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 中に招き入れられると、ほのかに懐かしい葉巻の香りがそっと鼻をくすぐった。おじいさまがよく纏っていた香りだ。


「私らはもう無理かと思っておりましたが、奥様は最後まで坊ちゃんを守られたのですね…」

「私たちも残って最後まで残って戦うつもりでしたが、奥様と旦那様がみんなを裏口から逃がしてくれたのですよ」


 メイド長と乳母をしてくれていたテーナが先頭を歩きながら、目頭を押さえた。メイも頷きながらそのあとに続く。


 少し歩いた先でテーナが立ち止まって扉をノックすると一歩横にずれた。たどり着いた重厚な扉を見た瞬間、急に胸のざわつきが落ち着いてすっと冷えていくような感覚がした。 誰もかれもが重たい空気を纏って、こちらを見つめている。


 また、失う。そう思った瞬間に喉が塞がるような気持ちに襲われて、ここから走って逃げだしたい気持ちになった。けれど、そう思っても足は動かず、扉は開かれる。

 

「…」

「…いくぞ」


 なかなか歩き出せないセシルにそっと触れたダフニーは、その幼い肩の震えに心臓が締め付けられるような気持ちになった。母を失い、父を失い、見知らぬ土地で生き、帰ってきたかと思えばまた温かな思い出を失う。ここまでの関わりで年不相応な落ち着きを見せていたが、どう繕おうともまだ彼はただの子供なのだ。

 その少し冷えた手を取って、部屋の中に入る。


「間に合ってよかった、ようこそおいでくださいました。大旦那様、セシル様がいらっしゃいましたよ」


 寝台の隣に座っていた穏やかな面持ちの医師が、ほっとしたように息を吐いてこちらに向かって軽く頭を下げた。彼が祖父に声をかけると、ベッドの上の膨らみがわずかに動いた。


「では、私はここで失礼いたします。大旦那様、お世話になりました」


 その穏やかな眼差しの奥に深い悲しみをたたえたまま、寝台に深い礼をした医師はもう一度こちらにも礼をして部屋から出て行った。

 もうこれ以上延命する手立てはないということなのだろう。


「さぁ、お顔を見せてあげてくださいな」


 テーナに促されてゆっくりと近づいていく。


 上等な絨毯と靴の擦れる音がやけに大きく聞こえる。

 のろのろとベットの横まで来ると、最後に会った時よりもやせ細った祖父がいた。かすかに開いた瞳からはどんな感情も読み取れない。こちらのことをわかっているかも分からない。


「おじいさま…」

「…」


 返答は返ってこない。ふと横にダフニーが並んだ。見あげた顔には案じるような色が乗っている。


「あぁ……テオー…ルの子」

「はい、あなたの孫です」

「あの子はもう…」

「ここにます。生きて帰ってきました」


 夢を見てるかのように朦朧とした意識の中で、老人は目を見開いた。もう一度見た子どもは、確かに去年行方不明になった孫だった。最後に会った時よりも一回り大きくなって、少し大人びた表情を見せている少年にもう旅立ってしまった娘の面影を見る。その、まだ高いお子供特有の声が遠くなってしまった耳にかすかに届いた瞬間、老人の胸に熱い感情が湧き起こるのを感じた。


「よ…よくぞ…」


 もうあちこちすっかり機能を止め始めている体が憎らしいほど、目の前にいる愛おしい子供を抱きしめてやりたくなった。乾いた瞳がうるんで、視界がぼやける。


「…!」


 その時、部屋の中に妙な緊張感が走った。不自然な風が巻き起こり、挨拶をするように軽やかに足元を駆けて行く。怪訝な顔をした人々が瞬きをする一瞬の間に現れた女は、豪華な宝石で飾り立てた帽子をかぶって口元に意味深な笑みをたたえていた。


「…アルフィ?」


 約半年間、幾度となく顔を合わせてきた彼女がなぜここにいるのか。セシルがそう思うよりも早く、かすれた声に驚きを滲ませた声が部屋に落ちた。先ほど自分を見た時よりも目を見開いたおじい様は、思わず体を起こして、身を乗り出す。


「お久しぶり、ね」


 そう言ってこちらに目配せをした彼女の背後から、見慣れた金髪がのぞく。こちらを見て輝かんばかりの笑顔を浮かべたアリアを見た瞬間に心臓がぎゅっと縮むような感覚になった。


「アリア!」

「セシル!」


 駆け寄ってきたアリアを抱きとめようとしたその時、その間に鈍い光を放つ剣が差し込まれる。険しい顔をしたダフニーがこちらを見下ろしていた。


「セシル、知り合いか」

「その剣を下ろしてください」


 そういう前に思わず手が動いていた。鋭い痛みが手に走ったけれど何も気にならなかった。アリアが悲鳴を上げて、セシルが剣を掴まなかった方の手をぎゅっと握った。


「セシル!」

「お前!」


 さすがに焦った表情を浮かべたダフニーが剣を引いた瞬間に、浮遊感を覚える。


「貴様ら…魔法使いか」

「ご明察、さすがにこんな状況で分からないはずはないわね」


 アルフィはベッドに近づき、おじい様の手をそっと握って蠱惑的にほほ笑んだ。

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