第一話「蠍の時計」
未熟な探偵の冒険をお楽しみください。
僕は覚えている。
この景色を。
この風景を――。
1
ある『蠍の時計』について話そうと思っていたら、少し遅れてしまった。
蠍。
二振りほどのはさみを持つ、甲殻類だか何だかわからない、黒かったりそうじゃなかったり、時にはゲームなどの敵で出てくる、アイツだ。
文字盤に蠍のシルエットが描かれている、ちょっとだけ気味の悪い、年代物の腕時計なのだが、今回はその話に関わる話を聞いてもらいたい。
関わった話を聞いてもらいたい。
否応なく、聞いてほしい。
2
「寒い!寒すぎるッ!」
氷点下マイナス…何度だろうか、感覚的には冷凍室のアイスクリームのよう。
凍えそう。
季節も春から夏に変わろうとするころ、とある雪山の、とある洞窟に、さしづめダンゴムシのように体を丸める男がいた。
というか僕だった。
僕――佐野隆二≪さのりゅうじ≫だった。
ダンゴムシというか押し入れに無理やり布団を詰め込むかのような労力を発揮している僕は、雪山で遭難した。
いや、これは笑える冗談じゃないな。
ただの素人が、ただのド素人が、即日決行で雪山に登ったのが悪かったのだ。
僕の頭が悪かったのだ。
まだまだ吹き荒れる吹雪に顔を顰めながら、水筒からなけなしのお湯を、まるで秘湯を眺めるようにマグカップを注ぐ。
いや、正しくは砂漠の中のオアシスか。
「ふー、ふぅー、ずずずあっちい!!」
熱かった。
そりゃ熱い。
こんな雪山の中でも熱いものは熱い。
慎重に音まで立てて飲んだお湯。
あろうことか僕は、生命をつなぐお湯をこぼしてしまった。
もっとも、こんな凍える状況下で、瀕死の状況で、指先を起用に使えるわけがないのだけれど。
もっといえば、こぼしたこと自体は問題はないのだ。
いやあるけどさ。
こぼしたこと自体はいいんだ。
問題は。
こぼれたお湯が、『蠍の時計』にかかったということなのだ――。
3
「は?」
気が付いたら、僕は見知った天井を見ていた。
いつの間にか、見知った天井を見ていた。
凍えてもいない、死にかけでもな、僕がそこにはいた。
なんでだ?確かにお湯をこぼす前までは、この見知った、見慣れた部屋のことを考えていた僕ではあるけれど、なぜ僕がここにいる?夢でも見ているのだろうか?そんなはずが――
「おい、どうした?ぼーっとして」
「ひゃっ」
声をかけられた。
まるで冷水を突然かけられたような感覚。
「情報取集はできたか?今回の依頼の進行度はどれくらいだ?」
情報収集?依頼?
ああ、そうだ、そうなのか。
ここは『雨宿探偵事務所』≪あまやどりたんていじむしょ≫。
つまり、彼は探偵。
つまるところ、僕も探偵、否、『探偵の助手』。
彼の名前は『日傘空』≪ひがさそら≫。
探偵兼、所長兼、会計兼、その他もろもろ…と、仕事をしている私立探偵である。
そんなことはどうでもよくて、今は、なぜ僕がここにいるのかということだ。
僕はとりあえず適当に、今日の日付を聞いてみた。
「ん?2月5日だけど?なんかあった?」
「いえ、別に…」
そうなんだ、やっぱり。
時間が。
巻き戻ったんだ。
4
僕が雪山で死にかけたのは、2月6日の午後6時ごろである。
つまり、今が本当に『二月五日」なのだとしたら、時間が巻き戻っている。
実は登山する前日、僕は探偵事務所に訪れていたのだった。
雑用だけど。
とりあえず、僕がなぜこの時間に、時間軸にいるのかということを、まず考えよう。
…………
…………………
………………………
お湯。
お湯だ。蠍の時計。
推測するに、蠍の時計にお湯がかかると、時間が巻き戻る、みたいな?
そしてこれは僕の仮説なのだが、帰りたい時間を想像することで戻れるような気のがあるとか?
なんてご都合主義だ。
さらにさらに、今回の時間旅行は、ふたつほどのポイントに分けられる。
1、本人が二人同じ時間に存在しないタイプの時間旅行。
2、巻き戻した時間はそこから元の時間には戻らない。(今のところ仮説であるが、またその時のことを思い浮かべれば、戻ることも可能かもしれない)
「ということは、僕は危機を脱したのか・・・」
安堵のつぶやきが漏れる。
「え?なんだって?」
「いや、なんでもないです。記憶よ消し飛べ!」
そうか、と特に気にもしていない様子だが、僕としては、うれしい限りである。
あくまでもその時は……。
続く――。
まだ第一話ですが、まだまだ話は進んでいくので、引き続きお楽しみください。