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窓が開く音がして目が覚めた。いつの間にか外は暗くなっている。目を擦りながら体を起こすと、いつの間にかベッドにいた。窓の方に目をやると、魔法使いがひらひらと手を振っているのが見える。
「やぁ、何日かぶりだね」
「里長!」
その声に思わず布団を跳ね除けて駆け寄りたい衝動に駆られる。しかし、レーナが口元に指を当てたことで我に返った。
もどかしく思いながら、持ち上げた布団を元に戻すと、音もなくこちらに近づいてきたレーナがセシルの顔を覗き込んだ。
「いい子だ。その様子じゃ手厚く迎えられてるみたいだけど、何もされてないよね?」
「はい…あの、アリアは無事ですか?」
「うん、無事だよ。君がいないから少し寂しがってるけど」
その言葉を聞いて少し安心した。しかしそれより心配な気持ちの方が大きい。
優しいあの子が、彼女が愛した人が目の前で消えるような、そんな経験をすることが無いように願っていた。人間に悪意すら抱いたことが無かったその純粋さを突然踏みにじられるようなことが無ければいいと祈っていた。それなのに、あの男は一瞬で全てを壊した。
「君が望むならアリアの所に連れていくよ」
長い沈黙が部屋に落ちる。すぐに答えは出せなかった。今すぐにでも帰りたいと言えたらどれほど楽だったか。
そもそも、自分が里にいたからこそ今回の襲撃は起きたと言える。その犯人がまだどうなったかも分かっていないまま、彼らの元に帰っても、きっと同じことが繰り返されるだけだ。黙りこくっても、レーナは急かすことなく、落ち着いてセシルを見つめている。その顔を隠す薄布の向こうに穏やかな眼差しを感じながら口を開いた。
「…両親をなぜ殺したのか、奴らに直接聞きたいんです」
「そう、君が決めたのならば私は止めないよ。でも、辛くなったらいつでも呼んで。里は君の第二の故郷でもあるんだから」
「はい」
返事をすると、レーナは何かを思い出したかのように少し大きな声で叫んだ。
「あっ!そうだ、君魔法が使えるようになったんだって?」
「一応、です。使うと腕がすごく痛いし、火傷するのでしばらくは使いません」
「ふーん…確かに、その方がいいかもね。人間が魔法を使えるようになるなんて初めて聞いたよ。また様子を見に来るからその時までに調べておくね」
「入ってもよろしいですか」
突然、部屋の外から聞こえてきたベンの声に思わず、二人同じタイミングで固まる。
「少し待っていてください!」
「いいよいいよ、もう帰るし」
セシルが返事をすると同時に、レーナは入ってきた窓を開けた。出ていく直前でレーナはこちらになにかを投げる。それは指先ほどの小さなものだったが何とか掴む。
「そうだ、これを君に」
恐る恐る手のひらを開くと、それは小さな耳飾りだった。橙の光と夜空にも似た濃い青色が混ざりあったような石がしゃらりと揺れる。
「これはアネリが君たちにあげようとしてたものだ」
「師匠が…?」
その名前を聞いた瞬間、赤が散ったあの瞬間が浮かんだ。その顔を見たレーナは一度口を閉ざして少し俯いた。少し唇を震わせながら、息を吸った彼女は小さく息をついた。
「あの子は…間に合わなかったよ。ごめんね」
ほんの少し胸に浮かんだ期待がじわりと溶けてなくなる。そうだ、さすがに魔法使いと言えど、不死身では無いのだ。改めて喪失感が襲ってくる。
「また、様子を見に来るから。またね」
そう言って、窓から出て行ったレーナは瞬く間に夜の闇に溶けていった。喪失に慣れてしまったのか、涙すら出てこない。ただただ胸が痛くて、このまま小さくなって消えてしまいたかった。
「あの、もうよろしいでしょうか」
部屋の外からやや困惑した声が聞こえてきた。ベンさんを待たせているのをすっかり忘れていた。
何とかベッドから立ち上がったが、耳飾りは今すぐにつける訳にもいかず、ポケットに押し込んでドアを開けた。
泣いている暇は無い。きっといつかまたアリアに会う日までに、両親が、師匠が命を投げ打って守ってくれただけ価値のある人間にならなければならない。もし、この先の人生で二度と彼女に会うことがなかったとしても。




