノの言葉にタリスは眉間にしわを寄せる。
「単刀直入に聞きます。何が狙いですか?」
「落ち着いてくれ、タリス君。狙いも何も、僕はセレーノさんに心を奪われたんだ」
「は?」
タリスの声のトーンがいつもより低い。
はらはらと成り行きを見守るアリシヤ。
カルパが続ける。
「一目見た時から美しい女性だと思った。それでいて何度もこのオルキデアに通ううちにその心配りにも感動したんだ。彼女は美しい、そして優しい。妻に迎えたいと思うのは当然だろう?」
それはそうだろう。アリシヤもそう思う。
この店の常連客の八割以上は確実に同意するであろう。
だが、皆セレーノに好意を伝えることを避ける。なぜなら―
アリシヤは隣に座ったタリスを横目で見る。
「へえ?それでいてさっきの強引なアプローチを?とんだ勘違い野郎ですね?」
その甘いマスクに似合わないドスの利いた声。
これは怖い。
そう。常連客は誰しもタリスを恐れてセレーノに手出しをすることはできなかった。
タリスは女の子が好きである。だが、それ以上に姉が好きである。シスコンである。
そんなタリスにカルパは眉を八の字に曲げる。
「困ったな。勘違いかどうかはセレーノさんに聞いてみてくれないか?」
タリスの鋭い視線がセレーノに向く。
セレーノが答える。
「勘違い、ではないわ」
「え」
アリシヤも声を上げた。
セレーノが俯いていた顔を上げてはっきりと言い放つ。
「私はカルパさんとお付き合いをしてるの。そして婚約した。タリス、アリシヤちゃん。黙っててごめんね」
青天の霹靂である。
思わずタリスの方を見た。
タリスは絶望に似た表情を浮かべていた。
***
カルパが帰ったオルキデア。タリスがセレーノに縋りつく。
「なあ、姉さん!嘘だろ!?あんな奴の嫁になるとか言わないよな!?」
「本当よ、タリス。カルパさんは私にはもったいない人だわ」
もう十度目の会話である。
はじめはタリスの気持ちに共感していたアリシヤだが、ここまでしつこいと驚きに変わる。
姉思いだとは思っていたが、度が過ぎているようだ。
「ほら、もう寝なさい」
子供を諭すように言われ、タリスはしぶしぶ引き下がる。
タリスが二階に上がっていった。
その背を見送っていると、セレーノが苦笑する。
「もう、本当に困った子」
セレーノもまた、タリスを大切に思っているのだろう。
セレーノの目がこちらに向く。
「アリシヤちゃんも、もうおやすみ。まだ旅の疲れが残っているでしょうから」
「…はい」
アリシヤは大人しく二階に上がった。
***
チッタの街の教会前に、アリシヤは立っていた。
殺せの大合唱が響く。
その中に、タリスやリベルタ、ロセの声が混ざる。
アリシヤは剣を大きく振りかぶって、目の前にいる赤い髪をしたデイリアの首をはねた。
宙を舞った首が石畳の上を転がる。
「え」
目を見開く。赤い髪に赤い目。それは自分の首だった。
「っあ!?」
アリシヤはベッドから飛び起きた。そして荒い息を吐く。
手が震えている。まだ、耳に殺せという声が響いている。
嫌な夢だった。
アリシヤはベッドから抜け出し、窓際の椅子に腰を掛けた。
月明かりに照らされた窓の外を見ながら、アリシヤは深く息を吐く。
ベッドの外は寒い。
それでも再び寝る気にはなれない。
幸い明日は休みだ。
朝寝坊しても問題はない。
アリシヤは手持無沙汰に、部屋を見渡す。
そういえば、チッタから帰ってきた後、荷物の整理をしていない。
アリシヤは大きなカバンを引き寄せ、荷物を分ける。
洗濯物、まだ使えるもの、もう使えないもの。
こうやって作業をしていると無心になれる。
アリシヤは夢中になって片づけを行う。
カバンの底までたどり着いた。
「なんだろう…?」
底に何かある。
アリシヤは手を伸ばし、それを引っ張り出した。
息が詰まった。真っ白な封筒。そこに読めない文字が書かれている。
イリオスが見つけてくれた、デイリアからのアリシヤ宛の手紙だ。
一瞬、見なかったことにしようかと思った。
殺した者からの手紙、それは受け止めがたいものだ。
だが、アリシヤはその文字に見覚えがあった。
物書き机の中にしまった黒いノートを引き出す。
エルバの村でピノからもらった宝箱の底に入っていたノートだ。
「ああ…」
アリシヤは声を漏らした。
その封筒に書かれた文字と、ノートの文字。重なるところがいくつかある。
これは同じ言語で書かれたものだろう。
イリオスの言葉がよみがえる。
『これはコキノの文字だよ』
アリシヤの推測は当たっていたのだ。
これは魔王の一族と言われるコキノの言語で書かれたノートだ。
アリシヤは震える手で封筒を開ける。
中の手紙には読めない言語。それでいて癖のある筆跡だとわかる。
ノートの文字と見比べる。
同じ筆跡だ。
アリシヤは椅子の背もたれに身を任せ、手で顔を覆う。
これはデイリアのノートだ。
エルバの村の近くを拠点としていた時のデイリアのノート。
何が記されているか、全く分からない。
だが、きっと何か重要なことなのだ。
それを読めるのは、アリシヤが知っている限りではイリオスしかいない。
イリオスはアリシヤを恨んでいるといった。
解読することはできないだろう。
アリシヤは、手紙を封筒に入れた。
そしてノートに挟み、物書き机の引き出しの奥の方へしまい込んだ。
しばらくぼんやりと窓の外を見ていた。
目が覚めたのは深夜を過ぎてすぐだったらしい。
太陽はなかなか姿を見せない。
闇に目を凝らしていたアリシヤの耳が物音を拾う。
廊下からだ。
タリスかセレーノだろう。階下に降りていく。
水でも飲みに行くのだろう。
そう思いながら、また窓の外を眺めていると、オルキデアの玄関から人が出てくる。
「タリスさん…?」
あたりをうかがうような様子でタリスは暗い街を歩きだした。
こんな夜更けにどこに行くのだろう。
ふと、今朝ラーゴと話した会話を思い出す。ラーゴが言っていた。
タリスがふらりとどこかに行ってしまわないか心配だと。
アリシヤは立ち上がり、コートを羽織り、部屋を出る。
アリシヤのせいでタリスの地位は危ういらしい。
それに加え、セレーノの婚約の話が出た。
タリスが消えてしまうのではないか。
アリシヤの心に強い焦燥感が走る。
アリシヤは心のままに夜の街へ駆け出した。
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