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「なんだかご機嫌ね」
「ふふ、まあね」
街には出れないが、昨日使った集音の術を使えばこの建物の近くを通っている人々の会話が聞ける。ごくたまにセシルに関する話が聞こえてくると、とても安心すると同時に不安にもなる。もっと聞きたくても、魔力がまだ続かないのもあってすぐに術は途切れてしまう。
「はぁ…」
「少し休憩したら?魔力が切れた時って本当に辛いんだから、ほどほどにしないと」
フェリスがくるりと指を回すと、どこからともなく紅茶の入ったティーカップが飛んでくる。淹れたてであることを示す湯気はかすかな茶葉の香りを運んでくる。そのティーカップを受け取ると、後ろから声が聞こえてくる。
「いいなぁそれ、おじさんにもくれよ」
あくび交じりの声で話しかけてきたのは、まだ怪我の治りきっていないアキおじさんだ。ひどい怪我を負いながら、レーナの守りの呪いで何とか一命をとりとめたおじさんは今朝目を覚ましたばかりだ。
少し不機嫌そうなフェリスはおじさんの近くにあるテーブルにも茶器を呼び出した。少し乱暴な音と共にテーブルに着地したカップから湯気は見えない。
「お、いい温度だ」
そう言いながら、紅茶を一気に飲み干したアキおじさんは椅子に勢い良く座ったが、傷が痛んだのか思いっきり顔を顰めた。
「いてて…留守番組はお前らだけか?」
「…」
「うん、みんな忙しそう」
フェリスは黙って何も言わない。おそらくは人見知りが発動しているのだろう。そんなフェリスの事を知らないわけではないので、アキおじさんも話を続けていく。
「レーナたちは分かるが、ここに元から泊っていた奴らは何をしに行ったんだ?」
「えーと…」
「…人間たちからの依頼をこなしに行ったのよ」
私が答えられないのを察して、不愛想に言ったフェリスはおかわりのポッドを呼び出した。彼女の手元に置かれたカップになみなみと熱い紅茶が注がれていく。
どうやら、元々ここにいた魔法使いたちは気ままに旅をしながら、時々人間たちからの依頼を受けて報酬を得ていたらしい。人によっては金品だけではなく人体の一部を要求するような人もいるようだが、そのような料金設定では依頼は来ないので大抵の魔法使いは、金や髪の毛など依頼者側に対して負担のかからないものを設定している。
髪の毛は呪いや術の発動に使われる。髪の毛だけではなく体の一部出れば何でもいいが、代償としてまだ軽い方なのが髪の毛なのだという。でも今までそんな仕事をしている人がいるなんて聞いたことも無かった。そんな仕事があるって知ってたなら、きっともっと魔法の練習を頑張っていたに違いないのに。将来、その仕事をすればセシルが帰ったとしても近くにいられる。
「だからこそ教えなかったんじゃないか?アネリ、君の師匠だって君のことが心配だったんだろう。大抵の人間は愚かで身勝手だよ、君たちが身を削って願いを叶える価値はないんだ」
「…」
穏やかな声音で語られる言葉にはいくらか棘がある。その棘が自分に向けられたものでは無いとしても、なんて返せばいいのか分からずに黙り込んでしまう。フェリスも相変わらずじっと黙っている。部屋に沈黙が落ちかけた時、ちょうど玄関の方で誰かが帰ってきた音がした。
「ただいまー!いやー、疲れた疲れた」
入ってくるなり疲れ切った声でそう言ったのはアルフィだ。入口から一番近い席に座ると、そのまま机に突っ伏して寝始めた。その後ろからネルが顔を出す。
「やぁ、お寝坊さんたち」
「いつから出かけてたの?」
「太陽がすっかり昇った後だよ。一緒に行こうと思ってたんだけど、二人とも気持ちよさそうに寝ていたからね」
無言で振り向くとフェリスは口を結んだままそっぽを向いた。出かけたくないから残ったのかと思ったが、そういうわけでもなかったらしい。ネルは苦笑すると懐から一体の人形を取り出し、フェリスに差し出した。
「ほら」
「ん…」
その人形はセシルを模したものだった。ネルの方をチラリと見て、その人形を見たフェリスは興味なさげにそれを受け取る。
「これ、アリアにあげるわ」
こちらを振り返ったフェリスが、キラキラとした朝焼けの瞳を持つ人形を差し出す。少し前にフェリスがセシルに渡したものだ。
「これ、セシルにあげるって…」
「もう、いないでしょ」
一瞬声を詰まらせたフェリスに胸がきゅっと痛んだ。
「だってセシルは生きてるよね?」
「生きてる。けれどあの子はもう人間の世界に戻るって決めたらしいわ。それならあの子に渡すことはもうないしこれはあなたにあげる」
「セシルが人間の世界に?」
「えぇ、忘れたの?彼は人間でしょ」
そう言うともに人形を私に差し出したフェリスの手は少し冷たかった。




