人形劇の世界 中上
前回の話に少し付け加えました。
まだお読みになっていないのでしたら先にそちらをご覧ください。
巨大な扉を抜けると、足元には漆黒の大理石が広がり、まるでその深淵へと引き込まれるかのようだった。光を受けるたびに、不規則な波紋のような模様が瞬く。だが、それが本当に光の反射なのかは定かではない。
天井には巨大なシャンデリアがいくつも吊られている。クリスタルの装飾は異様に繊細で、見る角度によって歪んでいるように見えた。それは華やかでありながら、今にも落ちてきそうな歪さを孕んでいる。
周囲には優雅な柱がそびえ立ち、すべてが漆塗りのような艶を持っている。
ホールの奥へと進むにつれ、周囲には優雅な赤いカーペットが広がる。深いワインレッドの色が、まるで劇場全体の血脈であるかのように通路を満たしている。
正面には受付があり、そこには完璧に整えられた制服を纏った案内人が立っていた。
しかしやはり人間ではなく、先ほどまでの警察官D役と同じく木の人形だった。
「ようこそ。我々一同ゲスト様のお越しを心より歓迎いたします」
そう言って深くお辞儀をした後、案内人は受付から出て、俺たちをホールへと案内し始めた。
俺たちは決して油断せず、常に先導する案内人から3歩ほど離れながらついていった。
維斗はまた黙っているが、それは不安からくるものではなく、少しでも多くの情報を集めようとする集中からくる沈黙だった。
なので俺は今ある情報を整理することにする。
まず、ここは俺たちが普段暮らしている影埼町ではない。
移動している途中に電柱や標識を見てみたが、いずれも地名を示す部分が空白だった。
つまりここは本当に現実ではない、異界と呼ばれる場所なんだろう。
そしてここは脚本家様とかいう存在が支配しているらしい。
今のところ危害を加えてはこないが、これがいつまで続くのかもわからない。なるべく早く脱出の手段を見つけるに越したことはないだろう。
それにしても不思議なのはこの木の人形だ。ロボットではない。何か超常的な力で動いているのだろう。
脚本家様、それにあの警察官D役が行動を変える前に言っていた「シナリオが変更されました」これが何か脱出のヒントかも知れない。
そこまで考えたとき案内人の足が止まった。どうやらついたらしい。
「それではこの先暗くなっておりますのでお足もとをご注意ください。また、中に入る前に軽くこの劇場のルールをお伝えいたします」
1.上映中に光る物はご利用になれません。
2.上映中のご歓談はお控えください。
3.上映中は席をお立ちになれません。
4.前の席を蹴らないでください。
5.上記のルールをお守りの間、ゲストの方は観客として認められます。
「それでは席にご案内します」
場内に入った俺たちが感じたのは圧倒的な広さとそれに不釣り合いほどの静寂だった。
観客はいたが、やはり普通の人間は見当たらない。木の人形が一席ずつ隙間なく座っている様は薄暗い環境も相まって何か狂気じみた恐怖を感じる。
そんな人形の海とも言えそうな場内だったが、一列だけ空いている席があった。どうやらその列の真ん中が俺たちの席らしい。
俺たちが席に着くとさっそく上映を告げるブザーが鳴り響いた。
「本日は当劇場にお越しくださり誠にありがとうございます。本日上映いたします、ドンキホーテvsヤクザを心行くまでお楽しみください」
そうアナウンスがあると幕が上がった。
スポットライトに照らされスーツ姿の人形が語りだした。
「我が名はドンキホーテ、偉大なるドン・キホーテである」
「我は誠に残念ながら普通のサラリーマンであるが、内に秘めたる正義の心はだれにも負けないのである」
そこまで語ると今度はステージ全体が照らされた。そこにあったセットは換気口やごみ箱などといったもので、おそらく路地裏が舞台なのだろう。
「我は本日も町の平和を守るためにパトロールするのである」
そしてスポットライトは別の人物を照らした。
おどろいたことに今回は人形ではなく三人組の男だった。
ここにきてようやく普通の人間を見ることができたが、二つの意味でうれしくはなかった。
一つの理由はその人間がステージにいるということだ。
おそらくかれらは観客のルールを破ったか、そもそも席にすらつかなかったのだろう。
どうなるのかは分からないが、おそらくただでは済まないだろう。
もう一つの理由は俺たちはその男たちを知っているということだ。
ついさっき、この異界に来る前に俺たちを連れて行こうとしたヤクザ、あの三人組がステージに立っていた。
「おい、クッソ体が勝手に動きやがる」
「兄貴、俺たち一体どうなるんすか」
「知らねぇよむしろ俺が聞きたいくらいだよ」
「こうなったのもあのガキのせいだ。今度会ったらぶっ殺してやる」
ヤクザたちはどうやら動こうと必死のようだが、体が少しこわばる程度で自由には動けないようだった。
そして再びスポットライトはスーツの人形に戻った。
「貴様らがこのあたりで弱者を痛めつけるヤクザだな。我、ドンキホーテはそのような悪人を見逃しはしないぞ。成敗してくれる」
そう言うとスーツの人形は助走をつけ、兄貴と呼ばれていたヤクザにとびかかり、
その親指を左目の眼球に突き刺した。
兄貴と呼ばれていたヤクザは痛みで声も出ないのか必死に奥歯を食いしばるだけだった。
すると急に体が動くようになったのか子分たちが戸惑いながらも兄貴を助けようと拳銃を取り出し人形めがけて発砲した。
その弾はすべて当たっていたが、スーツの人形はまるで何事もなかったかのように立ち上がった。
その手からは血を垂らしていたが、その血は血だまりになることなく床に吸い込まれていった。
スーツの人形はセリフを続けた。
「我の鋼の正義の前では銃弾なんぞ豆鉄砲も同然よ」
「なんなんだよ、なんなんだよこれ、おかしいだろ。クッソ...また..体が」
「しかし無辜のの民にとっては容易に命を奪えてしまう危険な代物」
そういいながら今度は子分のほうに向かって行った
「来るな。おい、来るなって」
「そのような腕があるから悪事に手を染めてしまうのである」
そう言うと動けない子分の両腕をつかむと、そのまま引きちぎった。
今度は血が出ることはなかった。
その代わりちぎられた腕は木製の木でできた腕へと変質していた。
ここまで見て俺は嫌な想像をしてしまった。
隣を見てみると維斗の顔が青ざめていたので、おそらく同じ考えに行きついたのだろう。
ここにある数えきれないほどの人形、これらすべてはもともと人間だったのではないだろうか。
観客のルールを破ってしまった者は、人形となり演者になってしまう。
目の前ではスーツの人形がカッターやバット、ヤクザの持っていた銃身などを使い目を潰し、鼻をへし折り、耳を切り裂いていった。
容赦のない暴力により体がどんどん人形のパーツになっていくことに対する恐怖や悲鳴はもうない。
それを行うための顔はすでに人形になってしまっていたからだ。
やがてヤクザたちが、完全に人形になるとスーツの人形はゆっくり立ち上がった。
「やはり、我の正義は絶対不敗、悪党なんかには決して屈しないのである」
そうして幕は下りた。今まで微動だにしなかった観客席の人形たちが万雷の拍手を送る。
乾いた木がぶつかる音が、場内を満たしていたが、俺の耳にはとても遠くに聞こえた。
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