人形劇の世界 下
前回の話に少し付け加えました。
まだお読みになっていないのでしたら先にそちらをご覧ください。
ここから脱出する方法は決まった。あとは実行するタイミングだ。
「そういえば劇を見終わった後僕たちは帰れるって聞いてたんですけど、帰してくれます?」
これであっさり返してくれるなら余計なことをせずに済むが、おそらく...
「もちろんだとも。私は嘘は書かないのだよ。私の劇をすべて見終わって感想を聞き終わったら帰してやろう。もし演じてみたくなっても家に帰れる脚本を書いてやろう」
「ちなみにそれってどのくらいあります?」
「うむ、今完成しているのは113作品だな。一週間もすれば帰れるだろう」
一週間か、不可能ではない。
だが俺はともかく維斗には帰りを待つ家族がいる。そこまで時間はかけられない。
「俺はいいんですけど維斗には家族がいるんですよ。何とか帰してやれませんかね」
蜘蛛の目が維斗に向いた。維斗もその目を正面から見返した。
「つまり君は観客を降りるということかな?」
やはり途中で帰ることはできないか。
なら、維斗の返答次第ではすぐに行動することになるが。
「俺は...廻が残るなら俺も残ります」
そう言った維斗は今度は俺を見た。
「廻、ここに来る前も似たようなこと言ったけどな。ここで何もせずに帰れる人間がいるかよ」
そういえばあのヤクザに絡まれたときそんなこと言ってたな。
「じゃあ今度はこっちが言わせてもらおう。お前のそういうところは単純にバカだな」
「はぁ?お前、人がいいこと言ったってのによぉ」
「ほめてるんだよ」
まぁ、ここで帰るって言われていたら少し面倒だったのだが。
多分こいつはそこまでは考えていない。純粋にそう思ったから出た言葉なんだろう。
はぁ~、世の中がこんなやつばかりだったらもっとマシになるんだろうがな、残念ながら俺みたいに打算で動くやつのほうが多いんだよな。
脚本家はいつの間にか手を止めていた。その手はわずかに震えている。
「素晴らしい。ここに来た連中はどいつもこいつも私の才能を刺激しなかったが、君たちは最高の素材だ。特に君、少々私の劇に対するリスペクトが欠けている気がするが、久々にいいインスピレーションをくれたお礼だ。まだ観客として迎えてやろう」
そう言いながら、止まっていた手は、今までの比ではないくらい早いスピードで筆を走らせていた。
「私はこれまでゲストから名前を聞いたことはなかったが、君たちはその価値があると認めよう。名を名乗るがいい」
「氷室 廻」
維斗が、驚いた顔をしている。
おそらく俺が本名を名乗るとは思っていなかったのだろう。
「玄門 維斗」
だが俺を信用して、維斗もまた、本名を名乗った。
「氷室 廻と玄門 維斗か、よし覚えたぞ。すぐに上映をするから場内で待っていろ」
そう言われたので、俺たちは部屋を出ることにした。
が、扉の前で俺は足を止めた。
今がそのタイミングだ。
「脚本家、お前の劇、悪くはないんだけどいまいち微妙なんだよ」
「は?」
脚本家は再び手を止めた。しかし今度はその手は震えていない。あまりに急なことに事態を把握できていないのだろう。
「だから今度は俺の脚本で踊ってくれ」
そう言って俺は一気に走り始めた。
維斗も脚本家と同じように何が起きたのかを理解していなかったが、すぐに慌てて俺に続いた。
走りながら、維斗が俺に質問をしてきた。
「廻、どうしたんだよ。このまま劇を見続ければよかっただろ。もう引き返せないぞ」
「こんなとこに長居していいことなんてないだろ。さっさとおさらばするに限る」
その時、部屋から怒声が響いた。
「ふざけるなーーーー。私を虚仮にしてただで済むと、思うなーーーーーー」
遠くから木同士がぶつかる音が聞こえて来る。
さしずめ氷室 廻と玄門 維斗を捕まえる役といったとこだろう。
俺は目に入った備品室の扉を押し開け、その中に走りこんだ。
備品室の中は暗く電気はなっかった。
「維斗、扉抑えとけ」
「わかったけど、そう長くは持たねぇぞ」
「あぁ、それで構わない」
そうして俺は、あるものを探し始めた。
暗闇の中で見つけるのはさすがに難しいかと思ったが、幸いなことにすぐに懐中電灯を見つけることができた。懐中電灯をつけてみると、部屋の中には棚が立ち並び、きれいに整頓されていた。
俺は広い部屋の中の棚を縫うように走りながらそれを探した。
「あった」
「見つけたぞ」
俺がそれを見つけたと同時に、脚本家の声と棚が倒れ中に合ったものが落ちる、または壊れる音がした。
扉はまだ維斗が抑えている。ならばどこから来たんだ?
ふと懐中電灯を天井に向けてみた。その天井には蜘蛛の巣が張ってあった。ただし普通の蜘蛛より何百倍も太い糸だったが。
「なるほど、その巨体であの廊下は通れないだろうと思っていたが、まさか天井を張って移動してたとはな」
「黙れ。貴様も結局はあのカスどもと同じ。私の完璧な脚本が理解できない塵芥に過ぎなかったのだ。貴様は自ら観客でっはなくなったのだ。ならば人形として永遠に演じ続けろ」
俺は手にそれを持ちながらゆっくりと維斗に近づいて行った。
脚本家が懐中電灯に照らされた。蜘蛛の顔のほうは、威嚇するようにその口を開けていた。
それを確認すると俺は脚本家に向かって走り出し、手に持っていたものの封を開け、蜘蛛の口に突っ込んだ。
「ふん。すでに気でも狂っていたか。そうだなそうに違いない。だって私の脚本は完璧なんだからぁ~」
突然脚本家が膝をついた。必死に立ち上がろうとしているのか体が少し震えているが、立ち上がるかとはなかった。
「きしゃまぁ~なにんにょした~」
「なぁ廻、後ろで何が起こってるんだ?ちょっと振り向いてもいいか?」
「扉ふさぐのに集中しろ。何をしたかだったな?蜘蛛の口には味覚がないんだな。その苦みを感じられないなんて」
「にがぁみ?」
「コーヒー豆だよ。蜘蛛にとってカフェインは中枢神経を麻痺させる毒なんだよ」
そう言って俺は力が抜けその手から落ちた脚本と万年筆を拾った。
「はぁぁ」
力いっぱいページを引っ張ってみたが破れることはなかった。
「だめか。ならこっちはどうだ?」
今度は脚本に拾った万年筆で書きこんでみた。
「うぉっ、急に押してくる感覚がなくなったぞ」
「こっちはいけたみたいだな」
「何をしたんだよ」
維斗が扉を押さえるのをやめて俺を問い詰めに来た。
「まぁまぁ、それはあとで話そう。カフェインの効果がいつまで続くのかわからない。さっさとここから出るぞ」
「まぁてぇ、まだぁ」
脚本家が何かを話そうとしていたが、俺たちは備品室を出た。
「なっ!まだいたのか」
備品室を出た俺たちの前に何も着ていない木の人形がいた。
「いや、こいつは違う。急いで俺たちを案内しろ」
俺がそう命じると人形は黙ってうなずき俺たちを走って先導し始めた。
俺たちは人形に連れられ劇場の外に出た。
「まてぇ、許さん、許さんぞ氷室廻、絶対に逃がさんからな」
「ちっ、もう効果が切れたのか」
俺たちは走る足を速めた。それに合わせて人形もペースを上げてくれた。
やがて人形が塀をを指し示した。
「なぁ廻、あれ突っ込めってことかな?」
「そういうことだろ」
俺たちは今出せる全力で走った。だが、脚本家は足を止めてその手を俺たちに向かって伸ばした。
「絶対に逃がさん」
「へぇ、それはこれより大事なことなのか、なっ」
俺は振り返り脚本と万年筆を全力で投げた。
「私の脚本!!」
脚本家が気を取られているうちに、俺たちは思いっきり塀に突っ込んだ。
塀にぶつかることはなかったが、思いっきり突っ込んだので転んでしまった。
だが周りを見てみると夜の町中が、そこにはあった。
多くの家には明かりが灯り、虫の鳴き声も聞こえて来る。
突然自転車にブレーキをかける音がした。維斗は驚いて後ろを振り返った。
「君たち、こんな時間に何をしているんだい」
俺たちに話しかけてきたのは、普通の顔がある警察官だった。
「戻って来たーーーー」
「夜だぞ時間を考えろ」
「お前もっと感慨とかないのかよ」
「よくそんな難しい言葉を知ってたな」
警察官そっちのけで喧嘩が始まろうとしたとき、
「だから君たちこんな時間まで何をしているんだい?」
警察官の少し怒ったような声がした。
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