人形劇の世界 上
さっき通って来たはずの道がなかった。
そこにはコンクリートの塀があり、その内側には一軒家があった。
そっと押してみるがコンクリートの冷たい手触りと重くしっかりとした感触がこれをハリボテではないことを証明している。
どうなってるのかさっぱり分からない。が、それでもじっとしている理由にはならない。
「とりあえずだれか人に聞いてみるか」
スマホなんて高価なものは持っていない。維斗もつい先日親に買ってもらえないと嘆いていたので持っていないだろう。
なのでいま最も有効な手はだれか人に聞いてみることだろう。
「そうだな。おっ!さっそく第一村人発見。しかもお巡りさんじゃん」
そういう言って維斗はすぐに飛び出していった。
とりあえずこれで帰る手段はできたか。
だがあのヤクザがいる以上今、家には帰れない。それに維斗も巻き込んでしまった。
しかし、俺を捕まえるより先に目撃者を捕まえるなんてことはしないだろう。そのまま俺のこともあきらめてくれればいいのだがそこまで楽観はできないか。
「うわー!」
維斗の悲鳴が聞こえた。
俺は考えを中断し、維斗の向かったほうに視線を向けた。
そこで俺は信じられないものを見た。
尻もちをついている維斗、そしてその視線の先には自転車を横に置いた警察官がいた。
しかし、警察官の制服を着たそれは、たしかに人間の形をしていたが、その顔には本来あるべき目や口といったパーツが何もない。その代わりに、木目がまるで目であるかのように俺たちを見ていた。
「大丈夫か、維斗」
尻もちをついたままの維斗に俺は駆け寄った。
「あぁ、平気だ。別に何かされたわけじゃねぇから」
「なんだよ。ただ見た目にビビッて悲鳴を上げただけか。いいリアクションだったぞ、芸人にでもなったらどうだ?」
「はぁ?喧嘩売ってるのか?どう見たって人間じゃないだろ。襲ってくる可能性だって大いにある」
「襲われてから悲鳴を上げたらいいじゃないか」
「どう考えたってそれじゃ遅いだろ」
人形そっちのけで言い争いが始まりそうになった時、声が聞こえた。
「シナリオを変更しました。本公演において私は警察官Dの役を遂行します」
口もないのにいったいどうやってしゃべっているかは分からない。
もしかしたらどこかにスピーカがついているのかもしれないが、俺の直感が違うと告げている。
何か俺の常識では測れない何かが起こっていると考えなければならないのかもしれない。
「はじめまして、私は警察官D役です。今回の上映に際しまして、この異界に迷い込んだ者を本館へ案内するという役目を与えられました。どうぞお見知りおきを」
「それでは私について来てください」
そう言って警察官D役と名乗ったそれは、自転車を押しながら進みだした。
「なぁ廻、どうする」
維斗が小声で訪ねてきた。
明らかに何かある。だが現状を把握するのには情報が足りない。ならば
「ひとまずついて行ってみるか」
俺の言葉に維斗もうなずいた。
そうして俺たちは人間ではない何かについて行った。
「あの、僕たちはどこに連れていかれるのですか?そもそもここはどこなんですか?」
しばらく進んでから俺は質問をしてみることにした。今はとにかく少しでも情報が欲しかったからだ。
「・・・」
しかし残念ながら答えは返ってこななかった。
維斗はしきりにあたりを見渡してる。おそらくほかの人や見覚えのあるものを探しているのだろう。
だがさっきから住宅地を通っているのに人どころかそのほかの鳥や虫なども見かけていない。この付近一帯は不気味な静寂に包まれていた。
そんな静寂を打ち破ったのは意外なことにさっきから沈黙していた警察官D役だった。
「ここは異界の中で脚本家様が支配されているエリアです。そしてあなたたちはこれから脚本家様がお待ちになられる劇場にご案内します」
「なんで急に答えたんだ?」
俺が疑問に思ったことを維斗が代わりに聞いた。
「シナリオが変更されました。場面転換の間いくつかの質問に答ええることができます」
「だってさ」
維斗が顎をしゃくってきた。質問は俺に任せるということだろう。
聞きたいことは山ほどあるが
「これから聞く質問の答えはすべて本当か?」
「はい、例外なく本当です」
この質問がどれだけの効力があるかはわからないが、己の覚悟を決めるためには聞いておきたかった。
おそらくこの後聞くのは今までの常識が通用しないような話だろうから。
「ここは異界といったな、影埼町じゃないのか?」
「はい、その場所がどこかは知りませんが、あなたがたはこの異界に迷い込んだゲストであり、このエリアのホストでおられる脚本家様の歓迎を受けることができます」
「歓迎ね...お菓子でも出してくれればうれしいんだけど、そうじゃないんだろ?」
「お望みとあらば出せますが、基本は脚本家様が手掛けられた劇の鑑賞ですね」
「それを見た後、俺たちは元の場所に帰れるか?」
「・・・えぇ戻れますよ」
そこまで聞いたとき、警察官D役は足を止めた。
「到着しました」
そこには、漆黒の外壁が空を切り裂くように立ち尽くしている劇場があった。
扉は重厚な金属でできていて、どこか歪んだ装飾が施されており、その彫刻はまるで生きているかのように静かに息づいている。
「あなた方の座席はO-49、O-50番だそうです。館内はすでに暗くなっておりますのでお足もとにご注意ください」
そう言うと警察官D役は突如、まるで操り手を失った人形のように崩れ落ちた。糸が切れた瞬間、存在の意味を失ったかのように重力に従って床に吸い寄せられていった。いつの間にか自転車や警察官の制服も消えており、木の人形だけが残されていた。
「なぁきっと俺たちなら大丈夫だよな」
明るく振舞おうとした維斗の声にはかすかな不安が滲んでいた。
そんな風に維斗が隠しきれていない不安をあらわにしたと同時に、重たい扉が軋む金属音を響かせながら開いた。
風が扉の中に吸い込まれていく。
それはまるで魔物の口のように獲物が来るのを今か今かと待っている。そんな印象を受けた。
二度と戻れないそんな予感がして俺たちはなかなか最初の一歩を踏み出せないでいた。
すると突然維斗が自分の頬をたたいた。
「よっしゃ廻、行こうぜ。俺劇場で劇を見るなんて初めてだよ」
「そうか、俺は小学校の授業で行ったことがあるが、お前はないのか?」
「体育館に来たことはあるんだけどな~」
張りつめていた空気が一気に和らいだ。維斗のこういうところは素直にすごいと思える。こういう場面で他人のために明るく振舞える人間はそういない。
まぁ死んでも口には出さないが。
そうしてまるで学校の休み時間のような会話をしながら俺たちは劇場の中へと進んで行った。
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