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「密約違反ならいっぱいしてるよ」
「!?」
その言葉を発したのは部屋の中にレーナだった。突然現れた彼女は玉座にもたれかかるように立ち、その長い黒髪を退屈そうに指先で弄んでいる。
思わず名前を呼んでしまいそうになったが、声を出そうとした瞬間に喉からは息を吐く音しか出なくなっていた。
「誰だ貴様は」
「私の話が聞こえたから、つい混ざりたくなってしまって」
「まさか…」
「はじめまして、今代の王。私はレーナ・ミズキ。魔法使いの統率をとっている者だ」
完璧な淑女の礼をして見せたレーナは次の瞬間には貴族の老紳士のような見た目に変わっていた。
「先日君らは躾のなってない犬を野に放したばかりか、我らの愛しき里を壊した。それがこの小さな子供一人を私たちが虐げたことだけで釣り合わせられるとでも本気で思っているのですか?」
老紳士から今にも折れそうな小さな老婆の姿になったレーナはしわがれた声で王に問いかけた。その言葉を聞いた王は少し顔色を悪くしながらも、毅然として彼女と向き合う。
「いいね、まだあの男ほど腐ってはいないようだ」
「あのような者と一緒にするな」
「はは、それもそうだ」
王の顔色はどんどん悪くなっている。里にいた時には見たこともない敵意を纏って、言葉を紡ぐレーナからは明確な怒りが感じ取れた。ふとこちらにゆったりと歩いてきたレーナにそっと頬を撫でられる。
「でも、この子には少し悪いことをしたわ。すっかり目の色が変わってしまって」
「…この子に何をしたんだ」
隣でじっと聞いていたダフニーは少し怒りを混ぜた声で頬に触れていたレーナの手を払い落とした。
「まぁほんの少しの…実験、かしら?」
「どんな…」
「口には出せないわね。けれど成功だったわ。そう、喜ばしいことにこの子は私たちの力の一部が使えるようになったの」
「なんだと?」
「でも力を使うたびに心身を蝕むわ、その包帯の下の火傷もそのせいね」
鮮やか唇を歪めて笑う彼女の笑みは酷く美しい。けれど、里で見ていたような素朴な笑みではない。レーナは帽子を取って王に玉座の周りを踊るように回る。
ふと王と目が合った。その眼にはわずかな憐れみと恐怖が浮かんでいる。
「貴様…」
「あなたの大事な友人の忘れ形見を歪めてごめんなさいね」
「けれど、あの夜死んだ仲間の無念には及ばない」
突然無表情になったレーナは、その言葉を言い終わるや否やつんざくような甲高い笑い声を上げて消えていった。その瞬間、魔法で動きを止められていたであろう衛兵たちがざわめき始める。
「ぁ…」
声も出るようになったようだ。しかし王は死刑宣告を受けたかのような顔色で呆然としている。混乱に満ちた部屋の中でダフニーに強く肩を掴まれる。
「今の話は本当か」
「わかりません。けれど魔法が使えるようになったのは事実です。でもあの人は悪くないんです、あの里にいた人たちは誰一人…!」
あんな人じゃない。彼女たちは被害者でしかないのに。そう思って必死に紡いだ言葉は遮られた。
「…もう下がってよい。少々疲れた」
けだるげに手を振った王にダフニーは礼をしてこちらの手を掴む。
「王!」
「セシル、やめろ」
「でも…」
「帰るぞ。陛下の言葉に逆らえれば今度捕らえられるのはお前だ」
背筋の凍るような声音で言われた言葉に静かに引き下がるしかない。謁見の間を出るとひときわ豪華な鎧を纏った衛兵がダフニーの前に立つ。
「退け」
「大変不躾なこととは承知してはおりますが、そちらのセシル・テルジアには魔法使いとの内通の疑惑がありますゆえ、こちらで預からせてはもらえないでしょうか」
「ただの子供だ。魔法使いに虐げられた、ただの…」
ダフニーが睨みつけると衛兵はその鋭いまなざしに怯えながらも、毅然として返す。
「しかし、謁見の間にて奴らを擁護する言葉がありました。たとえ子供の戯言としてもその真偽をはっきりさせねばなりません」
「先の謁見で言い忘れたが今後、私はセシル・テルジアの後見人となる。それ以上の戯言は俺に向けての言葉とも見なすがそれでよいのか?」
周囲がざわつく。ピンと背を伸ばしたほかの衛兵や遠目にこちらを見ている人々の誰もが目を見合わせて何やら囁き合っている。
「それは…」
「なんだまだ言いたいことでもあるのか」
「……いいえ」
鎧の奥で小さく息を吐いた衛兵は、悔しそうな所作で礼をして去っていく。
「あの、ありがとうございました」
「何の礼だ」
「え…と、庇ってくださって」
「気にするな」
短く言ってダフニーは言葉を切った。ただ彼の吐いている革靴が固い床を踏み鳴らす音が長い廊下に響く。謁見の間から離れるとこちらに注目する人々も少なくなって、緊張が少しほぐれる。しかし、それでも突き刺さる視線は消えない。
「…」
ダフニーは噂する人々の方を見た。その瞬間に人々は慌ててその場を後にする。
「臆病な奴らめ」
セシルにだけ聞こえるような小声でダフニーは吐き捨ててた。それにどう反応すればいいのか分からず、ただひたすら黙っていることしかできない。
黙々と歩いてやっと王城から出ると、待機していたベンが出迎えた。ベンの耳元に何かを囁いたダフニーと馬車に乗り込む。やがて馬車が動き始めると、来た時とは違う方向に向かっていることに気付いた。豊かな城下町を抜け、しばらく走っていくと補装のされていない道に出た。
「どこに向かっているのですか?」
「…着いてから教えよう」
細かく伝わってくる振動にだんだんと尻が痛くなってくる頃、馬車はようやく止まった。ダフニーの手を借りて馬車から降りると、そこは日も差し込まない深い森の中だった。風に擦れる葉の音や木々の軋む音がやけに大きく聞こえる。
アリアと師匠と共に来ていた森に似てはいるが、こんな道はなかったはずだ。それにあの森はもっと優しい包み込むような暖かさがあった。ここにはそれがない。
「ここは…」
「着いてこいならいっぱいしてるよ」
「!?」
その言葉を発したのは部屋の中にレーナだった。突然現れた彼女は玉座にもたれかかるように立ち、その長い黒髪を退屈そうに指先で弄んでいる。
思わず名前を呼んでしまいそうになったが、声を出そうとした瞬間に喉からは息を吐く音しか出なくなっていた。
「誰だ貴様は」
「私の話が聞こえたから、つい混ざりたくなってしまって」
「まさか…」
「はじめまして、今代の王。私はレーナ・ミズキ。魔法使いの統率をとっているものだよ」
完璧な淑女の礼をして見せたレーナは次の瞬間には貴族の老紳士のような見た目に変わっていた。
「先日君らは躾のなってない犬を野に放したばかりか、我らの愛しき里を壊した。それがこの小さな子供一人を私たちが虐げたことだけで釣り合わせられるとでも本気で思っているのですか?」
老紳士から今にも折れそうな小さな老婆の姿になったレーナはしわがれた声で王に問いかけた。その言葉を聞いた王は少し顔色を悪くしながらも、毅然として彼女と向き合う。
「いいね、まだあの男ほど腐ってはいないようだ」
「あのような者と一緒にするな」
「はは、それもそうだ」
王の顔色はどんどん悪くなっている。里にいた時には見たこともない敵意を纏って、言葉を紡ぐレーナからは明確な怒りが感じ取れた。ふとこちらにゆったりと歩いてきたレーナにそっと頬を撫でられる。
「でも、この子には少し悪いことをしたわ。すっかり目の色が変わってしまって」
「…この子に何をしたんだ」
隣でじっと聞いていたダフニーは少し怒りを混ぜた声で頬に触れていたレーナの手を払い落とした。
「まぁほんの少しの…実験、かしら?」
「どんな…」
「口には出せないわね。けれど成功だったわ。そう、喜ばしいことにこの子は私たちの力の一部が使えるようになったの」
「なんだと?」
「でも力を使うたびに心身を蝕むわ、その包帯の下の火傷もそのせいね」
鮮やか唇を歪めて笑う彼女の笑みは酷く美しい。けれど、里で見ていたような素朴な笑みではない。レーナは帽子を取って王に玉座の周りを踊るように回る。
ふと王と目が合った。その眼にはわずかな憐れみと恐怖が浮かんでいる。
「貴様…」
「あなたの大事な友人の忘れ形見を歪めてごめんなさいね」
「けれど、あの夜死んだ仲間の無念には及ばない」
突然無表情になったレーナは、その言葉を言い終わるや否やつんざくような甲高い笑い声を上げて消えていった。その瞬間、魔法で動きを止められていたであろう衛兵たちがざわめき始める。
「ぁ…」
声も出るようになったようだ。しかし王は死刑宣告を受けたかのような顔色で呆然としている。混乱に満ちた部屋の中でダフニーに強く肩を掴まれる。
「今の話は本当か」
「わかりません。けれど魔法が使えるようになったのは事実です。でもあの人は悪くないんです、あの里にいた人たちは誰一人…!」
あんな人じゃない。彼女たちは被害者でしかないのに。そう思って必死に紡いだ言葉は遮られた。
「…もう下がってよい。少々疲れた」
けだるげに手を振った王にダフニーは礼をしてこちらの手を掴む。
「王!」
「セシル、やめろ」
「でも…」
「帰るぞ。陛下の言葉に逆らえれば今度捕らえられるのはお前だ」
背筋の凍るような声音で言われた言葉に静かに引き下がるしかない。謁見の間を出るとひときわ豪華な鎧を纏った衛兵がダフニーの前に立つ。
「退け」
「大変不躾なこととは承知してはおりますが、そちらのセシル・テルジアには魔法使いとの内通の疑惑がありますゆえ、こちらで預からせてはもらえないでしょうか」
「ただの子供だ。魔法使いに虐げられた、ただの…」
ダフニーが睨みつけると衛兵はその鋭いまなざしに怯えながらも、毅然として返す。
「しかし、謁見の間にて奴らを擁護する言葉がありました。たとえ子供の戯言としてもその真偽をはっきりさせねばなりません」
「先の謁見で言い忘れたが今後、私はセシル・テルジアの後見人となる。それ以上の戯言は俺に向けての言葉とも見なすがそれでよいのか?」
周囲がざわつく。ピンと背を伸ばしたほかの衛兵や遠目にこちらを見ている人々の誰もが目を見合わせて何やら囁き合っている。
「それは…」
「なんだまだ言いたいことでもあるのか」
「……いいえ」
鎧の奥で小さく息を吐いた衛兵は、悔しそうな所作で礼をして去っていく。
「あの、ありがとうございました」
「何の礼だ」
「え…と、庇ってくださって」
「気にするな」
短く言ってダフニーは言葉を切った。ただ彼の吐いている革靴が固い床を踏み鳴らす音が長い廊下に響く。謁見の間から離れるとこちらに注目する人々も少なくなって、緊張が少しほぐれる。しかし、それでも突き刺さる視線は消えない。
「…」
ダフニーは噂する人々の方を見た。その瞬間に人々は慌ててその場を後にする。
「臆病な奴らめ」
セシルにだけ聞こえるような小声でダフニーは吐き捨ててた。それにどう反応すればいいのか分からず、ただひたすら黙っていることしかできなかった。
黙々と歩いてやっと王城から出ると、待機していたベンが出迎えた。ベンの耳元に何かを囁いたダフニーと馬車に乗り込む。やがて馬車が動き始めると、来た時とは違う方向に向かっていることに気付いた。豊かな城下町を抜け、しばらく走っていくと補装のされていない道に出た。
「どこに向かっているのですか?」
「…着いてから教えよう」
細かく伝わってくる振動にだんだんと尻が痛くなってくる頃、馬車はようやく止まった。ダフニーの手を借りて馬車から降りると、そこは日も差し込まない深い森の中だった。風に擦れる葉の音や木々の軋む音がやけに大きく聞こえる。
アリアと師匠と共に来ていた森に似てはいるが、こんな道はなかったはずだ。それにあの森はもっと優しい包み込むような暖かさがあった。ここにはそれがない。
「ここは…」
「ついてこい」
ダフニーはそれだけ言っていきなり藪の中に足を突っ込んだ。驚いて立ち止まっていると振り返った彼は少しめんどくさそうな顔をする。
「旦那様、セシル様の背丈ですとこの道はあまりにも険しいかと」
「…ちっ」
ベンの言葉に小さく舌打ちをするのが聞こえたと同時に視界が急に高くなった。不慣れな手つきでセシルを抱き上げたダフニーは、こちらを一切見ることなく道を外れた森の奥を進んでいく。その不慣れな手つきが少し懐かしい。
「まだ教えてもらえないのですか?」
「あぁ、あと少しだ」
上等な布で仕立てられているズボンが汚れるのを気にもせずにダフニーは道なき道を通って森の奥深くに入っていく。
魔法使いとのつながりがあったから捨てられるのだろうか。それとも殺されるのか。絶え間なく悪い想像が頭の中に浮かんでいく。庇ってもらったのは事実だが、それとは別に彼がセシルのことをどう思っているかは、まったく分からない。
突然彼の足が止まった。
「着いたぞ」
耳元でかすれたダフニーの声が聞こえると同時に、急に明るくなった視界に瞬きしながら前を見る。
そこには美しい花畑と、二つの石碑が並んでいた。




