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「え…?」
炎とは違う赤が散る。その赤はアリアの頬にも少し飛んできた。それを拭うことも出来ないくらい、頭が真っ白になって何も考えられない。なんで師匠はどこにもいないのに、私を掴んでいた腕と肉塊だけが地面に落ちているのだろう。
「ぁ…」
「アリア…!」
思わずこぼれ落ちた音が叫びになる前に、セシルの手が私の腕を掴んで地面に倒した。頭のすぐ上を掠めていったそれは、先程から聞こえていた轟音よりもずっと大きな音を響かせて、すぐ後ろにあった木を薙ぎ倒す。倒れてきた木を必死に避けて顔を上げると一人の人間が隣にある黒い塊を撫でながらこちらを見ていた。最初に館にいた男とは違うが、似たような服を着ている。きっと仲間だろう。
「お、これはなかなか効果アリだね」
場に不似合いな明るい声が響く。すぐ傍に座り込んでいたセラの体がびくりと跳ねた。男はいつの間にかこちらまで歩いてきて、笑顔でこちらを覗き込んでいた。
「セラ、捕まっちゃったのかい?第二隊隊長が心配していたよ」
セラは自分をゆっくりと抱き上げた男に対して、ただ手を握りしめてその男の腕の中でじっとしていた。まるで小動物が草むらの下で猛獣が傍を通り過ぎるのを待っているかのように、どこでもない一点を見つめて動かない。
「この人を始末できたのは良かったね。何回頭を飛ばしてもすぐに復活してくるんだから、すごかったよねぇ」
セラににこにこと話しかけた男の顔はひどく優しい。笑いかけられたセラはまた大きく体を震わせて俯いた。男が話していることは到底信じられないような言葉ばかりだ。セシルが手を握って布が外れているのも気づかないまま叫んだ。
「アリア、逃げよう!」
立ち上がろうとした瞬間、自分でもびっくりするくらい体に力が入らなかった。どうにか立ち上がろうと身を動かすも、なぜか足は言うことを聞かない。そんなアリアにセシルが怪訝な顔をした時、先ほどの男がセシルの顔をまじまじと見つめて呟いた。
「君どこかで見たことある顔だね」
「…」
その声音はぞっとするほど冷たい。きっと誰かなんてとっくにわかっているくせにわざとらしいものだ。セシルがそっと顔をあげると驚愕に満ちたセラの顔が見えた。その次に彼が浮かべた表情は泣きそうなもので。そうだ、彼にも噓をついていたのだった。
セラは男の様子を見てこちらに手を伸ばしかけた手を抑えた。今、下手な動きをして一番最初に命が狙われるのはセラだ。
「そうか、瞳の色は変わってるみたいだけど、あいつらの生き残りだな」
残忍な笑顔から放たれた言葉に嫌悪感を覚える暇もなく、足元に攻撃が飛んできた。アリアを引きずって何とか一歩後ろに下がるが、この程度で到底逃げることはできない。師匠を、弾けさせたあの攻撃が当たらなかったのは男が手加減をしただけに過ぎないからだ。
「…っ」
焦るセシルの下に絨毯が飛んできた。師匠の帽子から無理やり出てきたのか。さっき焦げた端の布は大丈夫だろうか。今はそんなことどうだっていいのに、とりとめもない考えだけがぐるぐると回っている。セシルが何か叫んでいる。こっちに来たばかりのころは私がセシルを抱っこしたのに、今は私が抱き上げられてる。耳元で甲高い金属みたいな音がずっとほかの音をかき消している。セシルの話を聞きたいのに、あんなに苦しそうな顔をしているのに。
声が、音が、聞こえない。
「アリア!しっかりして!」
何度呼び掛けて揺さぶっても、ぼんやりとして反応がないアリアに焦りが募る。男はこちらを見つめて何やら考え込んでいる。子供の一人や二人敵ではないし、いざとなればいつでも殺せると思っているのだろう。
アリアを角の方でぺしぺしと叩いてる絨毯にそっと触れる。こちらが触れたことに気付いた絨毯は、乗るのかと言わんばかりに地面に横たわってぴんと布を伸ばした。いつでも出発できるといわんばかりに、たまに端をはためかせるその様子は出発を待ちきれない子供のようで少し愛らしい。
「アリアをお願い。僕は後から追うから行って」
抱き上げたアリアを絨毯に乗せて、アリアの真似をして魔力を流してみる。やはり不慣れなせいか、それともこの体がもともと人間として生まれたからか腕に焼けるような痛みが走る。絨毯も少し驚いたように震えたが、角を持ち上げて心得たと言うように少し浮いた。合図すると滑るように飛び始めた絨毯はアリアを乗せたまま森の中に消えていった。
「おや、君は逃げなかったの?」
心の底から不思議そうな顔をした男は、黒い塊の横にセラを下ろしてこちらに歩いてくる。その手には何も持っていない。館の男が言っていたことが本当ならば、きっと自分が目的だったのだろう。
「僕があなたの言うことを聞けばこの里を諦めてくれる?」
「流石、賢いね」
えらいえらいとこちらの頭を撫でてくる手の感触は不快でしかない。けれど、やはり目的は合っていたようだ。ふと、地面に散らばった師匠だったものが目に入る。ずっと周りを警戒していた彼女は、一人であれば弾を避けることくらい造作もないことだったのだろう。けれどあの時、彼女は自分の命を投げ打つことを選んだ。こんな、惨い光景を見ても涙一つ流せない自分の感情の薄さが心底嫌だった。
「この人は…もう死んでるかな」
男はセシルの横を通り過ぎて茂みに倒れこんでいるアキさんを爪先で軽く蹴った。やめろと叫びたい気持ちにかられたが、唇を嚙んで踏みとどまる。死ぬために残ったわけではないのだ、ここは堪えなければ何のために師匠に守られたのか分からなくなってしまう。きっとこんな姿をアリアが見たら心底嫌われてしまうだろう。
俯いた顔からぽたぽたと落ちる涙に苦笑を浮かべるしかない。薄情な人間だ。半年前、いっそあの屋敷で両親と一緒に燃えて消えるべきだった。そしたら、きっとこの里は変わらず平和にあり続け、人間にその存在を知られることもなくアリアも師匠と穏やかに暮らし続けていたのだろう。自分という異物がこの里を壊したのだ。
「さぁ、お別れは済んだ?君という目的は回収したし、帰ろうか」
顔を上げた瞬間、何かが首の後ろに当たる感覚と共に視界が暗くなって意識が途切れた。




