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第13話 最初で最後のクリスマス

 十二月に入り、駅前の商店街も、クリスマスカラーに彩られ始める。

 クリスマスかぁ……そう言えば、去年もその前も、特別なことは何もなかったな。

 あの人と結婚していた頃だって、家が和菓子屋さんだったせいか、クリスマスだからと言って、特にイベントもなかったし。

 小さなケーキ屋さんの前で立ち止まる。イチゴがのった、ふんわり生クリームのケーキの写真に、「予約受付中」と書かれたポスターが目に入る。

 ケーキ、美味しそう……だけどこれを、クリスマスの夜に一人で食べるのは寂しすぎる。

 そう思った時、なんとなく、社長と鷲尾くんの顔が頭に浮かんだ。

 あの二人も、絶対クリスマスに予定なんてないだろう。そうだ、一緒にケーキ食べるの、付き合ってもらっちゃおう。

 さっそくそのケーキ屋さんで、一番小さいサイズのデコレーションケーキを予約した。

 そうしたら、何の予定もなかったはずのクリスマスの夜が、ちょっと楽しみな夜に変わった。


「あれ、睦美さん?」

 ケーキ屋さんを出た時、誰かに呼びかけられた。振り返ると『グリーンハウス』の和田さんが、そこに立っていた。

「今、帰り?」

「はい。和田さんもですか?」

「いや、僕はまだ仕事中。残業になりそうなんで、夜食買いにね」

 和田さんはそう言って、手に持っていたコンビニの袋を私に見せる。

「忙しいんですね」

「そうでもないよ」

 私に笑いかけた和田さんは、思い出したように私に言う。

「そう言えば、鷲尾くん元気?」

「はい」

「あいつ、俺のラブコールに、全然応えてくれないんだもんなぁ」

 そう言えば鷲尾くん、和田さんの会社に誘われてたんだっけ。

「今度、飲みに行こうって言っておいてよ。ボーナス出たら、おごってやってもいいぞって」

「言っときます」

「じゃあ」

 和田さんは私に軽く手を上げ、爽やかに背中を向けて去って行く。

 駅前のビルにある和田さんの会社は、まだとても明るくて、潮時かもなんて言われているうちの会社に勤める鷲尾くんは、和田さんのことどう思っているんだろうなんて、ちょっと考えた。


 翌朝、まだ出勤してこない社長の代わりに、お花の水やりをしていると、寒そうに背中を丸めた鷲尾くんが声をかけてきた。

「おはよーございます。今日は社長じゃないんですか? 水やり」

「あ、おはよう。うん、まだ社長来てないから」

「てことは、二日酔いだな」

 そういえば昨日、同業者の社長さんたちの忘年会があるって、社長言ってたっけ。確かその中に、グリーンハウスさんも入っていたはず。

「ねぇ、鷲尾くん。私、昨日、和田さんに会ったよ?」

 寒い寒いなんて言いながら、店に入りかけた鷲尾くんの背中に声をかける。

「今度、飲みに行こうって。おごってやってもいいぞって」

「はぁ? なんで俺が和田さんと?」

 鷲尾くんは振り返り、私に向かって言う。

「冗談じゃないですよ。クリスマスムードのこの時期に、なんであんなおっさんと。あの人と飲みに行くぐらいなら、俺、睦美さんと行きます」

 え? それって、どういう……。

「和田さんと行くよりは、睦美さんと行ったほうが、多少はマシってこと」

「ま、マシってなによ? 失礼ねっ」

 はははっと笑った鷲尾くんが、出勤してきた社長に気づく。

「あ、社長、おはようございます」

「おはようございます」

 だけど社長はいつもと違う難しい表情で、私たちに言った。

「ちょっと大事な話があるんだ。二人とも、店に入ってくれないか?」

 なんだかすごく嫌な予感がした。思わず隣に立つ鷲尾くんの顔を見る。

 鷲尾くんはただ黙って、店へ入って行く社長の背中を見つめていた。


「突然だけど、この店は、今年いっぱいで閉店にしようと思う」

 鷲尾くんからなんとなく聞いていたとはいえ、社長のその告白は、私にとってものすごくショックな一言だった。

「むっちゃん、本当に申し訳ない。新しい就職先は、僕が責任を持って紹介するから」

「い、いえっ、私のことはどうでもいいんです。でも、どうして……」

「ずっと考えていたことなんだよ。僕ももういい歳だし、そろそろ引退して、楽させてもらおうかなぁなんて」

「そんな、社長はまだお若いです。まだまだやれます。社長が辞めてしまったら、大家さんも入居者さんも困ると思うし」

 そう言いながら、隣に座る鷲尾くんを見る。鷲尾くんはうつむいたまま、何も言おうとしない。

「ね、ねぇっ、鷲尾くんもそう思うでしょ? 私たち、もっと頑張るよね?」

 ちょっと、何とか言ってよ。このままこの店が、なくなってしまってもいいの?

 すると鷲尾くんは、ゆっくりと顔を上げて社長に言った。

「俺、辞めませんよ?」

 社長が私から鷲尾くんへ視線を移す。

「グリーンハウスになんか、行きませんよ?」

「ダメだ」

 社長の低い声が店の中へ響く。

「君はクビだ」

「な、なんでですかっ!」

 鷲尾くんが私の隣で立ち上がる。

「なんでそんなこと言うんですか? 一緒に頑張ろうって言ったの、社長でしょ? 社長と奥さんで作ったこの店で……一緒に頑張ろうって」

「そうだ。だけどもう君は必要ない」

「なんでっ」

「繭子はもう、ここにはいないんだよ」

 社長の口から出たその言葉に、鷲尾くんの動きがピタッと止まる。

「君はここにいる限り、いつまでも立ち止って、前へ進もうとしないだろう? そんなの、繭子は望んでいない」

 社長は小さく一つ息を吐き、そして続けて鷲尾くんに言った。

「和田くんのところへ行きなさい。まだまだ学ぶことはたくさんある」

 社長、聞いたんだ。和田さんが、鷲尾くんを誘っていたこと。だから……。

 鷲尾くんは何か言いたげに社長を見て、だけどそれを飲み込むように唇をかみしめた。

 そして乱暴に椅子を蹴飛ばすと、黙って店を出て行った。

「鷲尾くん!」

 どうしよう。どうしたらいい?

 社長は肩を落としたようにうなだれて、椅子に座り込んでいる。

 鷲尾くんを想う社長の気持ち。社長を想う鷲尾くんの気持ち。二人の気持ちはどちらも間違っていないのに……。

「……むっちゃん」

 やがて社長がぽつりとつぶやいた。

「歩道橋」

「え?」

「歩道橋の上、見てきてくれないかな」

 私はいつか聞いた、鷲尾くんの話を思い出す。

「またあの子が、ヘンな考え起こさないように……見てきてやってくれないかな」

「……はい」

 うつむいたままの社長を残し、私は店の外へ出る。

 店先に植えられたパンジーの花は、北風にあおられながらも、まだたくましく咲いていた。


 クリスマスカラーの町を抜け、国道に架かる歩道橋の上にのぼる。

 社長が言った通り、鷲尾くんはそこにいた。

「……鷲尾くん」

 鷲尾くんは手すりにもたれて、ぼんやりと行き交う車を見下ろしている。

 私はゆっくりとその隣に立つと、鷲尾くんの視線の先を追いかけた。

「五年前の……こんな寒い日に」

 やがて鷲尾くんが、独り言のようにつぶやいた。

「この下の国道で、事故があったんだよ」

 私は黙ってその声を聞く。

「女の子が、道路の反対側に立つバカな男に向かってさ、嬉しそうに手を振りながら、青になったばかりの横断歩道、走って渡り始めて……だけどそこに、わき見運転のトラックが突っ込んできてさ……その子、死んじゃった」

 鷲尾くんはそこまで言うと、はぁーっとため息のような息を吐き、空を見上げた。

「なんで俺、あそこにいたんだろうなぁ……俺があそこにいなかったら、走って渡ったりしなかったよなぁ……」

 空を見たまま鷲尾くんは、ほんの少しだけ口元をゆるめる。

「ほんと、バカなんだよ、あいつ。めっちゃ嬉しそうな顔して走ってくるんだもん」

「鷲尾くん……」

「最期に見せた顔があんな顔だなんて、ずるいだろ?」

 ふっと笑った鷲尾くんが、ゆっくりと私のことを見る。

「一生……忘れられなく、なっちゃうじゃん?」

 冷たい風が、私たちの足もとを吹き抜ける。

 彼女のこと、忘れろとも、忘れるなとも、私には言えない。

 でもわかっているんでしょう? どうすることが一番いいのか……鷲尾くんはもう、自分でわかっているんでしょう?

「だけど……社長の気持ちもわかるから」

 風に流されてしまいそうな、その声を聞く。

「何もかも嫌になって、ここから飛び降りようとしたあの日。俺を止めた社長も、本当は死のうと思ってここに来たんじゃないのかなぁ、なんて……思うから」

 体の向きを変えた鷲尾くんは、手すりにもたれるようにして私を見た。

 そうだね。二人の想いはいつだって同じなんだ。繭子さんを想う気持ちは、これからも、どこへ行っても、ずっと……。

「鷲尾くん」

 そんな鷲尾くんに私は言う。

「店に戻ろう? きっと社長、鷲尾くんのこと、心配してるよ?」

 小さく私に笑いかけ、鷲尾くんがうなずく。

「睦美さん」

「うん?」

「俺、和田さんに連絡してみようと思う」

 私は黙って鷲尾くんを見る。

「だってクビなんだろ、俺。就活するしかないじゃん?」

「クビだったら、仕方ないね」

「ん……仕方ない」

 そうつぶやいて、鷲尾くんが見上げた空を、私も一緒に見る。

 泣きたいくらい青い空が、私たちの上に、どこまでも遠く続いていた。


「ありがとうございましたー」

 店員さんの声を背中に聞きながら、ケーキの箱を大事に抱えて店を出る。

 お店にいるはずの二人にこれを見せて、一緒に食べようって言ったら驚くかな?

 結局、大河内不動産は、年内をもって閉店することになった。

 うちが管理していた物件の引き継ぎや、大家さんへの挨拶回りなどは、年明けも引き続き、社長が行うことになっている。

 社長は、いつの間にか知らないうちに、そのあたりは準備していたみたいで、私たちが心配することは何もないらしい。

 そして私の勤め先も、社長がいくつか紹介してくれたけど……今の私は、大河内不動産以外で働くなんて、まだ考えられなかった。


 営業時間は終わっていたけれど、店の灯りは冬の町にぽっかりと灯っていた。

 すぐに戻りますと言って出て行ったから、社長は私が戻るのを待っていてくれてるんだろう。

「ただいま、社長!」

 そう言って、笑顔で店の中へ入る。だけど私は、ケーキの箱を差し出しながら、「あっ」と小さく声をあげた。

 目の前のカウンター机の上に、私と同じ包装紙のかかった、同じ大きさのケーキの箱。

「あ、いや、これね。一人じゃとても食べきれないから……」

 社長は照れくさそうな顔をして、私に言い訳がましいことを言う。

「あ、あの、私も……一人で食べたら太っちゃうかなーなんて思って」

 社長と顔を見合わせて、思わずお互い苦笑いする。

 そんな私たちの耳に、鷲尾くんの能天気な声が聞こえてきた。

「メリークリスマス! 社長、睦美さん! ケーキ一緒に食いませんかー?」

 ま、まさか、鷲尾くんまで?

「おわっ? なんで?」

 店に入ってきた鷲尾くんの手には、三つ目のケーキが抱えられていた。


「あのさー、なんでよりによって、全部同じケーキなわけ?」

「私はずっと前から予約してたんだもん」

「……僕もだよ。たまには三人でどうかなぁって思って」

「俺も予約してましたから! きっと一番先に!」

「一番先は私です。絶対」

「まぁどっちでもいいから。せっかくだから、いただきましょう」

「あ、私、ナイフ持ってますよ」

 カウンターの上で、ケーキを小さく切り分ける。

「よかったら、これもどうかな?」

 社長がそう言って取り出したのは、缶ビール。

「だったら、肉も買ってくればよかったですね」

 ああ、チキンね。そんな鷲尾くんの声に、社長が言う。

「そう言えば、商店街でいい匂いがしてたよなぁ。焼き鳥の」

 クリスマスに焼き鳥ですか、社長。でもビールに焼き鳥……いいかも。

「鷲尾くん、ちょっとひとっ走り、買ってきてよ」

「はぁ? なんで俺? 睦美さんが行けばいいじゃないですか」

「最初に肉って言ったの、鷲尾くんでしょ?」

 私の声に合わせるように、社長がポケットからお札を取り出した。

「これで適当に買ってきてくれる? よろしく、鷲尾くん」

「社長まで……」

 だけど鷲尾くんが、社長に絶対逆らえないって、私は知ってる。


 ぶつくさ言いながら、焼き鳥を買いに行った鷲尾くんを待って、缶ビールで乾杯をした。

 私と社長と鷲尾くんの、三人で過ごす、最初で最後のクリスマス。

 もうこんなこと、二度とないんだなぁなんて思ったら、なんだかすごくさみしくなって……ついこぼれ落ちた涙を、私はお酒のせいにしてごまかした。

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