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百妖の桜巫女 ~神宿し乙女は、愛を知る~  作者: 今際ゆき
春、初恋が舞い落ちる

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初恋は、月夜に光輝く

背後から、もう聞くはずのない厭らしい声が響いてきた。同時に漆黒の炎の、地獄のような暑さが戻ってきた。首も胴も切り離したのだ。どんなに強力な妖怪でも回復するのは確実に不可能だ。



美影が恐る恐る後ろを振り返ると、傷を綺麗に治した酒呑童子が狂気的な笑みを浮かべながら彼女に手を振っていた。


「どうして……」

「君天才だね~あんな剣技、金色を持ってる人でもそうそう出来ないでしょ。八岐大蛇が負けるわけだ。

でもボク相手じゃ何やっても無駄だよ?ここ千年、阿鼻地獄でやること無かったからさあ、自分で自分を実験して楽しんでたわけ。

そしたら何と…⋯じゃじゃーん!全身をずたずたに斬られても、平気になっちゃったんだ~!スゴイでしょ?」



蛇に睨まれた蛙のような状態に陥ったのは、般若に襲撃されて以来だった。大切な人の命が懸っている局面で、何も出来なかったあの頃の弱い自分から脱却するために誰よりも強くなった―はずだったのに。


目の前の怪物は、お前の攻撃など痛くも痒くもないと言うように、美影を嘲笑っている。華奢な美影には、周囲の何十倍の努力が必要だった。カバーするために身体を鍛え、榊を極限まで磨き上げた。夜叉との調和により、神代まで修得した。それでも尚―鬼に彼女の刃は届かなかったのだ。


酒呑童子がまだ立っているという重圧が美影の胸を締め付ける。足と腹からの出血は止まず、心身ともに限界を迎えていた。それでも尚、立ちあがろうと試みた。


「もう諦めなよ~」

「ここで私が逃げたら、貴方は街の方へ行って関係のない人にも手を出す…それだけは絶対に止める……」


次の瞬間、白縹色の刃が砕けた。反撃するための僅かな希望すら消えてしまった。酒呑童子は二ヤリと笑い、打つ手がなくなった美影へと迫っていった。黒い炎は更に勢いを増していく。


「じゃあね。ばいば~い!」


大鉈を彼女の頭上目がけて振り下ろした。美影はただ目を瞑っていた。鉈が頭に直撃―することは無かった。




「よく頑張ったな」




同じ山なのは間違いないが、少しだけ景色が変わっている。そして誰かにとても優しい力で抱き締められていた。恐らく彼女を抱えて酒呑童子に見つからない場所まで運んでくれたのだろう。聞こえてきたのは、少し年上の男性の、美影を思い遣る声だった。

十二年前と何も変わらない、本当の家族のように―大切な、大切な人。


「零くん……」


桜刃家の現当主であり、幼馴染の桜刃零だった。

零は美影の無事を心から喜ぶと同時に、呼び方が「零様」から「零くん」に変わったことに気が付き、思わず涙を溢した。


「俺を思い出してくれたのか……?」

「うん。全部思い出したよ」


彼女と過ごした日々を想い、微かに微笑んだ零だったが、ぼろぼろに傷付いた身体を見るや否や、顔をゆがめた。そして、美影を抱えたまま「二色 月下美人」と唱えた。


すると、無数の星が散りばめられた夜空と共に、清廉潔白を象徴するするような純白の花が一輪現れた。「儚い恋」などの花言葉を持ち、夜に大輪の花を咲かせる月下美人を榊に組み込んだものだ。美影の腹と脚の傷が癒えていき、痛みも和らいだ。


「これで出血は止まった。辛くないか?」

「ありがとう。もう痛くなくなったよ…⋯」


美影を一度下ろして様子を見る。辛うじて痛みは消えたものの、榊の使い過ぎにより体温が三十八度を超えている。美影の体力は並大抵でないとはいえ、長時間この場所にいれば危険だ。それを悟った零は、彼女の頭を撫でると、微笑みを浮かべたまま静に言った。


「俺は酒呑童子を倒して必ず戻る。終わったら一緒に帰ろう」


零は自分の上着を脱いで美影の肩に掛け、そのまま彼女を横たえた。直接地面に触れないように気を配り、榊を布のように柔らかくして敷いておいた。


「待って…⋯」


引き留めるように、零の手を思わず握ってしまった。美影の脳裏に、家族を失ったあの日の光景がフラッシュバックする。零まで兄達のような目に遭ってしまったら…と、不吉な想像をしてしまった。


「絶対に戻る。君は安心してここで休んでいてくれ」


彼女の小さな手をぎゅっと握り返し、身を翻して酒呑童子がいる方へ向かっていく。黒い炎による熱が零に襲い掛かるが、零は物ともしない。


「ツクヨミ。来てくれ」

『ふん。まあ零の頼みなら聞いてやらんこともない』


何もない所から、尊大な男の声が聞こえてくる。現れたのは銀髪の長い髪に金色の目という眩しい程美しい容姿をした、陰陽師風の装いの男性。胸元には月を模ったガラス製の首飾りが揺れている。

彼は(つき)(よみの)(みこと)。日本神話に登場する、夜を統べる月の神である。内から感じる力は凄まじく、零と十分に釣り合っている。


「一秒でも早く彼女の元へ帰りたい。だから協力してくれ」

『良いだろう。それだけ美影の事を愛しているのだな』

「いや……その…⋯確かにとても大切な存在ではあるが…今そういう事言うのやめろ!」


普段は感情を表に出さないが、美影の話になると途端に顔を赤くする零の事を月読命は面白がっている。勿論、彼の実力も認めており、心から尊敬して仕えている。美影と夜叉とは少し形が違うが、こちらの二人もかなり良好な関係を築いていると言えるだろう。


「美影ちゃーん。出てきてよ~……ん?もしかして、桜刃の当主?!うわあ超嬉しい!」


零の姿を一目見た酒呑童子は、その実力を見抜いたのか再び無尽蔵の好奇心を目に宿していた。


「零君だよね?え、待って。すごいイケメンじゃん。ねえねえ零君はさ……」

「黙れ。それと、軽々しく俺の名前を呼ぶな。不愉快でしかない」


酒呑童子の言葉を容赦なく断ち切り、目が合ったものを射殺すような勢いで瞳を光らせた。美影の前では絶対に見せない恐ろしい目つきをしている。


「そんなに怒らないでよ~君の事は後で、まずはボクの話をちょっと聞いてほしいなあ」


零は好奇心旺盛な酒呑童子に辟易し、深いため息をついた。そして、「なら一つだけ質問がある」と、続けて普段よりも二オクターブ低い声で吐き捨てるように言った。



「なぜ悪戯に美影を傷つける事が出来た?彼女を⋯⋯何だと思っているんだ?」

「だって、あの子小さくて可愛いから。遊び道具にしたかったんだあ♪」



その発言が、零の逆麟に触れた。



「遊び道具?…彼女がどんな思いで……いや、もういい。お前が救いようのない塵だということが良く分かった。躊躇いなく地獄へ返せる」

怯えも、炎の熱に苦しむ素振りも見せない零に、酒呑童子は不満そうに唇をゆがめた。そして、黒い炎の温度を極限まで引き上げた。



「神代 黑龍 深淵」



黒い炎が渦を巻き、龍の如く形を変えて零を襲った。炎に触れずとも、周囲の植物が次々に姿を消していく。大気中の水分が失われ、二酸化炭素濃度は致死量の何百倍にもなる。


もう零でなければ理解が追い付かない程の暑さに覆われている。美影の前では全く気を出していなかったのだ。酒呑童子は後ろにいる美影に止めを刺そうと狙ったが、すかさず気付いた零に阻止された。「三色 雪月華(せつげつか)」で強固な結界が作られ、美影がいる半径五メートルを雪が舞い散る幻想的な月夜へと変えた。


「もう美影が傷つく心配はない。ツクヨミ。十秒で片を付けるぞ」

「ああ。好きなようにやれ。お前に合わせてやる」


炎は、空中を泳ぐ龍の如く変幻自在にうねり、周囲を飲み込んでいく。炎の温度に比例して、酒呑童子の眼も一層黒さを増し、眼球が裂けそうな程に目を見開いている。

「いくら零君でも、数分で死んじゃうよ~?どうするのかなあ?」

「…美影はたった一人でこの炎と戦ったんだな」

「ちょっとお。全然聞こえないんだけど」


酒呑童子の声には一切耳を傾けず、零は意識を研ぎ澄ませていく。十六歳の少女は、自分が来るまでの間、どれだけ黒い炎に苦しめられたのかは想像に難くない。しかし、酒呑童子は罪悪感を抱くどころか、傷付いた美影を面白がっていた。恐らく、将彦を襲った般若も同じだったのだろう。零は怒りを胸にしまい込み、眼前の憎き敵を消し去るべく静かに唱えた。



「神代 夢現(ゆめうつつ)(ぎん)()()()



月読命が零の肩に触れた。次の瞬間、目が眩むほど美しい銀河に装飾された夜空と、立派な宮殿が姿を現し、まるでお伽噺の世界に入り込んだような感覚に陥る。心地よい風が頬を撫で、周囲に咲き乱れる月下美人の甘い香りが鼻をくすぐる。同時に、淡い色の雲に乗った女性たち―天女が姿を現した。色素の薄い髪に、錦糸を織り込んだ上質な着物という非の打ち所一つない美しさが、ただただ神秘的である。


「え、ちょっと何なの……意味分かんない」

何が起こったのか理解が追い付かない酒呑童子を他所に、天女は笛、琴、尺八などの様々な和楽器を構えた。そして、厳かに演奏を始めた。特色の違う音色が互いに響き合い、眠気さえ誘うような心地よい旋律を奏でていく。美影も思わず「綺麗…」と呟いてしまった。


「綺麗な音だけどさあ、一体何の……」

―異変に気付いた時には、もう遅い。


零が何か言っているが、全く聞こえない。

視界がだんだんと狭まり、黒い闇に覆われる。月下美人の甘く上品な香も感じない。風が頬を撫でる感覚もない。舌先が痺れ、口の感覚が消えていく。



聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚―五感が少しずつ消えていくような、そんな感覚だった。



「風と月下美人の香りに触れ、そして天女達の姿を視認し、彼女たちの演奏に心奪われる。つまり、俺の神代は五感を全て奪うということだ。最後は――」


もう何も感じられない。今まで当たり前にあったものを全て無くした。死者同然となった酒呑童子に唯一残されたのは―思考だ。



「脳につながる神経系を断ち切って、思考を完全に奪う」



脳の機能が完全に停止した酒呑童子は、抗う術もなく崩れ落ちた。そのまま身体は塵と化して消えた。


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