第三章 山賊の村3-5
もう二十年近く前の話だ。
今の村長がまだ、村長ではなかったころの話。
彼の名前はナーヴェといった。
「ナーヴェ、調子はどうだい?」
「ありがとう、今日はいい方だ」
彼は体が弱かった。加えて生まれつき足も悪かった。
農作業を生業とするこの村では邪魔者として扱われても無理はなかった。
が、この村の人々は優しかった。
自らの仕事の傍ら、ナーヴェを手伝い励ましてくれていた。
ナーヴェはそのうち、村長のもとで助手として働くようになった。
デスクワークは彼にとっては天職だった。
結婚して子供もできた。
立派な青年に育った。彼もまた結婚し子をなした。
幸せな時間だった。
そんなある日のことだ。魔王が復活した。
そういった神託がこの村まで伝わる。
人々は恐れをなしながらも、平静を務めた。
弱った人間の心に悪魔は付け入る。
不安を抱きながら暮らす人々の前に一人の男が現れた。
赤い髪の男だった。
「君と同じ鮮やかな赤だった」
村長、いや、ナーヴェは話を続ける。
赤い男と、彼が引きつれた兵は瞬く間に村を覆いつくした。
女・子供が人質に取られた。赤い男は言った。
「この村から兵士、労働力をいただこう」
当時の村長は首を横に振った。
「悪魔に村人は引き渡せない」
次の瞬間、彼の首が飛んだ。赤い男の後ろの兵が村長の首を跳ね飛ばした。
村長の次に権限のあったのはナーヴェだった。
ナーヴェは首を横に振ることができなかった。
小さな木の椅子に寄りかかえり、老人となったナーヴェがうなだれる。
「魔王はすべてを奪っていった」
アリシヤは絶句する。
自分と同じ赤。やはりそれは悪魔の色。魔王の色なのだ。
アリシヤは何も言えなかった。
自分と同じ赤色をした魔王が彼らの幸せを奪ったのだ。
初めて会ったときのペルラの目を思い出す。
十五年前ならペルラは子供だったのだろう。
魔王の赤を鮮明に覚えているかもしれない。
「君は魔王なのか?」
唐突なナーヴェの問いにアリシヤはきょとんとした後、首を目いっぱい振る。
「まさか!」
「なら、そんな顔をしなくてもいい」
「え」
「魔王の罪は魔王の罪。君の罪ではない」
グレーの瞳が優し気にアリシヤに笑いかける。
「そして、私たちの罪は私たちの罪だ。逃れることはできない」
「罪?」
「そう、彼らを魔王に売った罪だ」
「それは—」
口を開こうとしたアリシヤをナーヴェは首を横に振って制す。
「仕方のない事だったと君は言うかい?」
仕方のない事。なんて無責任な言葉だろう。
アリシヤはふと想像する。ルーチェが死んだのはアリシヤをかばってのことだ。
だから仕方のないことだ。そんな風に他人に言われたら—
アリシヤの心境を悟ったのかナーヴェが頷く。
そして話を続ける。
「そしてな。彼らは帰ってきたのだ」
「帰ってきた…?」
「そう、エーヌを名乗ってこの村に」
アリシヤは絶句する。
「君や、子供たちの言うエーヌ…それはかつて魔王に売られていったこの村の人間の生き残りなんだ」
ナーヴェがアリシヤをじっと見据える。
「どうか…見逃してくれないだろうか」
「え」
「我々は確かに搾取されている。だが…これは我々がなした罪、それに対する罰なのだ」
アリシヤはナーヴェのグレーの瞳を見つめ返す。
だからこの村は助けを呼ばなかったのだ。
自分たちが仲間を売り、その仲間が帰ってきた。
それもエーヌを名乗る山賊、という形で。
殺せるはずもない。拒めるはずもない。
この町の大人は知っていたのだ。
だが—
「お断りいたします」
「…そうだな。君は英雄の部下。正義の味方だもんな」
目を伏せたナーヴェにアリシヤは首を横に振る。
「違います」
「なに?」
「私は正義の味方ではありませんピノさんの味方です」
顔を上げたナーヴェにアリシヤは言う。
「確かに、私は勇者様の部下。勝手なことはできません。ですが、勇者様の部下だから誰かに味方する、と言うことはしたくないのです」
自分の考えでリベルタについてきた。
ならば、自分の考えで、これからもリベルタの側にいたい。
「私は先程ピノさんのお願いを聞いてしまいました」
「…ピノはなんと?」
「この村を助けてほしい、と」
悪魔に代償を払ってでもこの村を救いたいと願うピノの切実な願い。
それをアリシヤは聞いてしまった。誰かを守りたい、その思いを聞いてしまった。
「もう聞かなかったことにはできません」
「あんな小さな子がそんなことを…」
「ええ」
ナーヴェは立ち上がり、アリシヤの椅子に手をかける。
縄をほどくとアリシヤに瞳を向ける。
「…赤の人、君の名前は?」
「アリシヤと言います」
「アリシヤ殿」
ナーヴェは深々と頭を下げる。
「この村を、この村の子供たちの未来を守ってください」
「わかりました。できる限りの事をお手伝いいたします」
アリシヤは立ち上がり、剣を携えた。
一人でなんとかできるとは思ってはいない。
村の外に行ったリベルタ、タリスは今頃ピノからこの村が山賊に支配されていることを訊いているはずだ。となれば、今から増援を呼んでくれるであろう。
なら、かかる時間はざっと三時間。
それまで、どう間を持たせるか。
山賊たちの動きも気になる。
なぜマットと呼ばれたあの男がピノを外に出したのかが、分からない。
だが、ピノを外に出した時点で村の実情が勇者であるリベルタに筒抜けになるのは分かっていたはずだ。
彼らは今の生活を手放したくないはず。
だったら勇者を追い出す手段として取る手段とすれば-
「お爺様」
厚い扉の向こうから暗い声が聞こえる。
ナーヴェが扉の前に立つ。だが開こうとはしない。
「どうした、ペルラ」
「彼らが村人を人質に取りました」
アリシヤの血の気が引く。
思った通りだ。自分の軽率な言動が招いた結果だ。
冷静になれ。
アリシヤは己に言い聞かせる。今できることはなんだ。
「わかった」
ナーヴェはそういうと、アリシヤを手招く。そして耳元で告げる。
「彼らは十数人いる。だが、実戦慣れしていない。人質を頼む」
アリシヤが頷くと、ナーヴェは玄関の真反対の位置を指さした。
裏口だ。アリシヤは音をたてないようにそっとその扉から滑り出した。
***
「村人を人質に取った。ペルラに伝令に行かせた。これでいいのか?」
マットの問いに、フードの男は答える。
「ああ、それでいい」
「…なあ、あんた何でこんなことを?」
男は答えない。
だが、目が語っている。これ以上の追及はするな、と。
マットは大人しく引く。
男の剣の腕は本物だろう。
自分のような実戦もしたことのない山賊もどきが勝てる相手ではない。
だが、マットは男を強くにらむ。
「約束は守れよ」
「ああ、村は焼かない」
男の表情はフードに隠れてよく見えない。
だが、薄ら寒いものを覚えて、マットは男に背を向け人質の方へ向かった。
背にはじっとりと汗がにじんでいた。
残った男が小さく口を開く。
「何で?…そうだな。一人の平凡な少女を英雄に仕立て上げるため」
マットの問いに一人答えた男は、歪んだ笑みを浮かべていた。
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次回、第三章クライマックス「村の決断」です。よろしくお願いいたします。
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