第七章 一族の男7-6
アリシヤはリベルタと二人、指定された荒野に来ていた。
枯れた土地。
ここはかつて、魔王によって蹂躙され、焼けつくされた土地。
未だに再興されていない場所だ。
「ここだと、逃げも隠れも出来ないな」
リベルタが呟く通り、周りには何もない。
北には街、北東には森が見えるのみだ。
南の方から赤い仮面の軍勢がやってくるのが見える。
数は二十人と言ったところか。
赤い仮面に黒いローブを纏った群衆。
その光景にアリシヤはぐっと奥歯を噛みしめる。
かつて自身を攫い、ルーチェを殺した者たちだ。
アリシヤとリベルタから五メートルほど離れた位置で彼らは止まる。
赤い仮面の中から一人の女性が前に出る。
その右手には紐が握られており、その先には縛られたデイリアがいる。
デイリアは衰弱しているようだ。殴られたような跡もある。
「お待たせ。リベルタくん」
澄んだ美しい声だった。どこか懐かしいような響き。
アリシヤは身構える。
「それから初めまして。アリシヤ。私はエーヌの民の長」
彼女が仮面を取った。
「そして、貴方の母。名前はレジーナというの。よろしくね」
その顔立ちにアリシヤは息を詰まらせる。見たことがある。
いつも仕える城にある肖像画で。
フィア女王の姉・レジーナだ。
「レジーナ姫…がエーヌの民?それで…私の、母?」
アリシヤの頭はパニックを起こす。
衝撃的な事実の列挙に頭がついていかない。
そんな、アリシヤの背をリベルタがどんっとついた。
「アリシヤさん、落ち着け。あとで説明するから」
「…!はい」
アリシヤは我に返る。
碧い美しい瞳のレジーナを見据える。
リベルタが口を開く。
「それで、レジーナ様。貴方が欲していたのはアリシヤですね」
「ええ。彼女を渡して欲しいの。それと、貴方の命、ね?」
「はは、やっぱり抜け目ないなぁ」
レジーナが剣を抜いた。
それと同時に、後ろの仮面の軍勢が剣を抜く。
リベルタも剣を抜き高く掲げた。
それを合図に北東から、タリス率いる国の兵がこちらに向けて突き進んでくる。
数は十。二十いる相手に比べると、少ないかもしれない。
だが、リベルタとタリスがいるなら問題ない。
アリシヤはここに来る前にリベルタから言われたことを思い出す。
おそらく、デイリアを人質に取る行動は陽動。
相手は本気でデイリアを交渉材料にできるとは思っていない。
だったらエーヌの民の狙いは何だ。
それは、チッタの街だ。
勇者が来ているにもかかわらず街がエーヌに襲われる。
それは国民にとって恐怖としかなりえない。
勇者をもってしてもエーヌにはかなわないという印象を植え付ける。
これが彼らの目的だと、リベルタは推測した。
「だから、こっちに回す兵は十人くらいでいい。あとは全力で街を守ってくれ」
チッタは大きい街だ。百人余りの兵がいる。
現在残りの九十人が万全の警戒態勢で町を守っているだろう。
アリシヤはリベルタが言った通り、彼が敵を薙ぎ払いで来た道をまっすぐ進む。
そして、縛られたデイリアのもとにたどり着くと、彼の縄を切った。
「大丈夫ですか…!」
「ああ、すまないな。同胞よ」
デイリアは足を引きずっていた。
見ると、足首に深い切り傷がある。
アリシヤは顔をしかめる。
逃げないように切られたのだろう。
「アリシヤさん!そのままデイリアを連れて街へ!」
「分かりました!」
アリシヤは身長の高いデイリアを引きずりながらもなんとか抱える。
「そうはさせないわ」
ひらりと身をひるがえし、アリシヤの前に躍り出るレジーナ。
不敵に笑う彼女の表情。
表情こそ似ていなかったもののその顔立ちは鏡で見る自分の物と似ているような気がした。
「アリシヤちゃん!逃げて!」
レジーナの前に飛び出てきたのはタリスだ。
レジーナを抑え込み、アリシヤに指示を出す。
「まっすぐ行けば南門に付く。そこから路地を抜けて突き進めば教会前だ!そこまで逃げ切れ!」
「はい!」
アリシヤは、デイリアを抱えながら駆け出す。
デイリアは重い。スピードは出ない。
だが、振り返らずに突き進む。
後ろを守ってくれているのはリベルタとタリスだ。
その安心感がアリシヤを前に動かす。
前へ、前へ。アリシヤは進んだ。
***
南門をくぐる。
「はぁ、はぁ…」
息を切らしながらアリシヤは走った。
タリスの忠言通り、細い路地裏に入り込む。
と、背負われたデイリアが声を上げた。
「同胞!我を下ろせ、剣を構えよ!」
デイリアの切羽詰まった叫び声にアリシヤは反応し、デイリアを投げるように下ろし、剣を構えた。
そこに強い斬撃が来る。
「っ!?」
見ると、赤い仮面の男がアリシヤの後ろに忍び寄っていた。
街には警備の兵が九十人はいたはずだ。
だが、守り切れなかったのか。
アリシヤは仮面の男の懐に飛び込み剣をはじく、そしてそのままみぞおち目掛けて強い突きを繰り出す。
男は倒れた。
ふっと息をつき、あたりを見渡す。敵はいないようだ。
はっとして、アリシヤは投げ捨てたデイリアの方を向く。
「で、デイリアさん…!投げて申し訳ありません!」
「大丈夫だ…同胞よ。思ったより力が強くて驚いたがな…」
「すいません!」
アリシヤはデイリアを再び担ぐ。
「同胞よ。奴を殺さなくてもよいのか?」
デイリアに問われ、アリシヤは首を横に振る。
デイリアはそんなアリシヤを見て、察したようだ。
「貴殿は人を殺したことがないのだな」
図星を突かれた。アリシヤは素直に答える。
「そうです。殺すのは怖くて…殺せないだけです」
「それでいい。できれば人なんて殺さない方がいい」
剣を構えたまま暗い路地裏を進む。
進むたびにアリシヤとデイリアは息を呑んだ。
死体が転がっている。
それも切られたばかりのものだ。
「何で…」
アリシヤは絶句する。路地裏に転がる死体の山。
老若男女問わずである。
ちゃんと兵が守っているはずだ。
先ほどの仮面の男の実力からして、そこまで強いとは思わない。
「この街の兵は何をしているのだ」
「本当に…何を…」
たどり着いた教会前で、アリシヤは悟った。
教会の周りには、それを埋め尽くすように兵が並んでいた。
人々が教会の周りに集まっている。
「…なるほど。この街の為政者は、街の人間ではなく教会だけを守らせたのか」
デイリアの言葉通りだった。
教会の周りにいる人々は怯えている。
だが、兵は誰一人として彼らを守ろうとはしていない。
守っているのは教会という建物だけ。
この街の権力者は誰か。
アリシヤは教会の二階から顔をのぞかせたインノを睨む。
インノはアリシヤとデイリアに気づくとにやりと笑った。
「皆様!帰ってきました!卑怯者が帰ってきました!」
インノが宣言する。
「勇者様との約束を破り、エーヌに下ろうとしたデイリアが、今、少女の手によって取り返されました!」
アリシヤは耳を疑う。インノは何を言っている?
「さあ、赤の少女よ。その悪魔を殺してください!」
「は?」
「我々の街を襲い、喰らおうとする悪魔を殺してください!」
アリシヤは深く息を吸う。そして叫ぶ。
「街を襲ったのはエーヌです!デイリアさんはエーヌに攫われました!我々はそれを取り返しに行っただけ!」
「なるほど。やはり悪魔は悪魔をかばい立てするのですね」
インノが言った。
「皆様聞きましたか!この赤の少女は、赤い悪魔をかばった!やはりこの者も悪魔なのか!」
「違う!」
「違うというのであれば!その悪魔をここで殺していただこう!!」
高らかに放たれた言葉にアリシヤは身を固くする。
「殺せ!」
インノが言った。
「殺せ」
兵が言った。
「殺せ」
続いて街の人間が言った。
辺りが殺せという言葉に埋め尽くされていく。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」
アリシヤの体が震える。
確かにデイリアは、魔王軍として数々の人を殺したのかもしれない。
だが、彼はイリオスに名前を与えた。自由を与えた。喜びをそして希望を与えた。
悪人とは思えなかった。
いや、それは自身の偏った判断というのはわかる。
だが、魔王軍だからと言って一人の人間に当然のようにこれほどまでの殺意が向けられていいものなのだろうか。
いや違う。
この殺意は魔王軍に対するものではない。
アリシヤは気づく。
これは“赤”に対しての殺意だ。
この街の人間は“赤”を人間としてとらえていない。
そして、この殺意は自分にも向けられている。
インノはこの場でアリシヤも殺そうとしている。
デイリアを殺せない、アリシヤさえも。
街の人間もそれを望んでいる。
ふと、目線の端に白い影を捉える。
リベルタだ。
救いを求めるようにそちらを見る。
リベルタの口が動いた。
『ころせ』
心臓が跳ねた。
認められてしまった。人を殺すことを―
アリシヤの右手に握られた剣が震えでカタカタとなる。
「同胞よ」
アリシヤはデイリアの声に振り返る。
デイリアは優しく微笑んでいた。
「悪いな。イリオスを頼む」
そういって、ふらりとアリシヤの前に出た。
そしてアリシヤの右手を握り、その剣を己の腹に突き刺した。
「で、いりあ、さん?」
「ああ…いたい…痛いな…どう、ほうよ。いたいのは、きらい、なんだ…介錯を…頼む」
涙を浮かべ笑うデイリアの腹からは血が溢れている。
もう助からないだろう。
あとは苦しんで死を待つのみだ。
「…。わかり、ました」
アリシヤは剣を抜き取った。そして―
「うわぁぁぁぁ!!」
叫びを上げながら、アリシヤはデイリアの首を切り落とした。
目に赤が焼きついた。
耳で肉を断つ音を聞いた。
鼻が血の匂いをかぎ取った。
舌が触れた血の味を運んできた。
手が彼の首の落ちる重みを感じ取った。
五感で死を覚えた。
「デイリアあああああ!!」
民衆の歓声とともに、イリオスの叫びが聞こえた気がした。
大歓声が聞こえる。
呆然と立ちつくすアリシヤの前には、先ほどまで口を開いていたデイリアの首が転げ落ちていた。
「赤の英雄様だ!彼女は悪魔を切り裂いた!英雄様だ!」
インノの声が頭上で響いた。
また、民衆がわっと沸いた。
アリシヤは込み上げる吐き気に、口元を押さえた。
その時、すっと誰かがアリシヤを支える。
「よくやった」
聞きなれたリベルタの声。
アリシヤの瞳から涙が溢れだした。
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