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「貴様、牢から脱獄したその身でよくもここに顔を出せたものだな」
「いや、その節はどうもご迷惑を」
「うるさい!」
セシルは心底冷めた目で目の前で行われている不毛なやり取りを眺めていた。反乱軍の首領、ユウキという男の持つ前科はもちろんだが、この上なく軽薄なその態度で一々、門番を刺激し激昂させるので、セシルたちはずっと王城の一歩手前、巨大な門の前で足止めを食らっている。事件の前、いつも話し相手をしてくれたセラはあの後、最初に森で会った時に話していた上司に引き取られていった。当然、奴の率いる人間たちもろくな人間がいないが、身動きもできないのでただ黙って待つことしかできない。
「おい、奴の口車に乗せられるな」
乗せられた天井の無い簡素な荷台の中で密かにあくびを噛み殺していると、厳格な雰囲気の声が聞こえてきた。当然ながら逃亡防止のため拘束され、布も被せられているので外の様子は見えない。しかし、兵士たちのざわつきを聞けば大物が出てきたのは想像がついた。
「おや、宰相様が出てくるとは」
「…テルジア家の子息を連れ帰ったと聞いたが」
「いますよ、こちらに」
被せられていた布が乱雑に取られ、いきなり差し込んできた光に思わず目を瞬かせる。その次に見えたのはまたいけ好かない顔で笑っているユウキと、眉をひそめながらこちらを覗き込んでいる白髪交じりの男だった。
「セシル…お前なのか」
「…?」
思わず首を傾げてしまった。誰か父の知り合いや母の友人だったかもしれないが、半年間全く別の場所で過ごしたせいか全く思い出せない。
「この目の色はどうした?貴様がこの子に何かしたのか」
「えぇ?目の色がどうかしたんですか?」
セシルの顔を見て心底安堵したような表情を浮かべた男は、セシルの目の色が変わっていることに気付きユウキに詰め寄る。だが彼は笑みを崩すことなくわざとらしく驚いて見せる。何も知らなければすっとぼけているような演技だが、実際に彼は何もしていないし、彼と会った時からずっとセシルの目はこの色だった。
「正直に吐け!」
何か裏があるとすっかり信じた彼はユウキの胸ぐらを掴んで激しく揺さぶった。その様子を見て思わず背筋をひんやりとしたものが駆け抜けていく。
今、彼らは武器を取り上げられ、何もできない状態のはずだが、まだ師匠の体が弾け散る瞬間が脳裏に焼き付いて離れない。そもそも魔法使いの里をあそこまで追い詰めるだけの力を持ちながら、律義にこの城の中では兵士に従っているふりをしているのは何故だろう。考え出すと子供でもわかる矛盾が多い。
「まぁまぁ、本人から聞けばいいでしょ。じゃ、僕らはここらで」
セシルをひょいと持ち上げて引渡し、当然のように帰ろうとしたユウキを男は逃がしはしなかった。兵士がユウキの両腕を拘束し、連れて行く。残された者たちは夢でも見ていたかのように、呆然としている。
「お前らは別の場所で話を聞く。しっかりと見張っておけ」
セシルを抱き上げた男は、厳しい声で門番、そして集まってきた別の兵士たちにも命じた。彼は一瞬セシルの目を見た。
「君はこっちだ」
至近距離で見る彼の顔は正直言って少し怖い。眉間に深いしわを刻み、下手をすれば睨んでるようにも見える鋭い眼差しはセシルを通り過ぎて連行されていく男達を捉えていた。しかし、すぐに踵を返して城から出る道に歩き出す。
「どこに行くの、でしょうか」
「…僕の家だ」
付け足したような敬語に期限を損ねたのか、短く答えた男はそのまま待たせていた馬車に乗り込む。半年ぶりに乗った馬車になんだか不思議な感覚を覚えた。ほうきで飛べばいいのに、とか絨毯はないんだろうか、と考えてから人間の世界に戻ってきたことをやっと実感する。
動き出した馬車の揺れに伴って、ちりちりとした痛みを感じる。アリアを逃がす時に使った力で腕は少しただれてしまった。触らなければどうということはないが、やはり痛いものは痛い。
「あいつらにやられたのか」
「いいえ…」
「そうか、ではこの目はどうした?」
「…あいつらではありません」
男は心底訳が分からないと言うふうに眉間のしわを一本増やした。しばらく沈黙が続き、男の方から口を開く。
「まだ自己紹介していなかったな、俺はダフニー・ブランシャール。あの事件の少し前にも会ったはずだが、その様子では覚えてないな」
「すみません」
「そんなに畏まらなくていい。私の屋敷に着いたら治療させよう、詳しい話はそのあと聞く」
そう言ったきり、ダフニーと名乗った男は黙って窓の外の景色を眺め始めた。下手なことは言わないに限ると、釣られて外を見る。半年ぶりに見る人間の街は奇妙な感じがする。誰も顔を隠すことなく、自由に家族や友人との時間を楽しんでいる。
「この半年、不自由はしていなかったか」
いつの間にかこちらを見ていたダフニーはわずかに案じるような声音でそっと問いかけてくる。声音は案じているが眉間のしわはまた一本増えた。
「はい、あいつらのおかげではありませんが」
昨日の光景が時々フラッシュバックしては呼吸が乱れそうになる。あんな人間のために一瞬でも心を痛めた半年前の自分が愚かしく思える。両親を殺し、師匠を殺し、アリアさえもその対象になりかけた。
「…それならば良い」
それっきりダフニーは目を閉じて彼の屋敷に着くまで黙り込んだままだった。
「旦那様!」
屋敷に着くと驚愕した執事らしき男が出迎えた。後ろを横切ろうとしていた使用人たちもその言葉を聞いて持っていた洗濯籠やらぞうきんを取り落としてダフニーを迎える。
「噓!本当に旦那様だわ!また眉間の皺が増えて…」
「隣の子はどなたかしら、隠し子…?」
「お前たち…」
一斉に集まって本人を置き去りにあれこれと語る様子は、まるで魔女たちがお喋りしている時を思い出させた。しかし、ダフニーがため息をついて手をあげると一斉に口を閉ざす。
「ここにいるのは半年前に行方不明になったテルジア家の子息セシル殿だ。しばらくは我が家での預かりとなったため、皆失礼の無いよう頼む」
「…よろしくお願いします」
続いて挨拶をすると、先ほどまで自由に話し合っていた使用人たちは一斉に揃って礼をした。その後、彼は再び王城に帰った。
「私はこの家の執事を務めているベンと申します。セシル様、とお呼びしてよろしいでしょうか?」
「セシルで大丈夫です」
「いいえ、そのようなことがあってはいけません。そんなことになれば、わたくしたちの首が飛んでしまいますからね」
それから、あっという間に自分が指一つ動かさないうちに体を洗われ、真新しい少し大きい簡素ながら上質な布であつらえられた服を着せられた。彼らは手も早いが口もよく回る。あれこれ世話を焼きながら、息をつく暇もないくらい話しかけてくるので、急いで用意されたと思われる部屋に案内される頃にはすっかり疲れ切っていた。
そこまで寛ぐ気はなかったが、さすがに疲れて部屋に置かれた柔らかい椅子に座り込む。そう言えば、アリアは無事に逃げられただろうか。アキさんはどうなったのか、セラは折檻など受けていないか。考える余裕が出てくると無限に心配なことが頭に思い浮かんでくる。
机に置かれていた手鏡が目に入った。覗き込むと夜空の瞳がこちらを見つめ返す。一時的なものかと思ったが、これは一生このままなのだろうか。
手鏡を持ったままぼんやりとしているとノックと共に1人のメイドが入ってきた。先程のお喋りな使用人たちの中にはいなかった人だ。
「失礼いたします」
「どうぞ」
「こちらのお召し物は如何なさいます?かなり汚れておりますが…」
「…あ、洗っておいてくれますか?貰い物なので」
「かしこまりました」
師匠から貰った服は、昨日のことで所々破れて汚れも酷かったが、それでもメイドは顔色一つ変えることなく礼をして部屋から出ていった。洗ってもらうのは図々しかっただろうか。自分で洗うと申し出ればよかったのかもしれない。ソファの上で悶々と考えているうちに、睡魔が襲ってくる。抵抗する暇もなく、瞼が重くなってきてあっという間に意識が薄れていった。




