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シオンズアイズ  作者: 友崎沙咲
第四章
6/19

輪廻の縁

アルゴに馬を渡し王都リアラへと見送った後、香は尚も丘に身を伏せたままケシアの街を見続けた。

…男ばかりが目につく。

人質は?

皆殺しか……?


女がいないのであれば、香の姿は目立つ。

拠点となっているであろうダクダの屋敷に近づいたとしても、中で動けない。


その時である。

屋敷の北側の煙突から煙が出始めた。

確かアルゴが言うには、屋敷の北側には風呂と台所が横並びだとか。

……いってみるしか、ない。

香は日が落ちるのを静かに待った。


◇◇◇


数時間後、香は動き出した。

月がやけに明るいが仕方がない。

新月まではとてもじゃないが待てなかった。


身に付けていた弓と水袋、それに長剣を外し、腰の左側に短剣だけを吊すと、香は大きく息をした。

七色の瞳の乙女……シオンには、自らの傷を瞬時に治癒する力はない。


自分の怪我や病を治す力はごく普通の人並みなのだ。

血を流しすぎると、死に至る。

香は月を見上げた。

シオン、頑張って。

助けに行くから。


◇◇◇◇


「やめてください!」

「いいじゃねぇか、すぐすむからよぉ!」


炊事場の火の始末をしようとしていたアルラは、北側の守衛兵の、むさ苦しい男に背後から両腕をねじり上げられた。


「お願いです、やめて!」


上半身を大理石の調理台に押し付けられたうえにキトンの裾を大きくまくり上げられ、恐怖に全身が震えた。

男のザラついた手が太股を撫で上げる。


「嫌っ!やめてっ」


男はそんなアルラの反応に、ニヤリと唇を引きあげた。


「本当に嫌なのか、触りゃ分かるんだよ……」


男の指先が、尚も上へと這い上がる。

太股の間を探り当てると、男は息を荒くしてアルラに密着した。


「嫌ーっ!」


どんなに叫んでも男の手で口を塞がれ、誰も助けに来てはくれなかった。

もう、ダメだ……!

アルラは歯を食い縛って全身を強ばらせた。

その時である。


「うっ!!」


男は大きく仰け反ると、息を飲んだ。

首元に冷たいものが押し当てられ、それが剣であることがすぐに理解できた。


「今度女に手を出したら……命は無いものと思え。首をかき切り、腹を裂いてやる!」

「や、やめてくれぇ!」


男は白眼を剥いた。

香の拳が男の首を直撃し、その体がぐらついたところに、彼女の止めの一撃が炸裂したからだ。

顎に短剣の柄がめり込み、ミシッと音がした直後、


「ゲス!」


艶のある声が静かに響くと同時に、男の体がゆっくりと傾き、炊事場の床に倒れた。

アルラは自由になった両手で大理石の調理台に掴まると、身を起こして振り返った。


「あなたは……!?」


頬を涙で濡らしたアルラを見て、香は少し笑った。


「良かった。間に合ったみたいで」

「私を……助けてくれたのですか?」


香は頷いた。


「偶然だけどね。一か八かで屋敷の北側……ここに来たら、入り口の守衛が中に入るのが見えたから。

私はここに囚われている友人を助けに来たの」


アルラは、息を飲んだ。


「もしかして友人とは……『七色の瞳の乙女』ですか?」


香は頷いた。


「彼女の名前は、シオン。そして私は『守護する者』」

「!!」


途端、アルラが床にひれ伏した。


「あなたが、守護する者……!」

「顔を上げて」


アルラはひれ伏したまま、声を震わせた。


「ありがとうございます!このご恩は一生忘れません!」


香は、床に膝をついたままのアルラを立ち上がらせると、辺りを見回しながら声をひそめた。


「あなたは、食事係?」

「はい。私の名はアルラといいます。食事係は二十人程いますが、今日はもう引き上げました。火の始末はいつも私の仕事で……」

「で、この守衛の男に狙われてたって訳ね」


香は、床に伸びている男の脇腹を軽く蹴飛ばした。


「……」

「アルラ」

「はい」


香はアルラの瞳を真っ直ぐに見て静かに言った。


「七色の瞳の乙女……シオンを救い出すのを手伝ってくれない?私は、シオンさえ助けられたらすぐに去る。

白金族人間に恨みはないし、戦にも興味はないの。あなたに迷惑はかけない」


アルラは一瞬眼を見開いたが、頷きながらしっかりとした声で言った。


「分かりました。お手伝いします。あなたは恩人ですから」


香は安堵して手を差し出した。


「よろしく」


◇◇◇


現在白金族人間に占拠されているダグダの別荘は、かなり広い。

アルラの話では、白金族人間の王シリウスを筆頭に、国の主要人物の半分がここに集結しているらしい。

兵隊達をはじめ、食事係などの身の回りの世話係を含めずとも、約百名程が屋敷の中に常駐している。


そればかりではない。

当然と言えば当然だが、ケシアの都全体に、白金族人間の兵が配置されているらしかった。

とにかくシオンの無事を確かめて、助け出さねばならない。


「カオルさん、シオンさんはカイル様と同室です」

「カイル様って?」


アルラは蝋燭の炎を調理台に移しながら、憂鬱そうに答えた。

わずかな炎が大理石の台を柔らかく照らす。


「カイル様は、王であるシリウス様の一番の側近です」


一旦そこで言葉を切ってから、アルラは視線をさ迷わせて続けた。


「カイル様は剣士の中の剣士です。

ですからカイル様の部屋の前に限り、守衛はいません」

「シオンが独りになる時間はある?」


「まだ日が浅いので何とも言えませんが、湯あみの時間はおそらく。カオルさん、私の部屋へ行きましょう。服をお貸しします」


そう言うと、アルラはフッと蝋燭を吹き消した。

二人は伸びたままの守衛を残し、食堂からそっと出た。

炊事係の部屋は、食堂の真向かいであった。


「炊事係は約二十人いますが、半数は女で、同じ部屋で生活しています」

「なら、遠慮しとく」


白金族人間と、香の見た目は違いすぎる。

紛れることは不可能だ。


「では……せめて服だけでも。すぐにとってきますから炊事場で待っていてください」

「ありがと」


アルラはすぐに炊事場へと帰ってきた。

服を手渡しながら、眉を寄せてカオルを見つめる。


「カオルさん、どうぞご無事で。あなたの事は他言しません」

「ありがとう」


香は凛とした笑みを浮かべてアルラを見ると、闇に紛れながらその場を離れた。

暗闇の中を歩きながら、香はアルゴに聞いた屋敷の間取りを思い描いた。


とにかく一日か二日は、身を潜めなければならない。

それと、出入りが可能な目立たないルートを確保したい。

今日のところは、潜伏できる場所を探そう。

……あぁ、そう言えば。


『王ダグダの屋敷には隠れられる場所が沢山あるんだ。たとえば、炊事場の天井に格子が嵌め込んである部分がある。そこは貯蔵庫だ。乾物などの食料を蓄えるちょっとした部屋になっている。お前なら十分隠れられる』


香は、アルゴの言葉を思い出して足を止めた。

炊事場がいい。

北側の出入り口からも近い。


振り返ると、すでにアルラの姿はなかった。

踵を返すと香は再び炊事場へと歩を進め、アルゴの言葉通り天井の格子を開けた。


それから両腕の力だけで貯蔵庫へと這い上がると、元通りに格子を閉める。

真夜中まで、ここに身を隠そう。

香に気絶させられた守衛兵は、まだ起きる気配がなかった。


◇◇◇◇


数時間後。


炊事場の高い窓から見える月の位置を確認すると、香は横たえていた体をゆっくりと起こした。

恐らく、屋敷内の警備兵がグッと少なくなる時間だ。


炊事場の床で伸びたままだった守衛兵は、意識を取り戻すと立ち上がることが出来ずに這ったまま姿を消した。

香は格子を開けると、猫のようなしなやかさで調理台に飛び降りた。


弓は貯蔵庫に置いたまま、腰の短剣だけを右手で確かめ炊事場を後にした。

明るすぎる月が、そんな香を静かに照らしていた。


この二日前。


◇◇


「ダグダ様!先程城門前に女が現れ、どうしてもダグダ様にお会いしたいと!」


リーリアス帝国国王ダグダは、湯浴みの後香油係に全身をマッサージされ、絹のキトンを着ている最中にこの報告を受けた。


女?珍しい。

大抵国民が城門へ押し掛けても、門兵隊長が対処し、事なきを得るのが通常である。


それが、女ひとりの直訴を王の耳に入れなければならない事柄とは。

ダグダは黄金の糸の刺繍で軍神を描いた立派なヒマティオンをまとうと、威厳のある低い声で告げた。


「通しておけ。すぐ向かう」


ダグダは長剣を腰に差すと、悠々とした足取りで歩き出した。


◇◇◇


アイーダは焦った。


守護する者が馬をかけて城から走り去ったあと、門兵に声をかけた。

門兵はアイーダを一瞥すると、はっきりとした口調で言った。


「帰れ。具合が悪いなら町医者にみてもらうんだな」


取り付く島もない勢いで、跳ね橋がギリギリとけたたましい音と共に上がっていく。


「お待ちくださいませ!私はケシアで傷を負っている七色の瞳の乙女を見ました!」


門兵が大きく腕を上げて合図すると、跳ね橋がピタリと止まった。


「女、それは本当か」

「はい!是非ファル様にお取り継ぎを」


門兵は、僅かに首を傾けてアイーダを凝視した後、低い声を出した。


「なぜリーリアス帝国国王ではなく、王子に?」


……しまった。

アイーダは、背中に冷や汗が伝うのを感じた。

訝しげな門兵の視線が突き刺さる。


「答えろ」


アイーダは、慌てて口を開いた。


「実はその前にエリルの森で、ファル様と七色の瞳の乙女が一緒にいるところを見たのです。

ですから……」


門兵は、唇を引き結んでアイーダを見つめていたが、しっかりと頷いて言った。


「よし、入城を許可する。ただし、お前が情報をお伝えするのはダグダ様だ」

「はい」


アイーダは小さく息を飲んでから頷いた。

……第一関門は突破した。

後は、どうにかして城内に留まれたら……。


アイーダは、汗にまみれた両手を握り締めた。

通された部屋は、跳ね橋のすぐ隣の小さな建物であった。


「しばらく待て」


長い槍を持った近衛兵と二人きりで待ったが、近衛兵が口を開くことはなかった。

どれくらい待っただろうか。

突然馬の蹄の音が聞こえたかと思うと、ガシャリと重々しい音が響き、入り口の扉が勢い良く開いた。


「シオンの行方を知っているのは、お前か?!」


アイーダは、信じられない思いでその人物に見入った。

王子、ファル……!!

ああ、何年も恋焦がれていたファルに、ようやく会えた。

輝くような黄金の髪、黄金の瞳。

恵まれた体型に、男らしく艶やかな声。


アイーダは早鐘のような心臓を感じながら、ファルを夢中で見つめた。

一方ファルは、ズカズカと足を投げ出すようにアイーダに近付き、真正面に立つと再び口を開いた。


「途中で王に会って話は聞いた。お前はシオンが何処に居るのか知ってるのか」

「はい」


ああ、愛しいファルが、私を見つめている。

アイーダは、頬を染めた。


「女、答えろ。シオンはどこだ!?」


アイーダはファルを見つめて口を開いた。


「……その前に、お願いがあります」

「なんだ」

「私を城で……使ってくださいませ。出来ればファル様のお側で働きとうございます」

「女中長に掛け合ってやる。来い」


言うや否や身を翻したファルに、アイーダは慌ててついていった。

ファルは愛馬ウルフの傍に立つと、アイーダを振り返った。


「来い」


これはもしかして。

アイーダは、ドキドキする胸を押さえた。


狼狽えるアイーダを気にかける様子もなく、ファルは彼女の腰に両手をかけると、ヒョイッと馬上に座らせ、続いて自分もその後ろにまたがると、声をかけながら愛馬の腹をクッと蹴った。


アイーダは目眩がした。

背中にファルを感じながら同じ馬に乗り、自分を抱き締めるようにして手綱をさばくファル。

ああ、なんて幸せなんだろう!

この幸せを永遠に手に入れたい!


ファルの傍に一生いたい。

ファルと愛し合いたい。

アイーダは強く思った。

必ずファルを手に入れると。


眩しい夕陽が辺りを照らし、アイーダはその美しさに自分の未来を重ねて微笑んだ。


◇◇◇◇


現在、深夜。


「やだっ!!」

「おとなしくしろって!」

「やだやだ、触んないでっ!」


シオンは必死でカイルに抵抗した。

シリウスに刺された足は痛むし、ベッドの上で自由に動けない。


「この、じゃじゃ馬!」

「うるさい!変態!」


変態!?無礼な。

カイルはクッと唇を引き結ぶと、ベッドの上で両手をバタバタさせて抵抗するシオンを睨んだ。


ランプの数を倍に増やした為、部屋全体が明るく、よく見える。

カイルは素早く近寄りシオンの両手を掴むと、至近距離からその瞳を覗き込んだ。


……まただ……!

シオンの瞳が、七色に輝き出したのだ。

瞳全体が青や緑というように一つの色に変化したり、一度に多色化したりと、目まぐるしく変わる。


なんて、綺麗なんだ。

その時である。

ガンッと鼻に衝撃が走り、カイルは思わず仰け反った。

シオンの頭突きが、命中したのだ。

クッ!油断した!


「もう許さない」


カイルはムッとしたままシオンの服に手をかけた。


「やだやだ、カイル、やめてっ!」

「ダメだ」

「自分で出来るってば!」


「着方なんて分からないくせに、何が自分で出来る、だ!観念しろ」

「きゃああっ!」


シオンの抵抗も虚しく、カイルは彼女の服を乱暴に脱がした。

ブラウスのボタンが何個か飛び、下着があらわになる。


カイルは構わずブラウスを剥ぎ取ると、フレアスカートのホックを外した。

ファスナーを素早くおろすと、思いきり引き下げる。


「大嫌い、カイルなんか、大嫌い!」


カイルは答えず、手早くキトンをシオンにかぶせた。

諦めたシオンを見て、カイルはホッと息をついた。


しばらく時間をかけてキトンを綺麗に着せると、カイルはシオンをじっと見つめた。


とても良く似合う。

なんて可愛いんだ。

しかし、そんな自分とはまるで真逆の表情で、シオンはカイルを睨み付けていた。


「優しく脱がせてもらいたいなら、もっと懐けよ」

「私は猫じゃない!」


カイルはツンと横を向いたシオンを暫く見ていたが、そっと手を伸ばしてその頬に触れた。


「ごめんってば」


柔らかくて優しいカイルの声がして、シオンはチラリとカイルを見た。


「シリウス様の御命令なんだ。許してよ」


シオンは大きく口を開けてハッキリと言った。


「嫌!」


なんだ、この感じ。

カイルは、フワリと体が浮くようなこそばいような、今までにない感覚にとらわれて眼を見張った。


俺は、どうしたんだ。

嫌と言ったシオンを抱き締めたい。

抱き締めて口付けをして、機嫌を直したい。

そうしたら、シオンはどうするだろう。

俺に答えてくれるだろうか。


今までに俺を激しく拒絶した女などいない。

俺が少し押しさえすれば、女は恥じらう素振りを見せて言いなりになってきた。


「ねえ、シオン」


カイルは熱っぽい眼差しでシオンを捉え、口を開いた。

その時である。


「私、シリウスもカイルも一生許さない」


固い声でそう言い、シオンはカイルを見上げた。

その瞳は全体が七色に輝き、まるで宝石のようである。


カイルはその美しい瞳に見とれながら思った。

……許さない?いいや、違う。

そんな言葉を言わせたいんじゃない。


「……ワインを取ってくる。少し飲んで落ち着いて」


そう言うと、カイルは部屋を出ていった。


◇◇◇◇


香はシオンの声を聞き、弾かれたように顔をあげた。

予想通り、屋敷内の警備は手薄だった。

中でも中庭側の、光の漏れるやたらと明るい部屋の前に限り、警備兵は一人もいない。


アルラから聞いたカイルの部屋だと、香は直感した。

部屋がやたらと明るいのは、きっとシオンの七色の瞳を見たいからだ。


七色に光る瞳は極上の美しさで、見る人を魅了する。

香は中庭の植え込みに身を隠しながら、部屋の気配を窺った。


シオンの怒りに任せた声の後、何も聞こえなくなり、部屋は静まり返っている。


香は滑るように庭を進むと、窓幕の隙間から中を覗き込んだ。

正面にベッドが見える。

あれは……シオン!


香は中庭の向こうに立つ警備兵を気にしながら、そっと窓の布を押し広げた。

声を圧し殺してシオンを呼ぶ。


「シオン」


瞬間、弾かれたようにシオンが顔をあげ、声のした方を見つめた。

じっと凝視すると、窓幕の隙間から僅かに香の顔が見えた。


……香っ!!!

シオンは思わず大きく名を呼びそうになり、慌てて思い止まる。

それから慌てて寝台を降りると、片足を浮かせてピョンピョンと飛びながら窓に近寄った。


「香、無事だったんだね!良かった!」


「シオン、ファルがすごく心配してる。逃げるわよ!早くここから飛び降りて!」

「ファルを知ってるの?」


「詳しい話は後よ。早く!」

「駄目なの。ここへ連れてこられる前、森でアイーダに首を噛まれたの。おまけに白金族人間の王……シリウスに足の甲を刺されて歩けないし、走れない」


香は唇を噛んだ。

やっぱり、あの時の嫌な感じは、こういう事だったのか。


「今逃げたら、私のせいで香まで捕まる」


確かにそうだ。


「私を……見えなく出来る?」


香は首を横に振った。


「意識のある者に対しては使えないの」


何か、策をたてなければ。

シオンは真っ直ぐ香を見つめた。


「シリウスは、私を白金族人間の仲間にしたいみたい。私、騙すわ、彼らを。仲間になって、安心させてそれから逃げる。その頃には傷も治ってると思うし」

「シオン……」


シオンはちょっと笑った。


「そんな顔しないで。私は大丈夫。今度会うときは馬に乗れるようになってるかもよ」


香は悲壮な顔で頷いた。


「……分かった。必ず助けに来る、ファルと一緒に。それまで、頑張って」


シオンは強く頷いた。

それから少し瞳を潤ませて遠慮ぎみに言う。


「……ファルに、伝えて欲しいの……愛してるって」


香は頬を染めたシオンに眼を見張ったが、フワリと微笑んだ。


「絶対伝える」


その時、入り口の幕から声が聞こえた。

帰ってきた!

香は素早く窓から離れると、這いながら植え込みまで下がり、そこに隠れて耳をすました。


「シオン、シリウス様がシオンとワインを飲みたいと仰ってる」


これが、カイルの声。


「お邪魔するよ。足の具合はどう?血は止まったかい?」


香は、次に響いた艶めいた声を聞いて全身が硬直した。

この声は……!

思わず口に手をあてがい、腹這いのままで視線だけをあげた。

ああ、この声は……!


「どうした?歩けないのに何故窓辺へ?」


シリウスの声が響く。


「月が見たかっただけ」


シオンが冷たく言葉を返した。


「俺も見ようかな。今日は慌ただしくて空を見てなかった」


声と共に窓の布が大きく開き、シリウスの姿が現れた。


「……っ!!」


香は心臓が大きく音をたてるのを感じた。

剣清……!

香は、窓から見えた男の上半身を見て、息が止まる思いであった。


クラッと目眩がして、思わず眼を閉じたあと再び眼をやる。

ああ、剣清!

香は茂みの間に隠れながら、シリウスの冷たい美貌を見つめた。


香にはすぐに分かった。

かつて自分の恋人であった剣清が、輪廻転生しシリウスとなって再び現れたことを。


「ああ、ホントだね。今晩の月はやけに明るくてとても綺麗だ」


シリウスはそう言いながら暫く月を眺め、最後に辺りを見回しながら幕を閉め、部屋に消えた。

香は早鐘のような心臓を感じ、大きく深呼吸すると身を起こした。


『君、名前は?俺は剣清(けんせい)

静麗(ジンリー)、愛してる』

『静麗、俺の傍に一生いろよ』


月が歪んだ。

頬に何かが伝う。

香は息を殺して泣いた。


◇◇◇◇


香は中庭を抜けて、屋敷の塀を音もなくかけ上った。

そのまま屋根に飛び移ると調理場を目指して進み、煙突を伝うと中に飛び降りた。


炊事場には相変わらず人の気配はなく、静まり返っている。

香は、調理台にあがると天井の貯蔵庫から弓を取りだし、そっと北側の入り口の様子を窺った。


見張りの気配はまるでなかった。

……傷の手当てか?

アルラを襲い、香にのされた番兵は、かなりのダメージがあるのかその場にいなかった。


香は素早く外に出た。

その途端、番兵が戻ってくるのが見え、身を屈めてやり過ごした。

……馬を調達しなければ。


たしか、馬宿はあの丘からよく見えた。

このまま行くよりは、一旦丘から様子を見た方がいいかも知れない。

……灯りがあれば、馬番がいるか確認できる。


香は丘へと足を向けた。

月は明るいが、高い塀に囲まれた街並みは至るところに闇があり、香は容易に丘の麓まで進めた。

張り詰めたものが一気に緩み、無意識に吐息がこぼれた。

その時である。


「……っ!!」


ゴツゴツとした腕に背後から抱き付かれ、香は思わず身を固くして息を飲んだ。

しまった、気取られたか!?


大きな体に抱きすくめられ、身動きがまるで取れない。

香は一瞬考え、踵を相手の足に降り下ろそうと、 膝を曲げると弾みをつけた。


その瞬間、


「ピアス」


耳元で声がし、腕が解かれた。

素早く飛び退きながら振り返り、香は眼を丸くした。

豪快な感じのする笑顔と、逞しい体。


「よう」


アルゴだった。


「あれから考えて、引き返したんだ」

「なんで?」


アルゴは決まり悪そうに視線をそらし、大きな体に似合わない口調で、ゴニョゴニョと告げた。


「お前が再び丘に戻るような気がして…馬宿から馬を調達するのは骨が折れるし…その、馬がないとリアラまでは無理だし、その、えーと」

「……」


ああ、くそっ!

アルゴは真っ直ぐに香を見た。


「あのまま離れたくなかったんだ、お前と」


ああ、言っちまった!

香は驚いてそんなアルゴを見つめていたが、やがてクスリと笑った。

……全く。


「ファルといいアルゴといい、この国の男はすぐに口説かなきゃ気が収まらないわけ?」

「……っ、なっ?!お前、ファルに口説かれたのかよ?!」

「声がうるさい!しかもファルが口説いたのは私じゃなくてシオン」


アルゴは一瞬ポカンとしてから、


「マジかよ!?あいつ、七色の瞳の乙女を口説いたのか!?」

「これ以上は本人からそれとなく聞いて。私、ファルに殺されたくない」


アルゴは香を見つめた。


「お前じゃなくてよかった!ファルが相手だと勝ち目がない」

「なに、本気で口説いてるの?」


丘に登りながら香がチラリとアルゴを見ると、彼は軽く頷いた。


「この一件が片付いてからにしようと思ったが、我慢できなかった」

「馬はどこ?」

「おい、口説いてる相手の話を聞け」

「それどころじゃない」


……まあ、そうなんだが。

狼狽えるアルゴを見て、香はクスッと笑った。


「さあ帰るわよ、リアラへ」

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