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長い廊下を渡り終え、いくつかの曲がり角と重厚な扉をくぐったその先にあるひときわ豪華な扉が開かれる。
「やっと来たか」
その奥から低く、重い声が聞こえてきた。
「遅くなり申し訳ない。…セシル」
全く反省の色などない表情を浮かべ、平坦な声で謝罪したダフニーは自分より二回りも幼い少年を振りかえった。付け焼刃の最敬礼をしながらもまだ少し緊張している様子のセシルは慌てて姿勢を正す。
「そなたがセシルだな」
「はい。その通りです」
「ふむ、面を上げよ」
言われた通りに顔を上げると、部屋の最奥で豪奢な椅子に座りこちらの様子を見下ろす王と目が合う。その額に深く刻み込まれた皺を見るに父よりも年上に見えるが、まだ艶がある白髪も混ざっていない髪を見ると父よりも若く見える。不思議な存在感のある人だ。
「やはり覚えてはいないか。そなたが生まれて間もなきころに会ったことがあるはずだが」
「そのような時分の記憶があるわけないだろう」
「そう尖るな、ただの戯れだ…セシル、もう少し近くに寄ってくれ」
本来は無礼であろうダフニー物言いを気にする様子もなく、笑った王に手招きされる。そっとダフニーの顔を窺うと手で行け、と促される。
今いる場所から王までの距離はアリアたちと過ごした小さな家が一つ入りそうなほど離れている。どこまで近く寄ればいいのかわからず、中央で一回立ち止まる。
「遠慮しなくていい、もっと近くへ」
不思議な威厳を感じさせる重い声が一層大きく聞こえる。一歩一歩、柔らかな絨毯を踏みしめて歩いているうちに、絨毯と靴の裏が擦れるわずかな音さえ煩わしく咎められるもののように感じた。
「もう少し近くへ…そう、そこだ」
「はい」
言われるがままに歩き続けるうち、玉座まで二歩分の間しか空いていないところまで来た。近くで見る王の表情は父よりは厳しいが、ダフニーよりかはまだ柔らかい。
「…」
止まったと同時にもう一度礼をして顔を上げる。こちらをじっと見つめる視線の意図はつかめない。誰も話さず、わずかな呼吸音が聞こえるだけとなってから何分経ったのかわからない。永遠にも思えたその沈黙は王のため息に破られた。
「そなたの瞳はそんな色であったか」
「…」
どう答えていいか分からず、思わず黙り込んでしまった。なにせ自分にもわからないのだから答えようがない。ダフニーにもどこまで話していいのか分からずに結局沈黙を返す事しかできなかった。
「それは魔法使いの瞳だろう。そなたの持つようなものではない」
「…!」
王の口から出てきた言葉に思わず体が震えてしまった。伏せていた視線を思わず上げると、少し皺の深くなった王と目が合う。
その存在自体が忘れられかけているとは言え、王がその存在を知らないわけはない。そんなことはとっくに知っていたはずなのに。
セシルの反応を見た王は、一転柔和な表情を浮かべて玉座から立ち上がった。
「そなたがめっきり行方をくらませていたこの半年、何があったかはあえては聞かない。しかし、魔法使いどもに少しでも傷付けられたことがあれば必ず言ってくれ」
「え?」
「狡猾な奴らよ。歴史の表舞台から姿を消していたと思えばあんな場所に巣を作っていたとは」
「…」
「我らは数百年前に彼奴らと互いを不可侵とする密約を交わした。破られるようなことがあれば人と魔法使いは今度こそ決定的に衝突することになるであろう」
「待ってください、侵略してきたのは人間でしょう!」
思わず声を上げていた。それまで滔々と語っていた王は一瞬動きを止めた後、こちらを見下ろしてため息をついた。その瞬間、部屋の中に緊張感が走る。かしゃりと金属同士が擦れる小さな音が聞こえだす。周りを見渡すと、衛兵たちからそのさざ波は起きていた。
「あぁ皆、早まるではない」
王の少しめんどくさそうな一言でさざ波は収まる。こっそり後ろを振り返ると、遠目にも焦った顔のダフニーと目が合う。目が合った瞬間にいつもの顔に戻った彼は、人差し指を立てて前を向くように示した。
「そこよな。我とてその密約は半ば伝説のように思っていた。しかし、あの男が…ちっ」
突然舌打ちをした王は、肘置きを叩いて言葉を切った。
「途中で投げ出すな。お前を連れてきた男は我々からすればただの重罪人だが、向こうからすれば我々と同じ人間だからな。その代償を求めるとすれば、国の上に立つ我らに来るだろう。だから人間が侵略をしたのと相応の密約違反があっちになかったか探っているんだ」
いつの間にか隣まで歩いてきていたダフニーが王を見つめながら淡々と説明した。けれど、そうは言われてもこの半年間で語れるものといえば、どれも穏やかで優しい記憶ばかりだ。今この体についているわずかな傷であっても彼らにつけられたものはただの一つもない。けれどそれを言ったところでまた困らせるだけだろう。
また部屋に長い沈黙が下りようとしてたその時、突然明るい声が響いた。
「密約違反ならいっぱいしてるよ」




