第1章 台北奪還作戦 ~その6~
「不満ですか?」
「まさか。紅家のおかげでモルモットにならずに済んでいるんだ。妹が、織姫が当主になることに異存はないよ」
「いえ、そういうことではなくて」
う~ん、と日南は腕組みして唸った。
「自分ばかりを戦わせて、何とも思わないのか? と聴いているんですよ」
今回の台北奪還作戦も、虹七家からは悠斗しか参戦していない。
2年前のソウル防衛戦の際は、さすがに他にも数名参戦していたが。
地理的、戦略的な観点からすれば韓国を重要視するのは理解出来た。
しかし虹七家は台湾を軽視しているのか、はたまた2人を派遣すれば事足りると判断したのかは知る由もない。
「他人を羨んでも仕方ないさ」
そう、仕方ない。
10年前のあの日。
家族を失い、ある強大な精霊と契約を交わしたときから、全ての物事に対して悠斗の面持ちには諦念の色が浮かぶようになっていた。
どのような経験をすれば、そんな顔になるんだというほどに……。
「そうですか。僕としては、ろくに戦場にも出たこともない虹七家の坊ちゃん連中より、悠斗君のが親しみやすいんですがね」
そのくせプライドだけは一人前ですし、と付け加えて日南は片頬を歪めて笑った。
「違いない」
つられて悠斗も笑みを零した。
以前、虹七家の会合に参加したときなど、同年代の連中に散々なじられたものだ。
――契約精霊が必要なのであって、お前自身には何の価値もない。
――強力な精霊と契約しているのだから、お前が戦うのは当然だ。
と。
好んで精霊使いになったのではない悠斗と、周囲からの期待を一身に背負い精霊使いにならざるを得なかった彼らとでは反りが合うはずもない。
さらにいえば、自分達よりも格上の精霊と契約しているという事実もプライドを刺激されたに違いない。
嫉妬も多分に含まれているのだろう。
ただ、それは今だから受け止められるのであって、当時まだ小学生だった悠斗は何故そこまで剥き出しの敵意を自分に向けてくるのか全く理解できなかった。
とにかく虹七家の人間といる際、悠斗はひたすら我慢を強いられた。
だが、もう我慢をする必要はないと悠斗は勘付いていた。
「虹七家以外の身の振り方か」
強力無比な精霊と契約を交わし、強大な精霊魔法を行使することができ、特一級精霊使いの肩書を持っている。
悠斗の中に虹七家から抜け出そうとする意志が芽生えたとしても、何らおかしくはない。
「自衛隊の精霊大隊にでも、就職するつもりですか?」
精霊使いの受け入れ先として、自衛隊は最大のものである。
その中でも精霊大隊は精霊魔法に対してエキスパートを自認している部隊だ。
2年前のソウル防衛戦でも米軍と共に主力を担った。
それでも悠斗なら即戦力として採用されるだろう。
「それも悪くないかもな」
「僕としては悠斗君に紅家の跡取りになってもらって、虹七家を中から変えてもらいたいんですがねえ」
さらりと日南は大胆な発言をかましてくれた。
「そんな簡単にはいかないさ」
非凡な才能を持った精霊使い達で形成される虹七家。
その力は日本国内では圧倒的で、質だけで見れば自衛隊の精霊大隊を優に凌いでいた。
精霊魔法という武力は、もはや国家にとって欠かすことの出来ない重要な戦力だ。
日本が他国に後れを取らないためにも、虹七家の力は不可欠なところまできてしまっていた。
それ故、虹七家は日本国政府に対して隠然たる影響力を持っていた。
いくらなんでも悠斗1人でどうにかなるほど、生易しい組織とは思えない。
「もともと部外者の悠斗君だからこそと思いましたが、まあ頭の片隅にでも入れておいてください」
意味深な発言を残して、日南は病室を立ち去った。
「あのおっさん、何を企んでいる……?」
将来はともかく、現時点で悠斗に政治力は一切ない。
それなのに日南はけしかけてくる。
なんらかの意図があるのは明白だった。
しかし悠斗は、ただの与太話と撥ねつける。
確証があるわけではないし、駒として利用されるのは誰であっても愉快な気分ではないからだ。
「お兄様! 倒れたと伺ったのですが、大丈夫ですか?」
空港に到着し、顔を合わせた織姫の開口一番がこれだった。
帰国する。
そう連絡を入れたら、飛行機の到着時刻をしつこく聞いてきたのだ。
悠斗は根負けして、織姫に自分が搭乗する便を教えた。それでわざわざ迎えにきたのだ。
「ああ、大丈夫だよ。むしろ、いい骨休みになった」
冗談めかして悠斗は笑うが、特別な計らいで病室は個室のハイグレード、食事も豪勢な中華料理だった。
下手なホテルに宿泊するよりくつろいでしまったのだ。
「兄思いの、良い妹さんですね」
一緒に帰国した日南が小声で囁く。血の繋がりのないことや、諸々の事情を知っているので嫌味に聞こえない事もない。
「それより日南さん。例の件、よろしく頼みますよ?」
「ええ、それはもちろん。ですが、あまり期待はしないでください」
「わかる範囲でいい」
「なるべく早く、報せますよ。では、僕はこれで」
日南は織姫にも手を振り2人と別れる。
上に報告書を提出したりと、色々な面倒があるらしい。
どちらかといえば、日南は精霊使いというより官僚的な立場にいるように見える。
「よかったのですか、お兄様?」
「ああ。今後のことは散々機内の中で話し合ったさ」
「例の件とは、また戦いに行かれるのですか?」
「2年前のソウル防衛戦以来、中国は大人しい。しばらく戦いに行く予定はないよ。それとは別件だ」
「そうですか」
織姫はほっとした。
いつも、いつも不満で一杯だった。虹七家は日本でもトップクラスの精霊使いを多く抱えている。
それなのに何故、自分と同じ年齢の少年を戦わせるのだろうか?
織姫には全く理解出来ないし、したくなかった。
「どうして、お兄様が危険な目に遭わなければならないんですか?」
上目遣いで悠斗の顔を覗き込む織姫の瞳には涙が浮かんでいた。
思わず悠斗は天を仰ぐ。日南にも同じような事を聞かれたが、答えは出てない。
「じゃあ、織姫が変えてくれ」
「え?」
「紅家の当主になって、虹七家でも実権を握って現状を変えるんだ」
「そ、そんなこと、私には無理です」
「だが織姫は、それが可能な立場にいる」
すでに織姫は虹七家でも紅家の次期当主として認められている。
「お兄様が紅家の当主になるべきです。私よりもずっと相応しいじゃないですか!」
「それは駄目だ。俺は紅家の血を受け継いでいない」
血は水よりも濃い。精霊使いとしての資質は遺伝することが大半だ。
優秀な精霊使いの家からは、優秀な精霊使いが輩出される。
悠斗の場合は実戦の中で精霊使いとしての技量が磨かれていったのであって、死んでしまった両親に精霊使いとしての資質は皆無だった。
「そんなことは関係ありません。お兄様のが私より契約精霊も、精霊力も、経験も、何もかも優れているではありませんか!」
「能力が高ければ跡を継げる世界じゃないのは、織姫も知っているはずだ」
「でしたら……」
織姫は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
代わりに悠斗の、義理の兄の手を掴む。
「お兄様は強情ですわね?」
「そうかな? 織姫ほどじゃないと思うけど」
「もう!」
ふくれっ面になった織姫は掴んだ手を引っ張り駆け出した。
やはり言わなくてよかった。
――私と結婚すれば、全て丸く収まります。
などと。
「おいおい。織姫、どうしたんだ?」
そんなことは露知らず、悠斗は呑気なものだった。
「急いで帰りましょう、お兄様」
「そんなに急ぐ必要はないだろう?」
「早く私の作った料理をお兄様に食べてもらいたいんです!」
それを聞いて悠斗は真顔で考え込む。
確か織姫はあまり料理が上手ではなかったはず……。
まあ、それは脇に置いておこう。
ただ、この義理の妹がどうして自分のことをここまで慕ってくれるのか、悠斗にはわからない。
「心配したんですよ……? 本当に」
「ごめんな、織姫」
織姫の気が済むまで、悠斗はされるがままでいた。