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「起きて、アリア」
誰かに体を揺さぶられる感覚で目を覚ます。目を開けると暖かな朝日が差し込んできて、思わず目を瞑った。
「ごめんなさい、眩しかったわね。よく眠れた?」
もう一度ゆっくりと目を開けると、カーテンを締めながらフェリスがこちらを見ていた。
「うん…おはよう」
「おはよう、ご飯は食べられる?ハナさんはせっかちだから早く行かないと朝ごはんの時間が終わってしまう」
少し焦った様子のフェリスに連れられて、食堂に降りる。目を擦りながらドアを開くと昨日の夕食よりも少し少なくなった魔法使いたちが朝ごはんを食べている。
「ほら、あの人よ」
フェリスはそう言って自分の席に着いた。多分大人とはあまり話したくないのだろう。いそいそと座り直しているフェリスを横目に、食堂を見渡せる場所に立って全体を眺めている魔女に近づく。
「あら、アネリのところの子じゃない!セシルもセラも帰っちゃったらしいわねぇ」
「あの…朝ごはんください」
「あらあら、忘れてたわ!待っててねー」
ハナは洞窟の中でセラのことをとても気に入っていた魔女だった。話を遮ってしまったが、彼女は不機嫌になるでもなく忙しなくお喋りしながら、厨房の奥に歩いていく。少し待つと彼女は体の周りに椀を浮かせて戻ってきた。席を聞かれてフェリスの方を指さすと、何を言うまでもなく食器たちが席の方へ飛んでいった。最後に手のひらを出すように促され、首を傾げながら手を差し出すと赤い紙に包まれた飴玉が渡される。
「はい、オマケ」
「?」
「お子ちゃま限定よ。さ、食べてきちゃいな」
師匠よりも少し柔らかい手が私の頭を撫でた。
席に着くと、先に食べ始めていたフェリスの皿の横にも色違いの黄色い紙に包まれた飴が置いてある。その横にもらった飴を転がして、まだ湯気の出ている料理を食べようと匙を持ったとき、奥の方で何やら話し合っていた魔法使いたちが騒がしくなった。
「なんだろう」
「さっき少し聞こえたけど、里の今後についてとか人間との付き合いとか、そういうつまらない話よ」
興味なさげにスープを飲み干して、フェリスはため息をついた。その声音からは少し不機嫌な様子が読み取れる。
「師匠とネルも朝から出かけて行って、私だけ仲間外れだし…」
「だからいなかったんだね」
「そう、だからあなたが起きるまですっごく暇だったわよ」
むくれたフェリスに頬をつままれる。でも、そんないつもみたいなやり取りに少しうれしくなる。うれしくて隣を見たけどそこには誰もいない。
「…セシルは、」
私を見ながら何かを言いかけてフェリスは口を閉ざした。食堂の入り口から大量の紙や本を抱えたハヴィが入ってきたからだ。フェリスは立ち上がってハヴィの方に駆け寄っていく。そして、彼女が今にも落としそうになっている本や資料を慌てて持った。
「ありがとう、フェリス」
少し離れた斜め向かいの席に、資料がどさりと置かれた。ハヴィは汗をぬぐいながら席に着く。資料を置いたフェリスはまた元の席に戻ってきた。
「これは?」
「アリア、おはようございます。これはお仕事の資料です、ご飯中にごめんなさいね」
一言二言交わしただけで、さっそく仕事を始めたハヴィさんを邪魔しないように目の前の料理に向き直る。しかし、ふとききたいことがあったのを思い出して隣に座るフェリスに声を潜めて話しかけた。
「そう言えば、里にはいつ帰るの?」
「あぁ、あともう少しかかりそうだって師匠が言ってたわ」
まだ帰れないのか、と帰らなくてもいいか、という気持ちが胸の中でふわふわと浮いている。こうして誰からも何も言われないということは、セシルも師匠も見つかっていないということだろう。そう考えるとあの家に一人帰るのがひどく恐ろしいことに思えた。
「少なくとも一週間はここで過ごすことになるわね」
何やら文字のびっしり書かれた紙に目を通していたハヴィが不意に口を開く。彼女の顔は紙に固定され、たまにその隣に置いた別の紙に書き込みを入れている。しかし、その間にも彼女は里の今の状況を教えてくれた。
襲撃によって里の魔法使いは里の内外に散り散りに逃げてしまって、その大半の安否は分からないこと。その人たちを里長と残った魔法使いたちが昼夜問わず飛び回って探している途中であること。里の建物は半分以上が焼け落ちてしまっていること。
私たちが見ていなかったところでも、人間たちはあちらこちらに攻撃を仕掛けていたらしい。さらに、撤退し遅れて残っている人間もいるため、今里にいる人々はその対応にも追われているという。
でもいろいろな情報が入ってきても、その中に欲しかった情報は無い。
「師匠はまだ見つからない?」
「…」
ハヴィはどこか衝撃を受けたような顔になった。隣で聞いていたフェリスの手が指に少し触れる。その手はひどく冷えていた。
「ア、ネリは…」
口を開こうとしては閉じることを繰り返した、その様子でもう分かってしまった。いや、本当はもうわかっていたはずだった。だって、まぶたにはまだあの赤がこびりついて離れないのに。
私が口を閉ざして俯いたのを見て、ハヴィも口を閉じる。食堂には重い空気が漂った。
本当はずっと認めたくなかった。あんなに強い師匠があっけなく死んでしまうなんて信じられなかった。
魔女は偉大な功績を残すと称号をつけられる。それは本人のあずかり知らぬところで付けられる場合もあるし、本人が自ら名乗りだす場合もある。とにかく、歴史に残るような偉業か凶事を引き起こすことで得られるそれを師匠も持っていた。
鉄の魔女アネリ。その名は数百年前、狂奇の魔女アルフィと一つの国を滅ぼした際に付けられたらしい。その経緯は分からないし、本人にも聞いたことはない。けれど師匠はその名に負けない強さを持っていた。魔法を使えば誰よりも正確で強く、数多くの発明も残した。それなのに、そんな師匠が一瞬で殺されるような武器を人間は持っていた。まるで魔法みたいな、圧倒的な力で師匠の体は弾けた。
少し前まで、私と楽しげに訓練をしてくれた師匠はもういない。でも鉄の魔女と呼ばれた彼女だったらこんなにあっけなく死ぬこともなかったんだろう。考えれば考えるほど、気持ちが落ち込んでいくのを感じる。
「あら、食欲はあんまりない?」
横からいつの間にかこちらに来ていたハナが覗き込んでくる。ハッとしてさらに手を付けようとするとやんわりと手を抑えられた。
「食べたくないときは食べなくていいのよ、私も子供には少し多かったと思ってたしね」
何も言えずにいるとそのまま下げられてしまった。しかし、食欲は先ほどの話で全くなくなっていたので少しホッとする。その後も誰とも話す気にはなれず、すぐに部屋に戻ってしまった。
部屋に戻っても気分は変わらず、力なくベッドに倒れこんで目を閉じると窓の外からかすかに街の人々の声が聞こえてくる。その喧騒に耳を傾けていると、師匠から教わった魔法の事を思い出した。遠くの音を拾う魔法だ。あまり魔法の練習もしていなかったのでベッドに寝ころんだまま魔力を練ってみる。特に問題はなさそうだ。
セシルは大丈夫だろうか。私を最後に逃がすとき、彼は魔力を使っていた。腕まではしっかり見えていなかったが、館にいた時の出来事から考えると、また火傷してるかもしれない。そう考えるといろいろと心配事が増えてきて、魔力も乱れてきた。心を落ち着かせて魔法をかける。対象は窓の下を通る人たちだ。術を発動させるとすぐに人々の会話が聞こえてくる。
「…んと、最近は物騒で嫌になるわね」
「そうね、でもテルジア家のご子息が見つかったっていうじゃない。どこにいたのかしらね」
「セシル様といったかしら?でもご家族も全員無くなってしまったのにどうするのかしらね」
「家を復興するって話よ」
「本当に?それにしてもあの反乱を起こした犯人はよく処刑されないわね。あんな事件を起こしたなら即処刑でもおかしくないのに…」
聞き覚えのある声に思わず動揺して術が中断してしまった。それでも、それでも彼が生きてる。その事実が胸が痛いほど嬉しかった。
その夜のベッドはあまり寒くない気がした。




