第1章 台北奪還作戦 ~その2~
「日南さん、どういうことなんだ?」
事情を把握していない悠斗が話を続けるよう促した。
「クーデター派には『江東の虎』がいるんですよ」
「江東の虎?」
「広大な中国でも有数の武人ですよ。そんな人物がどうして台湾にいるのかは知りませんが……」
キレ者の日南であっても想像の範疇を超える事態というのはある。
「日南殿の仰る通り、江東の虎が最大の障壁となっています」
「確かに手強い相手です」
先ほどの戦いづらい理由を聞かされたときとは打って変わって、日南は顎を手でさりながら何事か思案にふける。
そして……、
「わかりました。我々が江東の虎の相手を務めましょう」
片頬を歪めた笑みを浮かべて言い放った。
悠斗には嫌な予感しかしない。
「我々、ね」
誰にも聞こえないよう、ぽつりと悠斗は呟いた。
「江東の虎は精霊使いとしても一流の軍人です。一筋縄には……」
「ええ、いきませんよ。現に江東の虎1人のために総統軍の被害は拡大しているわけですから」
「では、どうして?」
「貸しを作っておきたい、という理由じゃ駄目ですかねえ?」
周りを見回してから、日南は続ける。
「台湾はアジア圏では珍しく親日派です。精霊の出現によって再び世界は不穏な情勢になりつつある今、少しでも日本の味方を作っておきたいんですよ」
「……………………」
薄気味悪い笑い方をしている男が、そこまで考えているとは思いも寄らなかったのだろう。
悠斗以外の全員が声を失っていた。
「それに、あまりグズグズしているヒマは無いと思いますよ? 中国江南軍が動き出す可能性を考慮に入れると、ですが」
今度は絶句する。誰も予期していなかった発言だ。
「日南さん、その情報は確かなのか?」
そこまで煽る必要があるのか?
悠斗は厳しい視線を投げつけた。
「嘘だと思っているんですか? 実際、クーデター派は応援を頼んでいますよ。そもそも江東の虎が台北に入っているのが、何よりの証拠じゃないですか」
日南は得意げに片頬を歪めた笑みを浮かべる。
「事態の収束に手間取れば、必ず治安維持を名目に出動しますよ」
そして、拡大路線を掲げる中国はそのまま台湾を併合してしまう……。
誰もが容易に想像できるシナリオだった。
「ですが、そんな口実を与える隙を作らせはしません。我々が江東の虎を抑えている間に、台北の奪還をお願いします」
珍しく熱を帯びた日南の口調に、司令官は決断を下した。
「それしか無いようだな。これから総攻撃をかける」
命令が発せられた途端、幕舎にいた幹部達の動きが活発になる。
日南の言う事が正しいのなら、今回の攻撃で決着をつけなくてはいけない。
「そうだ司令官殿。1つお願いがあるのですが」
まるで今しがた気付いたかのように、日南は司令官に声をかけた。
「何だね?」
「1人、白兵戦技術に秀でた兵を貸していただけませんか?」
「それは構わんが、どうする気だ?」
「悠斗と組ませて、江東の虎にぶつけます」
日南のその策は何のことはない、悠斗に厄介事を押し付けただけである。
先ほどの嫌な予感は、これだったのか……。
悠斗はげんなりした。
燃え盛る炎の中で、孫虎江は1人の精霊使いと対峙していた。
それは中央から下された暗殺のターゲットである。
まだ若かった孫はターゲットを見かけるや否や、街中で仕掛けてしまった。
中央から暗殺の指令が下されるほどの人物である。
精霊使いとしての実力も相当なものだった。
そして、孫も若くして暗殺を任されるほどの手練れだ。
この2人が街中で戦えばどうなるか?
孫はそこまで考えが及ばなかった。
無理もない。
これまで孫が暗殺してきた日本の精霊使い達は、あまりに骨がなかった。
だから今回も楽に片が付く。そう思い込んでしまった。
しかし、孫の予想は裏切られた。
手ひどい反撃を受けた挙句、瞬く間に精霊魔法が拡散し周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図となる。
こうなると日本の警察機構や自衛隊も黙ってはいない。
時間がかかればかかるほど、脱出が困難になる状況に追い込まれてしまった。
それでも辛うじて逃げおおせることが出来たのは……。
「この精霊力は、一体?」
2人のすぐ近くで精霊力が異常な高まりを見せた。
ターゲットがそちらに気を取られた一瞬の間に、孫は逃走を図った。
当然、孫も天井知らずに高まった精霊力が気にならないはずがない。
だが、それも命あっての物種だ。
引くべき時は、迷わずに引く。
そうでなけれな生き残れない。
それに今回のターゲットの男は、孫がこれまでに出会ったことのないタイプの精霊使いだった。
孫は得物にファイティングナイフを好んで使う。
急所を突けば、確実に殺せるからだ。
ファイティングナイフを使った近接戦闘に精霊魔法を織り交ぜた戦い方が、孫の戦闘スタイルである。
今回も自分のスタイルで戦った。
そして、孫のファイティングナイフはターゲットの急所を捕えた。間違いなく手応えはあった。
にも関わらず、ターゲットは死なない。
さらに、あろうことかファイティングナイフで斬りつけた傷がみるみる塞がっていくのだ。
孫は心臓が凍りついた。
戦士としての直感が危機を告げていた。
燃え盛る炎がぱっと消え去ったのも運が良かった。
おかげで幸運にも孫は無事に協力者の集う横浜の中華街まで辿り着くことが出来た。
10年ほど前のことである。
ただし、このとき暗殺に失敗したことで中央から孫は疎まれ、孫家は遠ざけられた。
以降は危険な最前線をたらい回しの憂き目にあう。
けれども、それがかえって孫を強くした。
絶望的と思われる状況でも生き延び、数多くの武勲を立てた。
実戦を経る度に、死線を越える度に孫は力をつけた。
いつしか『江東の虎』と呼ばれ、その名は周辺諸国が恐れを抱くほどにまでなった。
中央といえども無視できない存在にまでのし上がったのだ。
だが孫には10年前の苦い記憶が頭から離れない。
あの戦いに比べれば、どの戦場もさほどの困難ではなかった。
自分は、まだ及ばない。
だから今、こうして台北にいる。
中央からの昇進の辞令を蹴ってまで最前線に立っている。
10年前の借りを返すために、江東の虎は常に戦場を駆けるのだ。
総統軍の総攻撃の様子を、孫は不敵に笑いながら眺めた。
そして自ら迎え撃つべく動く。
しかし、孫は知らなかった。
自分によって運命を変えられた少年が、この戦場にいることを……。