1.オニコイ
あのときも、そうだった。
お母さんの細い指が、黒電話のダイヤルを回す。
ジリリリリ……
音を立てて、ゆっくりと円形のダイヤルが戻って行く。
また、回す。
ジリリリリ……
「……オニマイ・オニマイ・オニマイ」
なんて意味なの?
お母さん、どこに電話を掛けてるの?
指は止まらない。穴に突っ込んでは、くるくるとダイヤルを回す。
ジリリリリ……
「オニヨイ・オニヨイ・オニヨイ」
まだかけてる途中だよね。
誰に向かって喋ってるの?
かちゃり
受話器から、相手が出た音が響いてきた。
真維は、足を止めた。
だめだ、聞いちゃいけない気がする。
でも……。
あの時は、素知らぬふりで二階の自室に戻ったけれど。
お母さんの時と同じだもの。今、「ニーナママ」がしてることは。
聞きたい。次は何て言うの?
息をひそめて、耳をそばだてた。
広い屋敷の廊下は、長く続いている。
玄関近くに置かれた電話台は、ここから遠く離れているけれど。
真維は耳がいいのだ。呟くような継母の声を、ちゃんと聞き取った。
「オニコイ・オニコイ・オニコイ……!」
そうして。それは、翌日の晩に実現した。
◆ ◆ ◆ ◆
「旦那様、鬼が来ました」
女中の麻さんが、平然と伝えて来た。
まったく乱れた様子がない。
和服に割烹着、きっちり結い上げた髪、全てが完璧だ。
だが、告げられた主人は、見るも無残に狼狽えた。
夕餉の後、ゆったりと喫していた緑茶を、思いきり噴き出す。
「……ま、またか?」
落っことした湯呑が、ころころ絨毯を転がっていく。早く拭かないと染みになりそうだ。
眉を顰めている麻さんに構わず、真維は居間を飛び出した。
やっぱり。
今日もニーナママは夕食に同席しなかった。
嫌な予感はしていたけど……。
でも、またお父さんと喧嘩しただけかもって。
ぱたぱた、スリッパの足が慌ただしく音を立てる。
滑りそうになりながら内廊下を急カーブすると、真維の目に玄関が映った。
「ニーナママ!」
継母は、黒い喪服を身に纏っていた。
玄関の上がり口で正座している。
こちらに向けた表情は、固い。
いつだって陽気に笑っているのに。
いきなり、お葬式の様相だ。
その理由も、一目瞭然だった。
ぬうっ
広い三和土に、鬼が二人立っていた。
ああ……。今回は、赤鬼なんだ。
黒い作務衣から覗く手足が、赤く逞しい。
ほとんどの者が、見るだけで猛々しさに怯えるだろう。
だが、真維は違った。
すっと駆け足を止めると、赤鬼を見つめながら、静かに近づいて来る。
きゃあと叫んでも可笑しくない、少女なのに。
おや──
二人の赤鬼は、揃って目を瞠った。
だが、すぐに目を逸らして、ぴんと姿勢を正す。聳える巨体は、真維の二倍くらいありそうだ。
片方の赤鬼が、屋敷中に響き渡る大音声で告げた。
「大仏殿の嫁御を迎えに参った。これより先は、鬼に連れ去られたと諦めよ」
ざわざわ
開け放たれた玄関の戸から、集まった人垣が見えた。我先に中を覗き込んでくる。
助けてくれるわけではない。ただの野次馬だ。
「鬼の嫁攫いだ」
「またかい。前の嫁さんもそうだっただろう」
「美人だからねえ、今度の嫁さんも」
「鬼が狙うわけか」
勝手な感想が聞こえてくる。
構わず、当の本人は指を付いて言った。
「お世話になりました。このまま私が留まれば、当家に災いをもたらしてしまいます。私は鬼のものになる所存です」
「……二奈」
真維にようやく追いついた父親が、絞り出すように呼び掛けた。
確かにその通りなのだ。鬼に攫わせる以外の選択肢は無い。
鬼に負けじと妻を奪い返そうとした夫が、ボコボコにされたとの話も聞く。
そんな武勇なぞ、持ち合わせていない──
黙り込んでしまった夫から顔を背けると、喪服姿の二奈は、すっと立ち上がった。
黒の生地には、紋が五つ染め抜かれている。
真維は、すぐに気付いた。
ニーナママのお家の紋だ。初めて見た。
珍しい。まるで「鬼の角」が二つ描いてあるみたいな柄だわ。
「真維ちゃん、ごめんなさいね……」
継母は、背を向けたまま呟くと、赤鬼と一緒に玄関を出て行った。
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【番外編マンガ】
黒電話じゃないと……
時々、番外編マンガも入れる予定で~す!
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