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百妖の桜巫女 ~神宿し乙女は、愛を知る~  作者: 今際ゆき
春、初恋が舞い落ちる

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追憶


「ハァ…⋯ハァ…⋯」

「ごめんねえ。痛いよねえ」

「八重!」


油断しきった様子を見せる酒呑童子に、美影は今出せる渾身の力を振り絞って刀を八回振り下ろした。

手負いの少女とは思えないほどその威力は高かったが、酒呑童子の身体の傷跡は虚しく消えた。

口角を上げたまま鉈を振りかざしてきたので、美影は苦し紛れに「三色 花曇り」と唱えた。

桜の花の木と共に、優しい色合いの曇り空が両者の間に出現し、酒呑童子は美影の姿を見失ってしまった。

花曇りは目くらましの術で、普段の彼女には必要のない技だが、今の状況では使わざるを得ない。雲が消えてしまうまでの約五秒の間に、身体に鞭打って駆け出すと、まだ緑色の木々が残っている場所まで向かって身を隠す。


『大丈夫か!?なあ嘘やろ……血止まらへん……』


夜叉は姿を現し、大好きな美影を失う不安で涙ぐんでいる。


「夜叉が無事でいてくれて良かった」

『ワイの心配なんかしてる場合か!早く蓬莱を使って…⋯』

「駄目だよ。蓬莱を使えば榊も体力も使い過ぎるから、技の精度が落ちる。それに、これ以上鬼化が進めば、人に戻れなくなる」


美影は白縹色の刀を手にし、すぐに立ち上がった。

何も処置を施していない腹と右足から零れる血の量は増えるばかりで、夜叉の心配はもっともだが、蓬莱を使うリスクはあまりに大きい。



「見いつけた!寂しかったよ~」


酒呑童子が現れ、美影が刀を振るうよりも先に彼女の首を片手で掴み、軽々と持ち上げてしまった。


手から逃れるべく刀で腕を斬り落そうと試みたが、鬼の腕力には敵わず、首を絞める手の力が一段と強まるだけだった。


「君すっごく軽いねえ。全身の骨を砕いて遊ぶのも、君が相手なら簡単かも~♪」

「…⋯放せ」

「やだ」


首の骨を砕き、美影を潰す勢いで酒呑童子は力を強める。


『もうええやろ!放せよ!!』


夜叉は酒呑童子に向かって突進した。美影が窒息するのを黙って見ていられる筈がなかった。


「ボクは美影ちゃんで遊んでるとこなの。邪魔しないでくれる~?」


一旦鉈を置くと、酒呑童子は空いた方の手で夜叉の顎を殴りつけ、十数メートル先の木に激突させた。全身を強打した夜叉は、そのまま動かなくなってしまった。神なので命に別条はないが、顎は砕け、骨折も一カ所では済んでいないだろう。


「お前…⋯夜叉に何をした?」


凝縮された殺気を込めた瞳で、酒呑童子を睨め下げる。その瞳に、普段の彼女の面影は消え去っていた。


「そんなに怖い顔しないでよー。それよりさあ美影ちゃん」


変わらず屈託のない笑みを浮かべながら、酒呑童子は美影の最大の弱点を見透かしたように語りかけた。


「どうして頑張るわけ?そんな怪我までして」

「何を言って…⋯」

即答出来なかった。

「本当はさ、恨んでるんじゃないの?だーい好きなお兄さんと、ご両親のこと。あ、もう死んでるんだっけ?」


こんな戯言に耳を傾けてはいけない。


敵の言葉で決意が揺らぐなど、許されることではない。

美影本人が一番分かっているのに―迷いと後悔、そして捨て去ったはずの願望に心を支配されてしまった。同時に、酒呑童子は彼女の細い首を容赦なく締め付けた。


―意識を手放した一秒にも満たない時間の中で、美影の脳内には最も幸せだった幼少期の出来事が鮮明に蘇っていた。


十一年前の初夏。黒条家の庭では、向日葵が日の光を浴びて金色に輝いていた。


『あんな弱い妹がいるとか、将彦(まさひこ)の奴が気の毒でならねえよ』

『いっそ、居ない方が良いんじゃねえの?足引っ張られるだろ』


まだ四歳の美影の耳に入ってきた、白銀の称号を持つ神在たちの心無い言葉。黒条家・桜刃家の面々は四歳までに刀を使いこなす必要があった。


しかし、身体が小さい美影は刀を使うどころか、一人で持って立ち上がることすら敵わなかった。そのせいで兄が迷惑を被っていることを知り、途方もない罪悪感と悔しさに襲われた。気持ちを抑えきれず、撫子色の瞳から大粒の涙がこぼれた。


「美影―!ただいま!兄ちゃんな、今日は…⋯ってどうした?!」


陽気で底抜けに明るい少年の声が響き渡る。美影と同じ撫子色の瞳に、短く一つに結んだ光沢のある赤紫色の髪が特徴的で、中世的な顔立ちをしている。

身長は平均より少し高いくらいだが、辛い修行の中でついた筋肉はカジュアルな服を着ても隠せていない。

何よりも、襟に取り付けられた白銀色の紋章が彼の実力を如実に語っていた。彼は黒条将彦。十五歳年上の美影の実兄で、非常に優秀な神在だ。


「お兄ちゃん…⋯私はダメな子なのかな?」

「幼稚園で何かあったのか?」


将彦は妹を心配し、隣に座って目線を合わせた。美影は「ちがうの」と首を振ると、涙をぬぐいながら話す。


「弱い私なんて、居ない方が良いの…⋯?」


将彦は思い出して涙があふれてしまった美影の頭を優しく撫でると、「なるほどな…」と呟いた。そして、太陽のように明るい笑顔を向けた。




「兄ちゃんはな、美影が元気で居てくれるだけで嬉しいんだ。美影が生まれてきた時、本当に人生で一番幸せな瞬間だった。だから美影には、好きなことを目一杯楽しんで、大好きな人と結婚して、最高に幸せになってほしいんだよ。

誰がどう言おうと、美影は自慢の妹だ」



兄の真っ直ぐで、愛情の籠った言葉に背筋が伸びたような気がした。いつの間にか涙はいており、悲しい気持ちもどこかに吹き飛んでいた。


伝統と格式を重んじる黒条家には、実力が低い者を軽んじるのは当然だという極端な思想の持ち主が多く、身内にもそんな人間が一定数居る。

親戚の集まりでは将彦が席を外した隙を狙って、美影に「お兄さんは優秀なのに、貴方のせいで評価が下がってるのよ」等と言って追い詰める者もいた。

そんな黒条家で生きていく事は相当な苦労と困難を伴うものだ。しかし、美影には神在としての能力は関係なしに、純粋に彼女を愛する兄と、


「師範!おはようございます。昨日、はじめて珠雪の音が鳴ったんです!あ、美影ちゃん。後で一緒にクローバー探しに行こう」


紫紺色の髪に、左右で色の異なる瞳という浮世離れした美しい少年。

彼は桜刃零。

桜刃本家の血筋で、将彦の愛弟子であった。美影より五歳年上だが、その差を感じさせない程二人は仲が良かった。


「零。今日は治療の練習してみようか。今準備するから、美影と一緒に待っててくれ」

「はい。今日もよろしくお願いします」


零は一度家に戻って行った将彦の背中を見送りながら、美影の隣に腰掛けた。


「美影ちゃん。師範の下で修行して強くなって、どんな強い妖怪が来ても俺が必ず守る」


彼の瞳は、大切な彼女を守るという強い意志を秘めていた。


「それなら、私は零くんをたくさん幸せにするね!」


小さな二人は輝かしい未来に想いを馳せた。互いの手を取り、笑い合っていたその時、玄関から音がした。


「あ!お父さんとお母さんだ!」


零に手を振ると、夢中で廊下を走っていき、美影は大好きな両親に飛びついた。美影によく似た顔立ちの淑女のように上品な女性と、精悍な顔つきのおおらかな男性。彼らは黒条 ()(つる)と黒条宏。美影と将彦の自慢の両親だった。


「今ね、零くんと一緒にいたの!この後クローバー探しに行っても良い?」

「もちろんよ。たくさん楽しんできてね」

「帰ったらお父さんにクローバー見せてくれよ?」

「うん!」


大好きな人達に囲まれ、本当に幸せな毎日を送っていた。幼き日の美影は、この幸せがいつまでも続くと信じて疑わなかった。



――般若が全てを奪い去るあの日までは。




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