色々と起こりすぎて頭がおいつかな…ファッ!?
目の前で黒いモヤに覆いこまれ、その渦がどんどんと巨大化して広がっていき牧野さんの姿は一切見えなくなりました。私はこの黒い渦に巻き込まれたら危ないと察し走り出しますが、まるで私を追いかけるように黒いモヤが私を追いかけてきます。
しかし私は体育は苦手です、後ろをチラと確認しながら走りますがもう追いつかれそう。
「おっ」
前を見て走らなかったせいで足がつんのめって転びそうになると、何かがグンッと私のお腹を押しのけ、グルンと宙返りさせました。
一瞬の出来ごとに何が起きたのかと思うと、目の前に白いたてがみに白い毛並みの馬の首が…。
あれ、これって。
「ポチ!?」
「サキ!」
驚く私の声と私の名前を呼ぶ声が重なり、私は声のする方向…後ろを見ました。そこにはマーシャが正装をした立派な姿で後ろに乗っています。
その遥か後ろには慌てて走ってくる兵士たちと、魔法使いたちの行列が…。
どうやら話し合いの場へ出発する準備が整ったのでここまで来たところ、黒いモヤに追われているのをたまたまみかけて助けに来てくれたのだと考えられます。
「…なんという…そのままの意味での白馬の王子様でしょう…」
牧野さんが黒いモヤになった事と、もう会えないと思っていたマーシャにこんなにあっさり再会できた事に頭が追いつかず目の前の状況を思ったまま口にすると、
「国王だ」
と軽く訂正され、
「それよりあれはなんだ」
と黒いモヤに目を向けます。
私も自分のせいで首を吊った子と出会って会話をしていて、あまりに失礼な態度につい手を出してしまい、そうしたら黒いモヤに覆われてこうなったと説明をしますが、説明の最中にも黒いモヤはどんどんと巨大化して、辺り一面を覆いつくすように空まで伸びていきます。
と、空まで伸びた丸い先端にぽっかりと丸い穴が三つ開いていきます。まるで顔みたいと思っていると、その口らしきところから「オオオオオ…」と唸っているような吠えているような恨めしいような…そのような地響きのような声が辺りに響き渡ります。
「マーシャ!あれはなんだ!」
サランもホウキでドリフト駐車するように隣にギャッと駆けつけ、私が説明したことをそのまま伝えました。
そしてそこに本ではなくホウキに乗ったラッセルも遅れてやってきて途中から話を聞き、
「つまり…あれは人から化け物に変化した姿だと…?」
と全員がその黒い人の形を取り始めているモヤを見上げます。
「人から化け物に変化した者への対処法は」
マーシャがサランとラッセルに目を向けると、サランは首を横にふり、ラッセルに目を向けます。
ラッセルもどこか呆然とした顔で人型のモヤに目を向けていると、
「対処法は…倒す以外に方法は知りません」
「…牧野さんは死ぬという事ですか」
あっちでも首を吊って死に、ここでも殺されるとしたら…牧野さんはどうなってしまうのか。
「別に構わんだろう、マキノという奴のせいでサキは死に追い込まれたんだろう?あのような化け物に変化する者は心根の悪い者だというのは周知の事実、それに…」
ラッセルが話している途中、辛うじて手だと分かるモヤの突起物が動き、周囲の森を叩きつけます。地響きと、鳥が騒いで逃げる声と、土埃が辺りに巻きあがりました。
一旦言葉を止めてそちらに目を移したラッセルは再びこちらを見て、
「…あの姿に変化した者は倒されるまであのような破壊行動をやめないとされている。あれのせいで国が一つ二つ滅んだケースもある。倒さねばアバンダ国が滅びる」
「…やらねばいかんか」
マーシャがポツリと言い、ふと私を見て、
「そういえば高い所は大丈夫か」
と言って来るのでふと私も落ち着いて下を見ると、結構な高い所で地面が遠く…。
「ひっ」
私は息をのんで思わずマーシャにしがみつくと、新しい布製品の匂いとマーシャのどこかいい匂いが鼻をかすめます。
マーシャは身を強ばらせて、
「お、落ち着け…」
となだめていると、
「女性に抱き着かれて喜んでる場合ではありませんよ」
とラッセルが厳しい声で言い、マーシャもわずかにムッとなった声で知ってる、と返しました。
「サラン、お前たち飛行魔法使いと魔法騎士たちはあの化け物に攻撃、ラッセルたちは周辺の人々の避難と誘導、歩兵魔法使いは半分に分かれ攻撃と周囲の避難を、そしてローカル国の衛兵騎士は交渉の肝だ、絶対に傷つけさせるな」
指示を出された二人はヒュンと即座に動き、大声で出された指示を全員に伝えています。
「俺もあの化け物と戦う。サキ、お前は降ろすからどこか安全な所に…」
「いいえ!」
私は脅えながらも顔を上げてマーシャを見ました。
「正直牧野さんとは関わりたくありません、どこまでも人に浸食するように依存する人です、でも…」
一度は私の言葉で牧野さんは首を吊って死にました、それが私への当てつけであろうとも。
私は死を迎える直前、なんて馬鹿な事をしてるんだと思って酷く後悔しました、そんな他人への当てつけで死んで苦しめてやろうと考えていた牧野さんだって首を吊って死に向かう途中、そんなくだらない事のためにこんなことするんじゃなかったと少なからず後悔したはず。
それでも自分の命で私の命も引きずることが出来たんだと、少しでも自分の自殺は意味があったものだったんだと思いたくて牧野さんは私のせいで死んだと認めさせたかったのかもしれません。
もちろんそんな考えに同調したくないので頷きはしませんが。
そして今、先ほどの私の言葉で牧野さんはあんな姿になってしまい、今殺されようとしている。牧野さんは私の言葉で二度も死に向かおうとしている。
「これ以上、私の言葉で人を死に追い込みたくありません」
「…」
マーシャが真っすぐに私を見てくるので、私も黙って見返しました。
「サキ、城から出る前にはもう何を言っても聞き留めてくれないだろうとあえて言わなかったがな」
軽く頷きながらマーシャを見ます。
「お前は結構な自惚れ屋だな」
「…は?」
こんな状態の時に、今まさにモヤとなった牧野さんが周りを破壊し、兵士たちが戦いに向かっている時に何の話ですか。
マーシャは風で乱れた私の前髪を撫で、
「お前の決めた案で略奪しないとの約束でアバンダ国は領土を広げた。確かにお前の言葉で決めた。だがサキは意見を出しただけで俺ら全員が納得して最終的に実行に移したんだぞ?だから傭兵らの略奪はサキだけが背負うものではなく俺ら全員が背負わなければならないことだ。
それなのにサキはまるで全て自分一人がやった偉業であるかのように言う。自惚れている以外の何物でもない、大臣も騎士団も国王の俺の意見も差し置いて全部自分がやってのけたとばかりに責任を負って出ていったのだから」
「…」
私が反論しようと口を開きかけると、マーシャは私を真っすぐに見てくるので口を閉じました。
「重いんだよ。重いんだ、国の上に居る連中の背負っている物はとてつもなく重い。だが生まれた家が各自王家であり、大臣の家であり、騎士の家だった。どんなに重かろうが国を守る役割を果たさねばならない、その上で責任を負わないといけない、逃げられない」
その言葉に私は目を見開きました。
城で怖いと皆の前で頭を下げ、マーシャに「もういい」と言われた時、何もかも諦めたような声だったので失望されたと思っていました。
でも…マーシャの本心は違った。
私には生まれつきの肩書が無い平民だから、自分たちの感じる重荷を背負わせることはないと…城から放してくれたんだ。
「お前は平和な時代に生まれ育った学生だ。そんなサキに成り行きでもその重荷の一部を背負わせるべきではなかった。その事については…すまない」
「…」
何となく呆けて言葉が出て来ずマーシャの顔を見ていると、マーシャはどこかフッと笑みを浮かべ、
「それにサキも言っていただろう?良い言葉を言えばプラスになり、悪い言葉を言えばマイナスになる。サキが城で言っていた言葉はほとんどが我々をプラスに持ち上げる言葉だった。サキが来てから城の中は以前より活気が出ていたんだぞ、本当だ。だから自分の言葉は人を死に向かわせるとばかり思うんじゃない」
「…」
向こうではモヤになった牧野さんが暴れ回り、人々が押され始めています。しかも…少しずつ城下の方に向かっているような…。
マーシャもそれに気づいて顔をそちらに動かし、
「前に言ったお前に伝えたい事だがな。生きて戻りたいから不吉な言葉を打ち消すために今言う」
「今ですか」
こんな状況下で言うことかと軽い非難を込めて言うと、
「俺と結婚して欲しいって、言おうと思った。サキに」
「ファッ!?」
予想外過ぎる言葉に私の言葉がバグを起こしました。
「それでも王妃となれば結局国の重荷を背負わせることになる。もうその願いも無理だろうから返事は期待していない、だが伝えたかったんだ。伝える前にサキはとっくに出て行ってしまっていたから。…言えてよかった」
脳内もフリーズしながらマーシャを見ていると、少しずつゆっくりと地面に降りて行っているのに気づきました。
するとオオオオ…とモヤから声が聞こえ、そちらに目を移すと顔のずっと下…お腹の辺りがグヨグヨと蠢き、次第に真っ黒い牧野さんの巨大な顔が浮かび上がってきます。
その口が開くと、上の三つの点のような口から出るのと同じようなオオオオ…という声が出て、
「サキちゃぁああん、サキちゃあああん」
と続けて私の名前を呼びました。
仏教世界では自分から行動を起こさず依存心が高く不平不満ばかりが多い人は畜生道に落ちるそうです。
関係ないですが私が地獄で一番受けたくない刑罰は、糞尿と一緒に煮込まれるやつです。