恋のはじまりは、怪異とともに
『君が好きだ。一緒に桜刃家に来てほしい』
修行ばかりで恋愛には縁遠い人生を送ってきた美影も、少しは恋愛というものに興味を持ち始めていた。
零と真剣に向き合って、少しずつ歩み寄っていきたい。
今度会うときに、零にそう伝えようと決めていた。
そして今、美影は自分の部屋で鏡を見ながらどんな服で出かけようか悩んでいた。久しぶりに夢奈と二人でアウトレットモールへ行った後、ら○ぽーとを自由に散策することになっている。
壁には夢奈と二人の写真を集めたコルクボードが掛けられている。他は勉強机、クローゼット、姿見、小さめのソファしか置かれておらず、黒条家の派手好きな女性たちに比べれば格段に地味だが、美影は満足している。
小さめのリボンが付いた薄水色のキュロットスカートにフリル袖が特徴的なレースのブラウスを身に付け、試しに姿見の前に立ってみる。上品だがどこか可愛らしい印象のこの服は、小柄な美影にとてもよく合っている。彼女の相棒である夜叉も、姿を現して絶賛している。
『おおー美影はん、えらい可愛いやないかー』
「小学生に見られたらやだなあ…⋯」
『若く見えてええやん』
「それは子供っぽいの間違いなんじゃない?」
いつも通り他愛もない言葉を交わす中、夜叉はためらいながらも「そう言えば…⋯」と話題を変える。
『病院での定期検診の結果はどうやったん?』
「何も問題なかったよ。改善もしてないけど…⋯」
美影は安堵と不安の両方を含ませた声で答える。
宵月市内にある大病院、百目鬼総合病院には神在の診察・治療を専門とする「妖神内科・外科・精神科」という特殊な科が存在している。
表向きでは、少し変わった内科と外科として扱われており、事情を知っているのは病院長のみだ。
般若に襲撃されて以来、彼女は月三回の定期検診を受けている。
特殊な放射線・妖X線によるレントゲン写真の撮影と問診に加え、事件のショックによって引き起こされた記憶障害の長期治療を目的としたカウンセリングを毎回行っている。
『ちなみに、今はどんな具合なん?』
「まだ四~六歳頃の記憶が曖昧で、まだ良くはなってない…⋯焦らずに向き合っていけば心配ないよ」
笑顔で応える美影だったが、どこか無理をしていることが読み取れる。やはり彼女を傍で支える者が必要だと夜叉は感じ取っていた。
「ねえ夜叉。『優しい嘘』って偶に聞くでしょ?」
『そんな台詞あったなあ』
「誰かを想って吐く嘘が、大事になる時もあるんだと思う。でも、鬼化のことは単なる『優しい嘘』で済ませていい話じゃない」
芯が強く、それでいて未熟な彼女が考えに考え抜いて紡いだ言葉に、夜叉は容易に返事が出来ず、黙りこんでしまった。
「零様が私を大切に想ってくれている事はすごく嬉しい。彼の事を好きになって、傍にいたいと思う。でも…⋯彼に秘密を打ち明ける勇気がないの」
美影が不安を抱くのには理由がある。頼りにしている百目鬼総合病院の主治医と看護師たちが陰で彼女を「化け物」と呼んでいることを知ってしまったからだ。
初めてこの病院を訪れた際、前の主治医が「ちょっと見ますね」と言って、美影に少し近づいた。その瞬間に、美影の手首から上が鬼化し、そのまま主治医の胸を引っ掻いた。
主治医の胸には、未だ消えない大きな傷痕が残った。間近で目撃した美影は激しい罪悪感に襲われたが、小学生だった彼女に治すことなど到底不可能で、ただ何度も謝ることしかできなかった。
結果的に、彼は病院を辞めてしまった。
その日の出来事を猛省し、美影は榊を治療に応用する方法を独学で学び始めた。黒条邸の書庫から、役に立ちそうな本を片っ端から読み、自分に合う方法を見つけ出そうと試みた。
古書ばかりなので全て読み終えるのに三年を要した。
七色・蓬莱は果てしない努力の末に編み出したものだ。
蓬莱を覚えるまで一度も病院へは行かず、通院を始めた後も細心の注意を払っているのだが、病院の関係者は彼女が来院すればあからさまに嫌悪感を示してくるようになった。
そんな扱いを受けてきた美影にとって、鬼化した姿を見せることは何よりも恐ろしい事だ
『そのことは関係なしで、夢奈も零様も美影はんのことが好きなんやから、先ずはその関係を大事にしたらええんちゃう?』
「夜叉…⋯」
『とにかく、今日は楽しんで来たらええ。その代わり、ワイにお土産買ってなー』
相変わらず茶目っ気のある夜叉だが、内心では美影の事を家族のように大切に思っている。自分に付き従う神が夜叉で本当に良かったと感謝しながら、美影は最後の支度を済ませる。
「じゃあ今日は奮発してケーキ買おうかな。夜叉はモンブランで良い?」
『よっしゃー』
そのまま薄いピンク色のハイヒールを履いて家を後にする。
「夜叉…⋯切腹覚悟でお願いしてもいい?」
『何やどうしたん?切腹とか物騒やな』
一体何を頼まれるのかと心配した夜叉だったが、美影の頼みは笑ってしまうほど小さいものだった。
「道案内してくれない…⋯?」
『しっかりせえ!』
約十分後、美影は待ち合わせ場所のすぐ近くに到着していた。道中で、ありとあらゆる道を間違えては夜叉に突っ込まれ、多少のタイムロスはあったものの時間には余裕がある。
石畳の道は良く整備されており、周囲には人気のカフェやゲームセンターが並ぶ。夢奈が来るまでの三十分は近くの書店でも見て回ろうかと考えていたその時、不意に背後から声をかけられた。
「あの…⋯少し道に迷ってしまって……教えてもらえませんか」
一般的な成人男性よりも少し小柄で、黒縁の伊達眼鏡にあまり特徴がない服を着た、ごく普通の男性だ。男性は遠慮がちに、スマホの画面を美影に見せる。男性が指を差したのは宵月自然公園だ。
「この場所ならすぐに着きますね。ご案内します」
「良いんですか?!ありがとうございます。優しい人がいて良かったなあー」
「その前に友達に連絡を入れても良いですか?」
「もちろん」
美影はすぐにスマホを取り出すと、L○NEのトーク画面を開いて夢奈に『ごめん。急に熱が八度まで上がって行けなくなった』とメッセージを送り、続けて可愛らしい猫のキャラクターのスタンプを送信した。
「行きましょう」
「はい!助かります!」
超がつくほど方向音痴な美影が、よりにもよって道案内を承諾してしまった。その上、夢奈に体調不良で行けないと嘘をついた。
普通に考えれば、道案内を終えてから行けばいい話だ。にもかかわらず、彼女は行けないと断言した。
美影は何かを覚悟したように拳を握り締め、男性の前を歩き始めた。
「引っ掛かったな」
男性は不気味にほくそ笑んだ。




