夢の報酬
「なあ、聞いたか?」
「うん? 何が?」
「先輩だよ、先輩。夜中に階段で転んで、頭打って昏睡状態なんだってさ」
「マジかよ……。いつの話だ? そういえば、最近見かけなかったな」
「いつだっけなあ……忘れた。日にちの感覚ねえし。はははは!」
「なんだよ……。まあ、うちの会社、泊まり込み多いもんなあ。ブラック企業なんじゃないか? ははは……はあ」
ため息をつく男。仕事が嫌いで、できることなら楽に生きていきたいと、いつも考えている。好きなものといえば、酒にゲーム、女、食べることと寝ること――ごくありふれた娯楽ばかり。特別な才能もなければ、これといった情熱もアイデアもない。それでも焦ることはなく、ただ惰性で日々を過ごしていた。
しかし、そんなある夜、男は夢の中で奇妙な老人に出会った。
「おぬし、働かずに暮らしたいのか?」
「え、あ、はい。そりゃあもう、楽に暮らしたいですよ。ははは。まあ、無理でしょうけどね」
男はへらへらと笑いながら答えた。すると老人も目を細めてにんまりと笑い、こう言った。
「確かに難しいな。だが、一つだけいい方法があるぞ。夢の中で働けば、現実でその報酬が手に入るのだ」
「ええ!? そんなうまい話があるんですか?」
「あるとも。夢の中では怪我もせんし、起きても疲れは残らん。精神的な負担もない。それも当然だろう? 夢の内容など、起きたら大抵忘れてしまうものだからな。それでも、報酬はきっちりと現実の口座に振り込まれるのだ」
「すごい……ぜ、ぜひ働かせてください!」
男は身を乗り出して答えた。老人はにっこりと微笑み、頷いた。
「なんか、変な夢見たな……」
翌朝。男は目を覚ますと、寝ぼけた声でそう呟いた。老人との会話を思い返し、頬を緩める。それから、軽く鼻で笑った。ふと、子供の頃のことを思い出したのだ。
自分の部屋の学習机に札束を入れる夢を見た。そして翌朝、サンタクロースからのプレゼントを開けるような気持ちで、机の引き出しをそっと開ける――だが、中に札束などない。そう、あるわけがない。
男はため息をつき、ベッドから離れた。そして、出社の準備をしているうちに、他の夢と同じように、その内容もみるみる忘れていった。
同じような日の繰り返しが続く。そう思っていた。だが――。
「諸君! これより、業務の説明を始める! よく聞くように!」
がなるような声で、立派な髭をたくわえた工場長が作業手順を説明する。男はぼんやりと耳を傾けながら、はっとあの老人の言葉を思い出した。あの話は本当だったのか――胸の奥にじわじわと興奮が広がった。
眠りに落ち、気がつくと作業着を着せられ、無機質な工場の中に立っていたのだ。
夢の中の仕事は、工場での箱詰めや機械操作、配達などの単純な作業ばかりだった。たまにピンク色の小さな象を散歩させるという奇妙な仕事もあったが、どれだけ働いても疲れを感じないため、男は現実よりも生き生きと働いた。
翌朝、目覚めた男が口座を確認すると、確かに報酬が振り込まれていた。
仕組みはまったく分からないし、税金がどうなるのかも気になったが、あの老人はきっと神様のような存在なのだろう。心配しなくてもきっと大丈夫だ。そう考え、男は毎晩せっせと夢の中で働き続けた。
ところがある日のこと。ATMの前で男は硬直した。そして、慌てて銀行に問い合わせた。
「あ、あの、おれの口座の金が全部なくなっているんだが!?」
何度確認しても、預金残高がゼロになっていたのだ。詐欺か、それとも銀行のシステムエラーか。いずれにせよ、引き出せる金が一円もなかった。
声を荒げる男に銀行員は恐縮した声で、「すぐに確認します」と応じた。そして数分後、申し訳なさそうにこう言った。
「お客様、夢の中で多額の買い物をされたようで、その支払い分が、現実の口座から引き落とされております……」
その瞬間、男の背筋を冷たいものが走った。
金を使った記憶はまったくなかった。だが、銀行員の言うとおり、夢の中の自分が散財したのだろう。現実の生活のことなど気にせず、お構いなしに。
夢の内容を忘れるのと同じように……。