表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

第1話 アパートひと部屋ご契約

「今日もいい天気だねぇ……」

 電卓を叩く私の耳に、のん気な声が響いてくる。

「こんな天気のいい日はアレだね。海にでも行って、ひと泳ぎしたいところだね」

 ぴたりと電卓の上で指を止め、私は顔を上げて声の主をにらむ。

「そんな暇はありません! ちょっと黙っててもらえませんか? 社長!」

 私の鬼気迫る声に恐れをなしたか、社長はメタボ気味な体を椅子の上でギシリと動かし、小さな声で「はい」と返事をした。


 気を取り直して机に向かい、電卓と帳簿を見下ろす。

 確かに外はいい天気だけど。店にお客さんはいないけれど。私だって海に行って、ひと泳ぎしたいところだけど。

 月末の今日、私にはやらなきゃいけない事務仕事が山ほどあるのだ。

「……むっちゃん」

 再び電卓を叩き始めた私に、社長の遠慮がちな声が聞こえてくる。

「お茶、いれてくれないかなぁ? 熱いヤツ」

 顔を上げて、社長のことをにらみつける。

「あ、やっぱ無理だよね。自分でいれます」

 今年六十になる我が社の社長は、私に苦笑いしながら、自分でお茶をいれ始めた。


 小さな町の片隅に、ひっそりと建っているこの店――大河内不動産。

 扱っている賃貸物件は、近隣の学校へ通う学生さんや、一人暮らしを始める単身者向けのワンルームがほとんどだ。

 お客様に、心から喜んでいただけるようなお部屋を探してあげる、お客様第一の店……っていうのが社長の売りだけど、お店は小さくて狭くて古い。

 べたべたと物件の間取り図が張られたガラス窓。その隙間から覗きこんだ店内には、二つの事務机とカウンター代わりの長い机があって、いつもそこに社長が暇そうに座っている。

 一度入ったら、二度と出てこられないような入りにくい店――私がお客さんだったら、絶対そんなふうに思うと思う。

 働いているのは、十年前に奥さんを亡くした独り身の社長と、バツイチ子供なしの事務員の私。

 それから今ちょうど、物件案内に出ている営業担当の男性社員。

 その三人だけ。

 ほとんどお客さんは来ないから、これだけいれば十分なんだけど。


「そういえば、鷲尾くん、遅いですね」

 私は時計を見上げながら、お茶をすすっている社長に言う。

「お客さん、若い女の子だったからねぇ……二人で仲良くお茶でもしちゃってるんじゃないの?」

「そんなこと、するわけないじゃないですか!」

 と言いつつも、ありえないことでもないかな、なんて思ったりもしてる。


 社長お気に入りの社員、鷲尾くんは、私より二つ年下の二十六歳。正直、黙っていればイイ男、ではある。ちなみに独身、彼女なし。

 だけど彼が黙っているはずはなく、生まれ持ったその甘い顔立ちと、嘘と紙一重の調子のいい話術で、我が社の営業を全部任されている。

 そして大河内不動産の社運は、この若き営業マン、鷲尾くんの腕にかかっていると言っても過言ではない。


「それじゃ僕は、アパートの巡回にでも、行ってきますか」

 社長が「よっこらしょ」っと、見た目も実際も重たそうな腰を上げる。

 毎日社長は「巡回」という名目で、うちが管理しているアパートを巡り、大家さんや入居者さんと立ち話をしてくる。

 まぁ、それが非常に長くて、ほとんど一日つぶれちゃうんだけど。

 だけど社長は毎回、大家さんの話も入居者さんの話も丁寧に聞いて、困ったことがあれば円満に解決してきてくれる。

 それによって、大家さんは気持ちよくお部屋を貸すことができて、入居者さんは気持ちよくお部屋に住めることになるのだ。

「じゃあむっちゃん、あとよろしくね」

「はぁい。行ってらっしゃい」

 社長が店を出て行ったのを確認し、家賃精算の続きを始めようとした時、店のガラス戸がカラリと開いた。

「ただいま戻りましたぁ! 睦美さん!」

 そう言いながらにこやかに現れたのは――我が社期待の営業マン、鷲尾くんだ。


「お帰り、鷲尾くん。ていうか、一人? お客さんは?」

「あ、この後、別の業者の物件見て回るらしくて、駅前の不動産屋に降ろして来てあげました」

「はぁ? わざわざうちのお客さんを別の店まで送ってあげたの?」

「いや、だって、通り道だったし」

 まぁ、親切というか、人が良いっていうか。

「あっちー、外マジで暑いっすよ。睦美さん、なんか飲み物ちょうだい」

 鷲尾くんはネクタイを緩めながら、エアコンの前の椅子にドカッと座りこむ。

 うん、確かに外回りは大変だろうけど。

「お客さんの反応どうだった?」

「うーん、どうだろ。家賃的には満足だったみたいだけど。古いからね、うちの物件」

 そうなのだ。確かにうちの物件は、どれも昔ながらのアパートって感じで古い。

 だから今どきの若い子たちは、オシャレなマンションを数多く取り揃えている、駅前の大きな不動産会社へと、どうしても流れてしまう。

 だけどそれでも私たちは、そんな我が社の物件を、胸を張って紹介できる。

 確かに建物は古いけど、巡回に回った社長は、空き部屋をいつも綺麗に掃除しているし、傷んだ箇所は自分で丁寧に直している。

 大家さんも他の住人さんも、悪い人はいないって保障するし、とにかく家賃がどこよりもお手頃。


「あっち! なんだコレ!」

 私がいれてあげたお茶を手に取った鷲尾くんが叫ぶ。

「このクソ暑い日に日本茶かよ? アイスコーヒーとかないのー?」

「なっ……」

 人がせっかくいれてあげたお茶を……。

「いらないなら飲まなくてけっこうです! そこの自販機で缶コーヒーでも買って来れば!」

「あ、うそうそ。ごめんなさい、睦美さん」

 鷲尾くんはそう言うと、にこっと笑って私を見る。

 ちょっとやめてよ、そんな笑顔で人のこと見ないでよ。

 その笑顔に何人もの女の子が惑わされたか、私は知っているんだから。


「すみません……」

 その時、店のガラス戸が開いた。

 ちょっと恥ずかしそうな顔をした、若い女の子が立っている。

 あ、さっき鷲尾くんが案内したお客さんだ。

「い、いらっしゃいませ!」

 女の子は私のことは見向きもせず、まっすぐ鷲尾くんの前に進んで言う。

「あの、さっきのお部屋、お借りしたいんですけど」

 ちょっと驚いたような顔をしたあと、鷲尾くんはとっておきのスマイルを彼女に見せる。

「ありがとうございます!」

「やっぱり、鷲尾さんに紹介してもらったお部屋が一番いいと思って」

「そうでしょうね! なんせ、我が社の一押し物件ですよ。大家さんが一緒に住んでるから、女の子の一人暮らしだって安心、立地条件も文句ないし、日当たり良好。お日様の良く当たる部屋は、なんたって気分が明るくなりますから!」

 調子のいいことを言いながら、鷲尾くんは彼女をさりげなくエスコートして椅子に座らせる。

「あ、睦美さん! アイスコーヒーひとつ……いや、ふたつお願いしますっ!」

 私にピースサインを出しながら、鷲尾くんは勝ち誇ったような笑顔で言う。

 あの、うちは喫茶店じゃないんですけど……ま、いいか。


 申し込みを済ませたお客さんが無事に帰ったあと、私は店頭の間取り図に「お申込済」と書かれたシールをぺたっと貼った。

 アパートひと部屋ご契約。理由はともあれ、めでたいことだ。

「お、その部屋決まったの?」

 掃除道具を両手に持った社長が私に言う。

 タオルを鉢巻みたいに額に巻いて、作業着姿で、汗をいっぱいかいている社長は、今日もお部屋を綺麗に掃除してきてくれたんだろう。

 お客さんが、いつでも気持ちよくお部屋に住めるように。

「はい。鷲尾くんが決めてくれました」

「さすが鷲尾くんだねぇ。かわいかったしね、あのお客さん」

 かわいかったから……張り切って案内しちゃったってわけですか?

「むっちゃん、お茶いれてくれない? あっついヤツね」

「はぁい」

 社長と一緒にお店へ入る。

 空は夕焼け。明日もいい天気になりそうだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ