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「…ぁ」
自分の間抜けな声で目を覚ます。妙な感覚を覚えて顔を触ると、目元が濡れていた。悪い夢を見ていたようだ。足にも違和感を覚え、ゆっくりと体を起こすとベッドに突っ伏して寝ているフェリスがいる。
「やっと起きた?体は起こさない方がいいと思うよ」
ちょうど部屋の扉から入ってきたネルが覗き込んでくる。そういえばここはどこだろう、家ではない。そもそも、何をしていたんだっけ。今日は何日だろう。
そこまで考えてふと気付く。何かが足りない、何かがいない。
「あれ、私」
「大丈夫?絨毯が君を運んできたと思ったら君は目を開けたままぼんやりとしててさ…」
そう言われた瞬間に、赤がフラッシュバックして心臓が跳ねた。額にひんやりとした手を当てたネルの手を反射的に掴む。
「師匠は!?セシルはどこ!?」
「…」
ネルは小さく口を開けたままうつむいてしまったが、それが答えみたいなものだった。
「…」
「アネリさんは行方知れず、セシルは人間に連れて行かれた」
短く簡潔に答えたネルの声音は淡々としているようで少し震えていた。師匠がどうなったのかは記憶がぼやけて思い出せない。けれどセシルと別れた時のことは少し覚えている。私を抱き上げて絨毯に乗せた彼は悲しそうな顔をしていた。きっと彼は覚悟の上だった。それでもそんな選択をさせてしまったことが悔しくてたまらない。
「…でも、死んではいないと思うわ」
「どうして?」
突然会話に混ざってきたフェリスは、顔をこすりながら体を起こした。大きなあくびをしたフェリスは頬杖をついて下を向いた。まだ眠そうだ。
「あの館で、あいつはセシルが目的だって言ってたでしょ。あいつがあの子に何を要求するのか知らないけど、少なくともすぐに殺されることはないでしょうね」
「今は他の人たちが探してくれてる。それはともかく、フェリス、アリアが起きたらちゃんとした布団で寝る約束だろ」
けだるげに言ったフェリスをネルが抱え上げようとする。そんなネルを追い払うような仕草をしながら、ゆっくりと自力で立ち上がったフェリスは一度大きな伸びをして部屋から出て行った。
「聞きたいことがたくさんあるだろう。でも今はとりあえず、体を休めて…ってアリア!」
「のどがかわいて…」
「言ってくれれば取ってくるから今は休んでくれ」
少し体を動かすくらいならいいかと、立ち上がろうとすると肩を強く掴まれ、それ以上動けなくなってしまった。結局、ベッドから出ることは許されず、念押しに念押しをしてネルは部屋から出て行った。
一人になった部屋を改めて見渡す。少し埃っぽい部屋だけど整理されていて、というかほとんど物がない。私の寝ていたベッドとフェリスが座っていた小さな丸椅子後すぐ横に置いてある。それ以外には小さな棚が一つ。それだけしかない部屋だった。いつもだったら目が覚めれば師匠とセシルがいるはずなのに、誰もいない。
「ただいま、いい子にしてたか?」
「とっても!」
反射的に上げた声はいつも通りに聞こえただろうか。いや、多分うまく笑えなかった。水差しとコップをもって帰ってきたネルは少し複雑そうにで口をつぐんでしまった。
「ところでここはどこ?」
「あ、あぁ、ここはハヴィさんの隠れ家だよ」
水を受け取って尋ねるとネルは一拍遅れて答えた。ハヴィさんの隠れ家、ベッドから少し離れた場所に窓がある。その窓にかかったカーテンをネルが開けると眩しい日差しが部屋に差し込む。
「え…?」
「驚いた?ここは人間の街にあるんだよ」
窓から見える道を行き交う人々は、誰もが顔を隠さずに楽しげに歩いている。とても賑やかで誰もが楽しそうだ。
「里は?」
「半分以上壊滅してるし、犠牲も出たからその後処理中みたいだ。僕らみたいな子どもは安全な場所で待ってる他ないよ」
肩を竦めたネルは帽子から小さな机を取り出して、その上に水差しを置いた。そして、カーテンを閉める。差し込んでいた暖かな光が遮られた部屋は一気に暗くなった。
「当然、ここで正体がバレるのはまずいから大人しくしてるんだよ、わかった?」
小さい子供に言い聞かせるように指を立てて注意したネルは、また何度も念を押しながら部屋出ていった。
「師匠、セシル…」
その日はずっとベッドの上で過ごした。何をする気にもならず、 ぼーっとしてるだけで日が暮れた。日が暮れると、人間の街は静まり返る。
里では万華鏡の市は一日中開かれていたし、夜になっても誰かの笑い声が絶えず響いているのが聞こえていた。それぞれ好きな時間に眠り好きな時間に起きる。夜でも飛び回ったり、誰かの家にいたずらをしに行ったり、どちらが大きな花火を打ち上げれるか勝負したり。そんな他愛もないことが日常だった。
誰の声も聞こえない静寂に包まれると、この世界に一人だけ取り残されたような寂しさと妙な焦りに駆られて、気付いた時には部屋を飛び出していた。廊下に出るといくつかの扉がある。その並び方からしてそこそこ大きい建物のようだ。
「おっと、危ない!」
急に飛び出してきた子どもに驚き、持っていた椀を投げ出しそうになったレーナは何とか空中でそれを受け止めた。
「あ、ごめんなさい…」
「いやいや、こっちこそちゃんと見てなくてごめんよ」
「はい…」
「あはは、なんだかセシルみたいだね」
アリアの肩を軽く叩いたレーナは、椀を空中に浮かせてアリアを抱き上げた。その浮遊感にセシルと別れた時を少し思い出す。星空を宿すようになった目は必死に涙を流すまいと震えていた。
「まだまだ出歩かない方がいいだろうしネルには怒られちゃうかもだけど、ご飯はやっぱりみんなで食べたいでしょう?」
いたずらげに笑ったレーナは階段をゆっくりと降りて行く。建物の入り口らしい広い玄関を通り過ぎて、ほかの部屋より少し大きい扉を開いて部屋の中に入る。
「あ、里長おかえり。アリアの様子は…ってあれ」
「お外に出たがってたから連れてきちゃった」
「出ちゃだめだって言ったのに」
アリアをネルの隣に座らせたレーナは浮かせたままだった椀をテーブルに置いた。フェリスが空いたもう片方の隣に座ってくる。それから、食事が始まった部屋の中にいた顔ぶれはいつもの二人と里長とハヴィさん、あとはあまり見たことのない魔法使いが数人だけだった。他にはアキおじさんがまだ他の部屋で休んでいるという。
「あの里が人間にしてやられるとはねぇ」
「私が不甲斐ないばかりにみんなを苦しめてしまった…」
「最近、市で鉄が妙な動きをしてると思ってたけどきっと奴らだったんだな」
「あんたのせいじゃないよ。俺の師匠は無事かなぁ、何人かやられたんだろ?」
「しっ、食事中に縁起の悪い会話はやめろ」
レーナは見知らぬ魔法使いたちと話しながら食事をしている。
「あの人たちは里から出て、人間の世界を旅してる人たちなんだってさ」
「旅…?」
「そう、私たちもさっき知ったの」
「ここは人間の街で生きる魔法使いたちの宿なんですよ」
ハヴィさんも魔法使いたちに混ざっていたはずだったが、いつの間にかこちらに移動してきていた。
ここは魔法使いの里を飛び出した魔法使い向けの宿らしい。三階建てで二階と三階は魔法使いのための宿、一階は人間の目を誤魔化すために宿として解放せず、薬屋として存在しているらしい。
「一応ここのオーナーを任されているので、これまでもたまに人間の街に降りていたんです」
「さっき来てたおじさんは?」
「あぁ、あれは裏のお客様ですね。人間の街で活動するにはお金が必要ですから、薬以外にも占いや依頼を受けている人もいるんですよ。ここはそういう人向けの窓口にもなってるんです」
食事が終わって一人、また一人と泊まっている部屋に戻っていく。アリアも食事を終え、与えられた部屋に戻る。やはり誰もいない部屋はからっぽで寒々しい。ベッドに入ってもちっとも暖かく感じなくて、それでも布団にくるまって目を瞑っているといつの間にか眠りに落ちていた。




