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インサイダー

作者: 深月咲楽

『45○×、決戦は木曜日、外資系に買収、9万株、3000円』


 武久からのメールを見ながら、四季報をめくる。


「45○×、45○×……あった、棚沢製薬か」


 業界大手。株価は1500円台。


「信用買いってか? しかも倍やんけ。すっごい儲けになるな」


 俺は微笑みながら、ネット取引のページを開いた。


「お早う」


 デスクでパソコンを立ち上げていると、隣の席の良太に声をかけられた。


「おう、お早う」


 画面から目を離さずに返す。


「買ったか?」


 良太が席に着くなり、小さな声で尋ねて来る。


「おお、がっちり」


「俺もや。速攻」


 良太が笑う。


「今度もオイシイ思い、させてもらえんねんなあ。明日が楽しみやわ」


「ああ。喜美子様様やな」


 俺もつられて微笑んだ。


「利用してもうて、悪いような気もするけどなあ」


「本人は気付いてへんねんから、大丈夫や」


「そう言う問題なんか」


 良太は鼻で笑うと、俺の方を見た。


「ほんで、肝心の武久は?」


 言われて振り返ると、ヤツの席はまだ空いたままだ。


「あいつ、昨日まで出張やったしやしな。大方寝坊でもしてるんちゃうか」


 始業時間まで、あと3分。俺はメールのチェックを始めた。


 俺と良太、それに武久は同期入社の仲だ。お互い株をやっていることもあって、本当に気が合った。


 そして、俺達は今、いけない遊びにはまっている。


 最初の数字は銘柄。「決戦」は「高騰」、「土砂降り」は「下落」。次の項目は理由で、次が購入株数。そして最後が目標株価。これが、俺達の暗号だ。


 インサイダー取引。それはちょうど一年前、武久の一言から始まった。


「最近付き合い始めた女、社長秘書やってんねん」


「えっと、弘恵ちゃんやったっけ?」


 俺は聞いた。


「ちゃうちゃう、それは2人前の女の名前や。今のは、喜美子」


「で、社長秘書ってどこの?」


 良太が煙草を灰皿に押し付けながら尋ねる。


「中山証券」


「中山証券言うたら、業界最大手やないか」


 俺と良太は顔を見合わせた。


「どこで知り合うたんや?」


 良太が身を乗り出す。


「合コンや。30目前で相当焦ってるし、イチコロやったわ」


「男前はええわなあ」


 俺は溜息をついた。何とかいう二枚目俳優にそっくりな武久は、入社当時から女子社員の人気を独り占め状態。「食った」女は数知れず。生まれてこの方、モテたことのない俺にとっては、まさに羨望の的だ。


「で、美人か?」


 良太がにやにやしながら尋ねる。


「いや、十人並みやな」


「なんや、年増の上に並みか」


 武久の答えに、良太は一気に興味を無くしたようだ。


「せやけど、ごっつい金持ってるで」


「なるほどな。金目当てってわけか」


 武久はかなりの面食いのはずだ。俺は納得して頷いた。


「それが、や。持ってるのは金だけちゃうねん。情報もばりばりや」


「情報?」


 俺が聞き返すと、武久はにんまりと笑った。


「中山証券、M&Aも手掛けてるやろ? 買収やら合併やら、色んな情報が事前に入ってくんねん」


「お前、それって……」


 良太が驚いたように武久の顔を見る。


「ああ、わかってる。せやけど、今みたいにちまちま投資してたって、儲けられる額はしょぼいもんや。そうやろ?」


 武久が俺達を見回す。


「そんなん言うたかって、そう簡単には情報もらしたりせえへんやろ?」


 俺は煙草をくわえた。


「まったく。これやからモテへん男は困るわ。女なんてもんはなあ、惚れた男には何でも話してまうもんやねん。その上、結婚でもちらつかせてみ。ばっちりや」


 武久に呆れたように言われ、俺は肩をすくめた。


「喜美子には、株やってることは言うてへんねん。やってるってわかったら、話してくれへんようになるやろ? あいつの前では、株には関心ありませんって顔しとかなあかん。――そこで、お前らに頼みがあんねん」


 俺達は何となく顔を寄せ合った。


「お前らも儲けさせたるさかい、俺の片棒、担いでくれへんか?」


「――つまり、お前の情報に基づいて、俺らが取引するってことか」


 俺の言葉に、武久が頷く。


「儲けた分を3人で山分け。どうや?」


 俺と良太は顔を見合わせた。


「どうや? って言われても」


 良太が困った表情を浮かべる。


「ほんなら何や、お前はこれから先もへいこらへいこら、取引先のおっさんらに頭下げて生きていくんか。ほんで、スズメの涙みたいな給料もらって、細々と歳をとっていく……そんな人生、俺はまっぴらゴメンや」


「そら、俺かってそうやけど……」


 良太は泣き出しそうだ。


「その、喜美子ちゃんとやらの情報はたしかなんか?」


 俺が尋ねると、武久は嬉しそうに頷いた。


「おお。ごっつい信任を得てるみたいでな。社長にぴったりくっついてるわ」


「そうか」


 一生、金の心配をしながら生きていくなんて、俺だって絶対にイヤだ。俺の気持ちは決まっていた。


「その話、乗るわ」


「おっしゃ。良太は?」


 武久が尋ねる。


「喜美子ちゃんって子に悪くない? ほんまに結婚する気あるんか?」


「あるわけないやろ。結婚するなら、もっと若くて可愛い女がええわ。ある程度儲けさせてもらったら、そこでサヨナラや。当ったり前やんけ」


 武久が良太の方を見る。


「上手いことやってくれや。儲けもせえへんうちに、通報でもされたら仕舞いやからな」


 俺は煙草の火を消した。


「ほんで、良太はどないすんねん」


「――確実に儲かるんか? それに、もしバレたら……」


 良太はまだ不安そうだ。


「大丈夫やって。とりあえずやってみようや」


 武久の自信ありげな言葉に、ついに良太も頷いた。


 やり始めてみれば、それは実に簡単だった。


 最初はほんの遊び程度だったが、そのうちに動かす額はどんどん跳ね上がっていった。それに伴い、手にする額も何万から何十万、何百万になっていく。先月から信用取引を始めた俺達ひとり分の儲けは、ついに1千万を越えた。


 信用取引では、証拠金を入れるだけでその何倍もの額を動かせる。確実な情報を手に入れられる俺達にとっては、余りにもオイシ過ぎる金儲けだ。


  初めはしぶしぶだった良太も、今では情報を待ちわびるほどになっている。


「ついに億に手が届くかもしらんな」


「おお」


 牛丼屋で昼飯を食いながら、俺と良太は皮算用を始めた。車を買い替える。良太はそんなことを熱く語っていた。


「そうや、武久、まだ来てへんねんて?」


「ああ。携帯にも出えへんねん」


 俺は良太の顔を見た。


「昨日のメール、たしか夜の9時頃やったよな。結構早くに帰れたってことやろ? 寝坊したっていうのもちょっとなあ……」


 良太が、空になったどんぶりの上に箸を置く。


「たしかに俺も気にはなってんねんけど。――今度の儲けで、会社なんてどうでもよくなってもうたんちゃうか?」


 俺は茶をすすりながら答えた。


「上がるのは明日からやっちゅうねん。気の早い話やなあ」


 良太が笑って続ける。


「まあ、俺かって、近い内に退職届出して、世界一周旅行へ出発するけどな」


「お前、車買うんとちゃうかったんか?」


 俺も笑いながら、良太の脇腹を小突いた。


+++++++++++++++


 取引先を回り終え、駅へと急ぐ。ゲンキンなもので、これから大金が手に入ると思うと、頭を下げるのも全く苦にならない。


「今日は直帰するか」


 時計を見ると午後6時を過ぎている。連絡しようと携帯を手にしたまさにその時、着メロが鳴り始めた。


「なんや、びっくりするなあ」


 良太であることを確認して、電話に出る。そこから聞こえてきた言葉は、信じられないものだった。


「大変や。棚沢製薬が、倒産した」


「何やて?」


「ほんまや。それに……」


 何か言いかけた良太の言葉を無視して携帯を切ると、俺は駅に向かって走った。


 売店で夕刊を手にする。どの紙面を見ても、棚沢製薬倒産の文字が踊っていた。


「嘘やろ……」


 心臓の音ばかりが響き、声も出ない。


 倒産した会社の株価はゼロ。俺は一瞬にして、1億5000万近くの借金を抱えたことになる。


 ――もう、首をくくるしかない。


 気持ちの収拾を付けられないまま、手にした夕刊を見つめる。と、殺人事件を報じる小さな記事が目に入った。


「これは……」


 被害者の写真と名前を見て再び言葉をなくす。それは、紛れもない、あの武久だった。


 死亡推定時刻は、昨日の午後7~8時頃。警察は、付き合っていた女性を犯人と断定し、その行方を捜査中。


「ほんなら、あのメールを出したのは……」


 ――景色が、揺れた。


 しゃがみ込む俺を、雑踏が蹴飛ばしていく。口々につかれる悪態を聞きながら、俺はいつまでもそこにいた。



<了>


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