夕焼け空は、恋色に染まる
「やっと仕事終わった~美影ありがと」
午後四時を過ぎた頃、美影と親友の城﨑夢奈は職員室から教室までの廊下を並んで歩いていた。
今日は夢奈が日直当番で、ちょうど二人で学級日誌とクラスの鍵を返しに行って来た所だった。授業が終わる度に黒板を消したり、放課後には明日の時間割とその日出された宿題を手書きでホワイトボードに書いたりと何気に面倒な仕事が多く、当番の生徒は一日中テンションが低い。
「夢奈。実はね、どうしても伝えておきたいことがあるの」
「どうしたの?まさか…⋯家で何かあった?」
「ううん。その逆」
美影は六歳の時に記憶障害を起こし、大切な幼馴染の零を忘れてしまったこと。
何より、二日前に零を思い出し、今は意地の悪い親戚と離れて二人で幸せに暮らしている事を話した。
神在に関することは何一つ言えないが、一番大事な親友への感謝を全て伝えた。
「中学の頃から、夢奈には家の事で沢山心配かけて、話も聞いてもらったでしょ?だから、夢奈にはちゃんと話すべきだと思って」
「美影…⋯」
記憶を失い、嫌な親戚に心を乱された美影がどれだけ辛い思いをしたのか。中学から一緒にいる夢奈には想像に難くない。
「良かった…⋯美影を支えてくれる人ができて…⋯」
「夢奈もたくさん私のことを支えてくれたよ。本当に⋯⋯ありがとう」
親友の幸せを喜んで涙ぐむ夢奈の事を、美影はやっぱり大好きだと思った。夢奈と零と出会えたことが、十年間必死に生きてきた意味なのだと自信を持って言える。
二人が教室へ着くのと同時に、美影の携帯が鳴った。確認すると、零からメッセージが一件届いていた。
『今から迎えに行く。なるべく急いで向かうから、校門の近くで待っていてほしい』
美影の表情がほころぶ。恋する美影を初めて見た夢奈は、思わずふっと笑ってしまった。
「明日、話聞かせてよ?楽しみにしてるから」
「…⋯うん。また明日ね」
夢奈とに手を振り、晴れやかな気持ちで学校を後にした。
「零くんと何話そうかな…⋯」
美影は校門付近で、零とのデートの時間が早く来ないか待っていた。会ったら何を話そうか。いや、話をしなくても二人なら楽しい時間を過ごせるだろう。加速する鼓動を落ち着けるため、コンパクトミラーを見て前髪を直そうとした時、愛おしい人の声が美影の名前を呼んだ。
「美影。お待たせ」
橙色に染まり始めた空に浮かぶ夕陽が、美影に笑いかける零の姿を照らした。仕立ての良い黒のスーツを完璧に着こなす彼は直視できないほど格好良い。彼と並んで見劣りしないかと思わず不安になった。
「早速だが…⋯一緒に行こうか」
「は、はい!」
零は自然な流れで車道側に立ち、遠慮がちに美影の手を取った。二回り大きい零の手はとても温かい。美影はそっと手を握り返し、少しだけ零の方に体を寄せた。
「何だか…⋯照れるね。手つないで歩くの」
「…⋯そうだな。でもそれ以上に、今とても幸せだ」
互いの手のぬくもりが、長年固く閉ざされていた二人の心を溶かしていく。街の景色や道端に咲いた蒲公英も、隣に愛する人がいる今はとても愛おしく感じられる。
「零くん。こういう時間、沢山作ろうね」
「俺も⋯⋯そうしたい」
予定が開いた日に、満開の桜が見られる公園、昔将彦と三人で通った甘味処、五つ先の駅にある遊園地、美影が修学旅行で訪れた水族館。これから行きたい所を話し合い、一緒なら絶対に楽しくなりそうだと笑った。予定を考える内に、今日の目的地が見えた。
「観覧車なんて久しぶりかも…⋯」
SNSで話題の、海に浮かぶレストランの近くにある観覧車の前で立ち止まった。
高さは百メートル以上あり、乗ることの出来るゴンドラの数もかなり多い。手軽に上空から絶景を楽しめるということで、絶大な人気を誇っている。休日は行列が出来るのだが、今日は月曜日なので待ち時間はゼロだ。
夕陽の紅色が鮮やかさを増し、橙の光が差す海面はキラキラと輝いている。
「一番上に来たら写真を撮ろう」
「うん!」
二人は丁度下に降りてきた黄色のゴンドラに乗り込み、手を繋いだまま座った。
少しの間、いつも何気なく通る街から離れ、空へと旅立つ特別な時間。美影は童心に返って久しぶりの観覧車を満喫していた。零は観覧車を楽しみつつも、屈託なく笑う美影を改めて「好きだ」と思った。
「お兄ちゃんと三人で来た時は、私が泣いたせいで楽しめなかったでしょ?」
美影はふと、小さい頃の黒歴史を思い出した。将彦と零と三人でこの観覧車に乗った際、高さに耐えられず「もう降りたいよー‼‼」と最後まで泣き叫んで零にしがみついていた。零が「大丈夫」と言って握ってくれた手のあたたかさを今でも覚えている。
「実はあの時、俺も涙が出るくらい怖かった。でも、美影に格好悪い姿を見られたら嫌われると思って……だから、家に帰ってから思い切り泣いた」
「そうだったの?!」
零は赤く染まった顔を隠しながら打ち明けた。美影は意外な姿を知って驚く反面、不覚にも零を可愛いと思ってしまった。
「嫌いになるわけないよ。あの日は三人で一緒に来られた事が嬉しかったんだから」
思い出話に花を咲かせ、夕焼けと調和した街の風景を眺める。米粒ほどの大きさに見える人達はこれから誰と何をするのだろうか。自然と想像が膨らむ。
「ねえ。もうすぐ頂上じゃない?」
ゴンドラは、あと少しで頂上という所まで上がっていた。




