生きてたんですか…!
城から立ち去って歩いているとサランがホウキに乗って宙を飛んできて、紙を一枚くれました。
それは城御用達の食料などを城内に運ぶ物流の仕事らしく、
「俺の紹介ならすぐ雇ってくれるはずだ。もしよければ顔を出してみるといい」
と言われたのでありがたく紹介状の紙とそこまでの地図を受け取り、行くことにしました。
そして背を向けると、
「なあサキ」
とサランに声をかけられたので振り向くと、少しやりきれない表情で、
「何か…マーシャから言われてないか?」
と聞かれました。
そう言えば何か伝えたいことがあると言われて聞こうとしていましたが結局聞かないままです。
私はあの時の事を思いだすと胸が苦しくなってきて、
「いいえ。何も」
と言うとサランに背を向け、渡された地図を見ながら歩き出しました。
少し離れてから城を振り返ってみて、マーシャに丁寧な別れの挨拶をした方が良かったかと思いましたが…。
朝早くから傭兵と兵士たちの処刑、それからすぐにローカル国との話し合いの場を設けたので今日中に出発するための準備等々であまりに忙しそうで、長々と別れの挨拶をしていられる雰囲気でもありませんでした。
マーシャ付きのメイドも私がこの方なら大丈夫と思った方にお願いしましたし、マーシャもメイドへの対応も少しずつ改善しているのだから大丈夫でしょう。
「…」
でももう、あのミカンみたいな後ろ頭を見ることもないんですね。
美味しそうな後ろ頭だとマーシャには言いましたが、その無防備な後ろ頭にゆるゆるとチョップをしてワシャワシャしたいと思っていたのはマーシャも知らないでしょう。
いえ、後ろ頭どころか正面の顔も、横からの顔も、少し離れたところからももう見ることはないでしょう。
なんせ王様の近くに寄る職業なんてろくにないですし、サランから紹介されたところも城に物を運び入れる程度で王様の顔を拝見できることもないでしょうから。
いつもは城の中で離れていても時間になれば会えるものという感じだったので、こうなると急激にマーシャが懐かしく思えて胸がギュッと締め付けられるように痛みます。
何を都合のいいことを、あれだけ自分の命が尽き果てるまで尽くすと豪語していたくせにもう怖くてできないと尻尾を巻いて去っておいて、今度は会えなくて残念に思うなど。あまりにも都合が良すぎる。
自分の考えを自分で打ち消して歩き出しますが、なんだか足が進まず同じところをずっと歩いているような感覚で、ふう、とため息をつきました。
私は道から逸れて木の下に移動し、ラッセルからもらった幻獣、モンスターの書かれた本を取り出しました。本当は返そうとしたのですが、餞別としてくれてやる、と押しつけられたので頂いて来ました。
座って顔を上げるとお城が見えます。
何となくまだお城が見える位置にいたい。
まだ時間も早いですし時間も指定されていないのでもう少し休んでから出発しましょう。
本を読もうと軽く顔を下に向けると、フワ、とマーシャに買っていただいて胸ポケットに差していた羽ペンの羽が顔に当たります。
それを見て申し訳なさとマーシャへの懐かしい気持ちと、自分はなんてダメな奴だと責める気持ちが一気に押し寄せて、思わず泣きそうになりました。
私は軽く首を横にふり、羽を少し横に寄せて本に目を落とし無理やり文字を目で追います。
幻獣とモンスター以外にもこの本には雑学的なコラムが書いてあります。
どうやらこの世界には変化というものがあるようです。まあ大体はモンスターや妖精などが人間の姿に変化する、というものらしいのですが、人間が変化する場合もあるのだそうで。
それは特殊なパターンらしいのですが、心があまりにも清すぎて人と暮らすのが困難な人は天使へと変化し、心があまりにも醜悪すぎる人はその心のままの醜悪な化け物へと変化するという…。
私はそれを見て、軽く息をつきました。
それなら私もたくさんの人を死に追いやった罰として別の物に変化してしまいたい。
と、目の前に誰か立った気配がします。
私が顔を上げると、つぎはぎの服を着た平民らしき女の子が私を見下ろしてきます。
最初は逆光になっていてろくに顔も見えませんでしたが、その顔をよくよく見て、息をのみました。
「サキちゃん、久しぶり」
この少し鼻にかかった声、このおかっぱみたいな髪型…。
「あなた…!」
私は慌てて立ち上がり女の子を見ました。
その子は…私以外の子と話しちゃイヤ!と言って、首を吊って死んだはずの…。
「牧野さん…」
牧野美緒。
みおちゃんって呼んでといつも言われていましたが、私は牧野さんと名字で呼んでいました。そこまで親しくもなく、親しくしたくないと思っていたからです。
生きていたんですか、と言いそうになりましたが、あっちでは確実に死んだと先生から告げられニュースでも大騒ぎになりました。
ということは…あっちでは肉体は死んだけど同じ肉体と記憶を持ってこっちに移動した…?
…。
いや、ちょっと意味分からないですね。
それでも私も今こうして生きていますが、地球上では屋上から飛び降りて死んだという事になっているのでしょう。やはり私は一度死んだということですか。
牧野さんは私の言葉を聞いて悲しそうに、恨めしそうに私を睨みあげました。
「みおちゃんって呼んでって、いっつも言ってたよね…?」
私は口をつぐんで黙り込みました。
思わずここで知っている顔に会って親しく話しそうになりましたが、ここでも依存されるのは勘弁願いたいものです。
「生きていたのなら別に良かったです、では、私は行くところがあるので」
「待ってよ」
本を手早くバッグにしまい、立ち上がって歩き出した私を捕まえ、牧野さんは私の前に移動します。
「ここに居るって事は、サキちゃんも死んだんだよね?あっちの方で死んだんだよね?」
「…」
黙って牧野さんを見ていると牧野さんも私を見上げ、
「それって私が最期に書いた遺書のせいでしょ?そうなんでしょ?サキちゃんが私にいっぱい酷い事して、酷い事言って、私を追い詰めたからって書いてるの見たでしょ?ねえ見たんでしょ?」
確かに牧野さんのあの真実など一つも書いていない遺書で私は追い込まれ結果的に死を選びました。それでも…。
「遺書は見てません」
それは本当です。先生にこんな遺書があった、本当のことかと内容を触りだけ聞かされ、見るかと言われましたが気が滅入りそうだったので見ないと答えました。
牧野さんはグッと顔つきを恨めしそうな顔から憤怒の表情に変え、
「何で!?なんで嘘つくの!?見たんでしょ、私の書いた遺書読んだんでしょ!?だから色んな人に責められて死んだんでしょ!?私のせいなんでしょ!?私のせいだって言いなよ、言いなよ、私のせいで死んだって!」
罪悪感から自分を責めろという事かと思いましたが、牧野さんはどこか嬉しそうで、まるで牧野さんが私に影響を与えたから結果的に私が死んだんだとでも言いたげです。
その顔をみてあなたのせいで私は死んだとなじると余計喜ばしそうな顔になりそうで、それと同時にこの人どこか頭おかしいんじゃないかと思い、
「…違います」
と落ち着かせるような静かな低い声で否定しました。
「私は侍が好きなので、それと同じように身の潔白を証明するために死のうとしました。それと同時に世の中への不満と両親の怒りも込めてです。結果的に死を選びましたが、決してあなたを中心に考え死のうとは露ほども考えていません」
牧野さんは憤怒の表情に恨めしそうな目を浮かび上がらせ、まるで般若のような顔になりました。
「昔っから…昔っからそう、私の言葉は全部否定する…話しかけても絶対に頷いてくれない、共感してくれない、一緒に行動してくれない…!」
そりゃ、あなたと関わったら後々面倒だから逃げていたんです。
「それも…私は、こんな粗末な服を着せられるようなところにいたのに…なんで、なんでサキちゃんはそんなにいい服を着て…」
「成り行きです」
牧野さんは私の服をガッと掴んで揺らしました。
「見たよ!前に男の人三人と市場に出かけてるの!しかも身なりの整ったすごく格好いい人たちで、すごくいい馬車から降りてたよね!?なんで、なんでサキちゃんはそんないい所に行って、私はこんな服しか着させてもらえない貧乏な所に行っちゃったの!」
それでも着替えを渡してくれるならそこはまだいい所なのでは、と私が口を挟もうとすると牧野さんは頭をブンブンと揺らし、
「違う!サキちゃんは昔っからそう!昔っから誰にでも親しく話せてたよね!私が話しかけようとしても逃げられるのに、サキちゃんが話すと皆がサキちゃんの言う事をちゃんと聞いて、頷いて、共感して…先生もそう、先生なんてサキちゃんに任せておけば安心って感じで頼りにしてたし、男子だってサキちゃんのことクールでかっこいいって一目置いてたし普通に話してた!なんで、なんでなの、何で私には誰も話しかけてくれないくせにサキちゃんは皆から信頼されて話しかけられるの!なんでサキちゃんには頷くの、共感するの!」
牧野さんの目がふと私の羽ペンに移り、
「こんなものつけてお洒落して!」
ともぎ取り地面に叩きつけようとするかのように振り上げ…。
それを見た私はカッと頭に血が昇り、
「やめて!返して!」
と手を振り上げて牧野さんの頬に思いっきりビンタをかましました。
思った以上に私のビンタは牧野さんを吹っ飛ばすほどの威力があったらしく、牧野さんは地面にドシャッと倒れ込みます。
私は牧野さんに大丈夫かと聞くより先に羽ペンをバッと奪い返し、呆然とした顔で頬を押さえて私を見ている牧野さんと目が合い、ようやく、
「…すみません、大丈夫ですか」
と声をかけました。
牧野さんの目は次第に潤み、
「私より…羽のほうがそんなに大事…?」
と涙を流しながらニタッと笑いました。
どこか常軌を逸したその笑いにかすかに恐れを抱きながらも、
「これは…わざわざ買っていただいた大事なペンです。ただのお洒落な羽ではありません」
と言うと牧野さんは四つん這いになって頭を地面にこすりつけるようにして、
「いいなぁ、そんな風に買ってもらえるとか…いいなぁ。しかもあんな格好いい男の子の誰かに買ってもらったんでしょ…?いいなぁ、私なんてこんなボロ一枚で、着てた制服もお金の足しにしないと生活できないからって売られちゃった…。粉屋の家にいるの…一日中水車が回ってて水の音も、水車で粉ついてる音も一日中うるさくてたまったものじゃない…それで粉まみれになってるおじさんとおばさんに寝泊まりさせてるんだから少し手伝ってとか言われてさぁ…なんで私がそんなことしないといけないわけ?あり得ないよ、あり得ないよね…?」
「金を払わず宿泊が三日も過ぎれば客から居候になるものです。衣食住を提供してくれるのなら手伝いをするのは当たり前…」
アハッと牧野さんから笑い声があがり、なんでここで笑うのかと見ていると、
「そうだよねぇ、サキちゃん、私と絶対に話合わせてくれないからこんなこと言ったって無駄だよねぇ、頷いてくれない、共感してくれない、私のせいで死んだって認めてもくれない…なに、そんなに私のこと嫌い?嫌いなの?嫌いなんだよね、私と同じ意見なんて絶対にしないもんね。そうだよねぇ、皆に共感してもらえて話も聞いて貰えるサキちゃんは、私なんかと一緒だなんて嫌なんだよねぇ」
気のせいか、牧野さんの周りにモヤモヤと黒いものが浮かんでるような気がして目をこすりますが、やはりそのモヤモヤは牧野さんの周りを蠢いています。
「私、サキちゃんのそういう所、大っ嫌い…!」
ボッと牧野さんが黒いモヤに飲み込まれました。