白朧 “花姫”・椿院凛梨愛
「今の君は〝般若〟にしか見えないよ」
〝死神〟――改め蒼五月雨は、到着して早々に雨の雫の全てを刃に変化させるという芸当を発揮し、美影が苦戦を強いられた絡新婦をものの数秒で倒してしまった。
瑠璃色の瞳の碧が僅かに黒く染まり、人と鬼の狭間に囚われた美影の姿を映した。
「私は⋯⋯般若ではありませ⋯⋯」
「そう言われても、僕は何を根拠に君を信じれば良いわけ?」
五月雨は痛みを堪えて何とか声を振り絞った美影に一切の優しさを見せず、顔をぐっと近づけて伸びてきた角を凝視する。
「美影ちゃん。生きている普通の人間の肌が、こんなに青白い訳がない。僕の模様が自然に浮かぶこともあり得ない。⋯⋯何より、この角は確実に異形⋯⋯いや、鬼のものだ」
もう誤魔化しは効かない。
美影はそれを悟っていた。
桜色の髪も、硝子玉のように透き通る撫子色の瞳も、色白の肌も、全て般若に奪われている。
〝黒条美影〟の面影はもう残っていない。
小さい頃から美影をよく知り、今の昔も一緒に過ごしている零でなければ、今の美影を般若と瓜二つの異形としか認識できないのは仕方の無いことだった。
「一色、霜刃・天の雫」
五月雨が相変わらず抑揚のない声で唱えた。
美影の頭上に刃の雨が真っ逆さまに落ち、痛みで動けない美影を襲う。
直撃だけは避けようと美影は立ち上がり、背後に飛び退いた。
しかし、刃の雨は止んだーー美影に当たる直前に。
「命を奪うことはしないよ。今のところはね。でも、君が関係のない人たちを襲わないという確証は持てない。だから⋯⋯ごめん」
五月雨は霞の如く姿を消したかと思うと、美影の背後に回って首の後ろを強く打った。
女子だからと手加減する優しさを、五月雨は持ち合わせていない。
美影を妖怪と同じ異形と認識している彼は、一切手加減をせずに強く打った。
糸が切れたように意識を手放した美影を連れて、五月雨は立ち去ろうとした。
「ふふ⋯…お前も面白いな、蒼五月雨」
倒した筈の絡新婦が、毒々しい紫色の外骨格を脱ぎ捨て、今夜は漆黒の体を露わにした。
普通の蜘蛛と同じように、妖怪の絡新婦も脱皮を行う。
なので、他の妖怪に比べて完全に倒すのが難しい。
鬼ほどの脅威ではないが、神在にとっては中々に厄介な相手だ。
「うわ⋯⋯手間増やさないでよ」
手っ取り早く先刻と同じ方法で倒そうと考えたその時だった。
「あたしの貴重な休みを返せーー!!!」
弾むソプラノの声と共に、ハート型の可愛らしい形が、十メートルを超える絡新婦をたった一撃で真っ二つにしてしまった。
桃色のポニーテールが軽やかに揺れ、金糸雀色の瞳がきらりと輝いた。
絡新婦の巨体に衝撃が迸り、鮮血が噴き出して止まらない。
そのまま、絡新婦は塵芥と化してあっさりと消滅してしまった。
「助かったよ、凛梨愛。でも、ちょっと豪快にやり過ぎでしょ。榊も使わないで」
感謝しつつ呆れる五月雨に、斧の持主――椿院凛梨愛は涙目になって答えた。
「だって、せっかくの休日が無くなっちゃったんだもん!!そりゃムカつくよ!」
ハート型の刃に付着した赤紫色の血を払い落とすと、凛梨愛はぶつぶつ文句を言いながら絡新婦の巨体から軽々と飛び降りた。
〝華椿〟――生来の華やかさと可愛らしさ、そして、大斧を華麗に振り回し、どんな妖怪でも一撃で豪快に叩き斬る大胆な性格から、トップインフルエンサー兼白銀を持つ神在・椿院凛梨愛の異名だ。
「ねえ五月雨。巻き込まれた人は大丈夫なんだよね?」
「うん。まあでも⋯⋯」
凛梨愛は五月雨に抱えられた美影の姿に、言葉を失った。
「黒条美影ちゃん⋯⋯で合ってるの⋯⋯?」
五月雨と話している間に爪まで伸び、美影の身体は一層般若に近付いていた。
「僕もよく分かんない。けどさ、この姿を見たら般若だって判断するしかないよ」
凛梨愛は二十二歳、五月雨は二十六歳、そして美影は十六歳。
美影の何倍も、神在としてのキャリを積んできた二人でも、鬼との戦闘は何度経験しても
慣れない恐ろしいものだ。
その鬼の一種である般若に身体を支配された美影が、どれほどの恐怖に耐えて来たのか、想像に難くない。
「とりあえず、僕たちは冥仙神宮に行って他の『白朧』の面子を待とう。あと、零くんへの連絡は待って。彼が居たら、美影ちゃんのこと庇うだろうから」
五月雨は美影を抱えたまま「二色 淡霞」と唱え、真っ白な霞に巻かれ、姿を消した。
凛梨愛も「一色 桃李之夢」で自身を幻に変え、桃月を背負うと彼に続いて消えた。
目くらましを自分自身に使った二人は人目を気にせず、高層ビルを次から次へと飛び越えて、三つ隣の市にある冥仙神宮へと急いだ。




