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シオンズアイズ  作者: 友崎沙咲
第七章
14/19

捧げものにおなりなさい

国境を越えガイザ帝国の首都へと足を踏み入れたファル一行を、国王ガイザは温かく迎えた。


「ファル王子、ケシア奪還、お見事でありましたな。

ささやかだが宴の用意が出来ておるゆえ、酒でも呑みながら旅の疲れを癒されるがよい」


ファルは礼儀正しく身を伏せ、綺麗な微笑みを浮かべると、国王ガイザに向けて口を開いた。


「これはこれは有り難き幸せ。だがお気持ちだけ頂いておきましょう」

「ほう。それは何故ゆえ」


ファルは、上品な笑みを浮かべてガイザを見つめた。


「我が軍の心はひとつ。何時なんどきも」


ガイザは眼を見張った。

ファルはこう言っているのだ。


命を捧げてくれる兵達を差し置いて、自分だけが宴に参加するなどあり得ないと。

ガイザはファルの、潔く真っ直ぐな瞳を見上げてこう提案した。


「ならば王子の大切な兵達に、酒と料理を存分に届けよう。城門前の広場と近衛兵の宿舎も開放するので一晩ゆっくりとされるがよい。それでいかがかな」


ファルは、再び瞳を伏せた。


「我が兵達に対する、有り余るほどのご厚意に感謝いたします」



◇◇◇


その夜は宴と化した。

ファルは兵達に対する手厚いもてなしの手前、ガイザ王との酒を断れず、仕方なくアルゴ、マーカス、ジュードを連れて宮殿へと赴いた。


「私は兵達と少し飲むけど、シオンはどうする?」


香は暮れゆく夜空に向かってグイッと伸びをしてからシオンを見た。


「私、ちょっと顔を洗ってくるわ」

「了解」


香が兵と肩を並べて去っていくのを見てから、シオンは立ち上がった。


その時である。

急に目の前に見慣れない格好の男性が現れて、シオンは息を飲んだ。


「私はガイザ帝国の近衛兵隊長です。

……実は王女が、どうしても貴方にお会いしたいと」


シオンは反射的に、近衛兵隊長の視線の先を追った。

見ると、遠すぎて顔立ちこそ分からないものの、侍女を一人従えた女性がこちらを見ていた。


「お時間は取らせませんので、どうぞこちらに」

「でも」


せめて香に告げてからと思い、シオンは辺りを見回した。

……いたけど、かなり離れている。

しかも、瞬く間に兵達で見えなくなってしまった。


「宮殿内にはファル王子達もいらっしゃいますのでご安心を。さあ、王女の元へ。こちらです」

「……わかりました」


シオンは呟くように言って頷くと、近衛兵隊長の後に着いて歩いた。

……王女様が私に何の用なんだろう……。

正直不安だけど、断るわけにもいかないわよね。


そう思っているうちに、あっという間に城門前に立つ王女の元まで歩を進め、シオンは彼女に頭を下げた。

きらびやかな装飾品で全身を飾り、上品で優雅な仕草を見ると、彼女がガイザ帝国の王女であることは明らかであった。


近衛兵隊長の青いマントがサラリと揺れ、彼が一礼して去っていくと王女は妖艶に笑った。


「こちらに」


いうなり裾の長い美しい絹の衣装を翻し、彼女は城門のすぐ隣の立派な建物へと入った。

いくつもの部屋を通りすぎ、長い廊下の突き当たりで足を止めると、王女は振り返って侍女を見た。


「人払いを」


王女が短く告げると、侍女が恭しく頭を垂れて部屋の入り口に掛かる布を開いた。


「こちらへ」


促され、シオンは王女と二人で部屋へと足を踏み入れた。

ここは……どういった部屋なんだろう。


部屋には美しいテーブルと椅子が置かれ、沢山の蝋燭の炎が揺れていて明るかった。


宮殿でないことは確かだ。

来客用の待ち部屋なのだろうか。


「お座りなさい」


王女の透き通った声がした。


「……はい」


シオンが王女の正面に座ると、彼女はじっとシオンを見つめた。

……この女が『七色の瞳の乙女』なの?

なによ、こんなみすぼらしい女。

服だって大したことないし、耳飾りも首飾りもしていない。


どこがいいのよ、こんな女!

王女は、胸の中に渦巻いている嫉妬でイライラした。

王子ファルはこの女が好きなのだろうか。

いや、きっと好きなのだ。


二人で馬に乗り、この女を両腕で守るようにしながら手綱をさばき、時々甘く見つめ合っていたのだから。

なんと恨めしいことか。


ガイザ帝国の王女……リラは、ファルに恋をしていた。

初めてファルを見たのは、去年招かれたリーリアス帝国の記念式典であった。


想像以上に素晴らしい王子に、リラは一瞬で恋に落ちた。

王子ファル以上に素晴らしい男など、きっといまい。


リラはガイザ帝国に帰る道中、父であり王であるガイザに、ファルと結婚したいと告げた。


王女である自分と王子であるファルなら、身分的にも問題ない。

ところが無情にもガイザは首を横に振った。


白金族人間と黄金族人間の争いに巻き込まれれば、何の力も持たない小国であるガイザ帝国など、ひとたまりもない。


二つの大国……アーテス帝国とリーリアス帝国、どちからにつくのも大変危険で不安定なのだ。


何故なら客観的に見て、二国は互角である。

どちらか一方と婚姻関係を結ぶなど、気の弱いガイザに出来る筈がなかった。

同じ中立国で、兄が治めるアシ帝国の手前もある。


「我が国は中立を貫くのだ。黄金族人間とも白金族人間とも婚姻関係を結ぶことはできない」


リラは悲しみにくれた。

黄金族人間と白金族人間の争いさえなければ、私もファル王子と結ばれる可能性があったんじゃないの?


どうして二国は憎み合うの?!

リラは、ガイザ帝国に入国したファルとシオンを見て思った。

この私が結ばれなくて、どうしてこの女がファル王子と愛し合うのよ?!


七色の瞳の乙女が現れ、黄金族人間から白金族人間へとその身がさらわれ、奪い合った事実は瞬く間に国を越えて広まっていた。


……七色の瞳の乙女は、神の捧げ物になるらしい。

神に身を捧げると、乙女はどんな望みも思いのままになると。


「あの、王女さま……?」


リラは、訝しげなシオンの声で我に返った。


「私になんのご用ですか?」

「……貴方は……ファル王子を愛しているのですか?もしも愛しているのなら」


リラは一旦言葉を切ってシオンを見据えると、形のよい唇を引き上げて笑った。


「……もしもファル王子を愛しているのなら、捧げ物におなりなさい。最高神オーディンの」


最高神オーディン……?

なに、それ……。

戸惑うシオンを見つめながら、リラはゆっくりと口を開いた。


◇◇◇◇


「何処行ってたのよ?!」

「ごめん、少し散歩してたの、ランプが沢山あって夜景が綺麗だから」


シオンは焦る香を見て少し笑った。

その時である。


「シオン!」


ビクッとして、香とシオンは声のした方を見た。


「ほーら、何故かもう怒ってる」


香がため息と共にそう言うと、呆れたようにファルを眺めた。


「私、消えるわ。面倒くさい」

「え、ちょっと香」

「おーやーすーみー」


風のように去っていった香の背中を見ていると後ろから腕を掴まれて、シオンはバランスを崩した。


「きゃあっ」


よろけてガツンとファルの厚い胸にぶつかる。

そのままシオンを抱き締めながら、ファルは焦りを隠すことなく声を荒げた。

ガヤガヤと賑やかな宴の中、ファルの大声すらかき消えそうである。


「何処に行っていた!?勝手に離れるんじゃない!」


な、何で知ってんの。

シオンは巧い言い訳でごまかそうと、考えを巡らせた。


「ひとりで散歩してたら、ちょっと迷って……ごめんね」


ファルは、大きな瞳をクリンと動かし、きごちなく斜め上を見上げたシオンを見て眉を寄せた。

……どうして隠すんだ。


ガイザ帝国の王女と城内に入るのを、歩兵の二番隊長が目撃し、ファルの元にすぐ連絡が入ったのだ。


「……独りでか?」

「……うん」

「……」


ファルは暫くの間シオンを見つめていたが、やがて諦めたように息をつくとシオンの髪を撫でた。

その優しい仕草に、シオンの胸が切なく軋む。


「……来い。明日は早い。もう休むぞ」


シオンの手を引き、ファルが歩き出した。

大きなファルの身体を見つめながら、シオンは思った。

……本当なのだろうか。王女リラの言った事は。


本当に私が最高神オーディンのもとに行けば、それと引き換えにオーディンは私の願いを叶えてくれるのだろうか。

リラの言った鋭い矢のような言葉が胸を貫く。


◇◇


『ファル王子が、何故貴女のような何処の馬の骨か分からない女を傍に置くのか分かりますか?』


リラは、恐れを浮かべたシオンの七色の瞳を見て、残酷な微笑みを見せた。


『貴女の、自分への恋心を利用する為に決まっているではありませんか。

王子はきっとこう思っておいでです。

黄金族人間に世界を預けるように、最高神オーディンに願い出て欲しいと。貴女自身の身を捧げて』


畳み掛けるようにリラは続けた。


『簡単な事でしょう?彼を愛しているなら。

貴方がその身を神に捧げる事により、この世界は黄金族人間が統一し、戦いはなくなる。殺し合いのない平和な世界に生まれ変わるのよ』


シオンの眼から涙が筋となり、頬を伝った。

それを見たリラは、勝利感に全身が震えるようであった。


私に叶わない恋を手に入れた女を、迷わせ傷付けたい。

出来ることなら、この二人の恋をめちゃくちゃに壊してしまいたい。


『ね?捧げ物におなりなさい。それがファル王子の望みです』


◇◇


もう馴れた。不思議なこの世界に。

自分が、『七色の瞳の乙女』である事にも。


リラ王女の言葉も、きっと本当なのだろう。

最高神オーディンとやらに身を捧げると、それと引き換えに願いを聞き入れてもらえると言うことも。

けれど。


「入れ」


ファルの声に慌てて視線を上げると、兵達が組み立てた小さな部屋の前だった。

ファル専用の天幕である。


入り口の布を上げたファルの脇から、中の様子が少し見えた。

柔らかい蝋燭の炎。

ファルの寝台。


「うん……」


シオンはファルの腕をくぐり、中に入った。

続けてファルが入る。


「…………」


腰から剣を外し、鎧を脱ぎ始めたファルに慌てて背を向け、シオンは俯いた。

ファルは、本当に私を好きでいてくれているんだろうか。


愛してると言ったあの言葉も、あの抱擁も、情熱的なあのキスも、本当だと思いたい。

けれど。


……彼は帝国の王子だ。

敵対する白金族人間から国と民を守るためなら、何だってするだろう。

それが彼の努めだから。


途端に、呪詛のようなリラ王女の言葉が胸に甦る。



『貴女の、自分への恋心を利用する為に決まっているではありませんか。

王子はきっとこう思っておいでです。

黄金族人間に世界を預けるように、最高神オーディンに願い出て欲しいと。貴女自身の身を捧げて』



嫌だ、苦しい。

胸が押し潰されそうで、痛い。

……そうだ……。

シオンは香の言葉を思い出し、思わず息を飲んだ。




『あ、そうそう『七色の瞳の乙女』ってさ、処女じゃなくなると力が無くなるのよね。

愛してないなら……国の為に利用するだけなら、肌を重ねようとはしないはず。

……試してみれば?』




そうなる相手は、ファルがいい。

……ファルに、抱かれたい。

もしもファルが私を好きなら、利用する気がないなら、彼は私と……。

でも恥ずかしいし、なによりそれ以上に怖い。


その時である。


「寝台はお前が使え。俺はここでいい」


振り返ると、薄い夜着一枚でこちらを見るファルと眼が合った。

薄い布から浮きだった胸の筋肉や、逞しい首から肩にかけてのラインがシオンの胸を高鳴らせ、彼女は目のやり処に困って顔を背けた。


「疲れたか。もう休め」


いうなりファルは、入り口付近に座って壁に寄りかかると、剣を自分の肩に立て掛けるように置いて腕を組んだ。


……抱き締めてもくれない。

シオンは大きく息を吸うと、そっと吐いてから思い切って言った。


「ファル……一緒に寝よ?」


震えそうになる声を一生懸命抑えながら、シオンはファルを見つめた。

ファルは僅かに身じろぎしたが、シオンを見ずに低い声で言った。

肩に立て掛けた黄金の剣が、カチャリと硬い音を出す。


「……俺は……ここでいい」


カシャンと胸で何かが割れる音がした。

ファルの伏せられた眼差しがこう告げている。

抱く気はないと。


……拒まれた。

シオンはゆっくりと眼を閉じてから、唇を噛み締めた。



『あ、そうそう『七色の瞳の乙女』ってさ、処女じゃなくなると力が無くなるのよね。

愛してないなら……国の為に利用するだけなら、肌を重ねようとはしないはず。

……試してみれば?』



試すんじゃなかった。試すんじゃなかったよ、香。


『貴女の、自分への恋心を利用する為に決まっているではありませんか。

王子はきっとこう思っておいでです。

黄金族人間に世界を預けるように、最高神オーディンに願い出て欲しいと。貴女自身の身を捧げて』


またしてもリラ王女の呪いのような言葉が、シオンの身体を駆け巡った。

やっぱりそうなのかも知れない。


バカみたいに、夢見る少女のように、ファルに恋して舞い上がっているのは自分だけなんだ。

そうよね。


だってファルは、命のやり取りをしているのに。

国と国との戦いの真っ最中に恋だの愛だの言っていられない。

ばかだ、私は。


「ファル、寝台はあなたが使って。

私は香と寝るから。おやすみなさい」

「っ……!」


ファルは反射的に顔を上げて立ち上がろうとしたが、それよりも早くシオンは出ていってしまった。

苦しげに眉を寄せ、片手で胸を押さえながら。


ファルは独りになった空間でギュッと眼を閉じ、拳を握りしめた。

シオン、シオン!

ファルの胸もまた、シオン同様切なく軋んでいた。


◇◇◇◇


めちゃくちゃに走ってめちゃくちゃに泣きたかったのに、現実は厳しかった。

大勢の兵達で走れない。


彼らの中を縫うように進むと、シオンは誰にも見られないように涙を拭きながら歩いた。


「……っ!!」


そこを突然後ろから肩を掴まれ、シオンは思わず立ち止まった。

振り返るとマーカスの榛色の瞳が優しく光っていた。

涙に濡れたシオンを黙って見ていたが、やがてマーカスは溜め息交じりで微笑んだ。


「言っただろう?アイツは色恋に疎いと」

「マーカス、マーカス!」


身を投げ出すようにしてしがみついてきたシオンに驚いて、マーカスは眼を見開いた。


それから、出会ってまだ数日と経っていないのに、こんなにも自分を信じ慕ってくれるシオンを愛しく感じ、マーカスは彼女を抱き締めてその背をトントンと叩いた。


「こらこら、こんなところを見られたら、アイツがまた焼き餅を焼くぞ」

「……焼かないもん。絶対焼かない。私はただの捧げ物でしょ」


マーカスの動きが止まる。

一瞬で考えを巡らせると、マーカスは小さく舌打ちした。

あの女。


マーカスは、ファルに熱い視線を送っていた王女リラの物欲しそうな横顔を思い出しながら、唇を引き結んだ。


「俺の部屋に来い。ドン臭いファルの代わりにあいつの思いを代弁してやる」


マーカスは、まるで自分が兄のようだと思いながら夜空を仰いだ。

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