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「まずい、早くあっちに行かないと僕らも巻き添えになるぞ」
飛んできた石のような何かが頬をかすめていく。ネルに手を取られて走り出すと、絨毯も速度を上げ、セシルは慌てて端の布を握った。無我夢中で走っていると前に人影が見えてくる。遠目にもその特徴的な尖った帽子はよく目立つ。
「師匠!」
「アリア!それにセシル、ネルもよくここまで来た」
こちらに向かってきた師匠の胸に飛び込むと、師匠は心底安心したような様子で抱きしめてくれる。あとから追いついてきたネルとセシルの頭を撫でて一通り落ち着くと師匠はセシルを乗せてここまで着いてきた絨毯を一撫でして帽子の中にしまった。
「色々聞きたいことはあるが、とりあえず今は落ち着ける場所に行こう」
「私たちが来るって知ってたの?」
「あぁ、レーナがお前たちがこちらに向かっている教えてくれたんだ。それで、こんな…セシルはどんな無茶をしたんだ?」
師匠は結界を発動しながら、思わずといった風にセシルの腕に目を落とした。セシルは道中の疲れが一気に出たのか、師匠の腕の中ですでに舟を漕いでいる。
「いろいろ!セシルの怪我も心配だけど、でも今はそれよりもアキおじさんの方が重傷で…」
「分かった、急ごう」
アリアの言葉を遮って師匠が返事をした瞬間に、周りの風景が一瞬で変わった。青々と茂っていた草木は一瞬で姿を消して、薄暗い岩壁に囲まれた場所に移動したようだ。
「あ~、もうアネリさんったら瞬間移動はなしでしょう」
あまり深刻さを感じさせない声が出迎える。戦場からやや離れた洞窟で怪我人の手当てをしている魔女の一人だ。腕をつなげるほどの治癒魔法を使えるものはそう多くない。主戦力となる魔法使い以外は、未熟な魔法使いたちの治癒魔法の練習台となるのだ。そして、この魔法は集中力と繊細さが求められるので使用者の周囲で魔法を使うことは通常なら固く禁止されている。アネリは軽くあしらいながら周囲を見渡した。
「悪いな、緊急なんだ。レーナはどこに行った?」
「あれ、お弟子ちゃんも一緒なんですね。長ならまた戦場に出ていきましたよ」
「ちっ、無茶をするな」
小さく舌打ちをした師匠は、あちこちに置いてあるベッドの中で比較的清潔そうなものを選んで、セシルを降ろした
「ハヴィはいる?あの子にセシルの治療を頼みたいんだけど」
「うわぁ、痛そうね…ちょっと待っててくださいね」
大げさすぎるくらいに顔を顰めた魔女は、自分が治療していた魔法使いを置いてぱたぱたと奥に走っていった。幸い足を吹き飛ばされた彼はまだ気絶しているので、自分が後回しにされたことを知ることはないだろう。
「お前らは大丈夫なのか?」
魔女が去って行くとすぐに、師匠は私とネルの傍にしゃがみこんで顔や体をよくよく調べた。さっき飛んできた石で切った傷を見つけた師匠は顔を歪めた。
「お前たちまで巻き込まれるとはな…私はまた外に出るが、どこか怪我したところがあればハヴィに言ってくれ」
「私たちは大丈夫だから、アキおじさんとフェリスお姉ちゃんを助けて」
真剣な様子で頷いた師匠はセシルと私たちの頭を一撫でした後、洞窟を出ていった。それと同時にハヴィが奥から慌てた状態で走ってきた。ハヴィは直前まで治療を行っていたらしく、腰にかけた白い布にはまだ乾いていない血がべっとりとついている。
「セシルが怪我をしたって聞きましたが…あ」
「あ、ハヴィさん…」
セシルを見つけて駆け寄ってきたハヴィは、真っ青な顔になって持っていた何かを取り落とした。それは白い布くるまれて中身は見えなかったが、布には赤い液体が滲んでいることからどう見ても軽く扱ってはいけないものであることはアリアでもわかる。
「あぁ、すみません。今治療してあげますから…」
不安そうに見つめる子供たちの心情を察してか、毛布に包まれたそれを帽子の中に放り込むと、ハヴィは治療に取り掛かった。
「どうしてこんな怪我を?あの武器によるものとは少し違うようですね」
これまでのことをネルと一緒に説明すると、ハヴィは難しい顔になってしまった。
そもそも、あの館は普通の人間には見えないようになっているはずだった。それにも関わらず、あの男は誰にも悟られずに入ってきた。それにセシルが目的のようだった。その代償は決して軽くはなかったが、セシルが反撃していなかったら今頃どんなことになっていたかは分からない。
「君たちと一緒にいるようになってから少し変わったと思いましたが、フェリスの強情なところは変わらないわね…それに、気になることはたくさんあるけど、今は戦況が思ったよりもひどくなってきてるから後回しにせざる負えない。ごめんなさいね」
フェリスの状況を伝えると、ハヴィは首を振りながら静かに言った。それと同時にセシルの治療が終わった。元の白い肌に戻った腕をまじまじと見つめているセシルの頭を撫でながら、ハヴィは箒を取り出す。
「とりあえず、私もアネリの後を追うけど君たちはそのまま待ってて」
「うん」
「待って、僕も連れてって」
神妙に頷いたとき、横からネルが手を挙げた。ハヴィは困惑したようにネルを諭すように言った。
「だめですよ、外は危険ですから」
「ハヴィさんは治癒専門ですよね?じゃあ僕を連れて行った方が安全です。あのハチャメチャな師匠に鍛えられたので」
「そうですが…あなたの師匠のようにぽんぽんと頭を飛ばされても困りますよ」
「え…!?」
自信ありげにハヴィに嘆願したネルだったがやや、困ったように言われた言葉には思わず頬をひきつらせたのが見えた。
「それだけ危険なんです。里長がいればどうとでもなりますが、私にはそんな力はない。何か起きても守ってあげられませんよ」
脅すように言われて少し怯んだネルだったが、それでもいいというようにぐっとハヴィを見上げた。ため息をついた後、ネルを抱き上げたハヴィはセシルとアリアに守護の魔法をかけて部屋から出て行った。
二人を見送ったセシルは重いため息をついた。きっと自分が原因でこの状況になってしまったのだと思っているのだろう。部屋の中には今でも、怪我をした魔法使いたちが運び込まれ続けている。悲惨な見た目で気軽に挨拶をしてくる人たちも多いが、人目もはばからずに泣きわめいたり叫んだりしている人も少なくはない。
部屋の隅っこの方には怪我をしていない見習いの子供たちもじっと固まって大人たちの様子を窺っている。避難所にいなかったのは大半の魔法使いが弟子を送る余裕もないまま招集されてしまったからだったらしい。
「セシルのせいじゃないよ」
ベッドに座って手を握りながら、周りに聞こえないように言うと驚いた顔で見つめ返される。彼が何か言おうとした瞬間、洞窟内が揺れるような衝撃に襲われ、辺りが混乱に陥った。
「誰だ!」
そんな中、鋭い声が響く。声の主を見ると先ほどまで慌ただしく治療をしていた魔女だ。その魔女が向いている方向は洞窟の入口。そこから見慣れぬ見習の格好をした少年が、よろめきながら入ってきた。よくよく見ると服の隙間から見える皮膚には、今しがた負ったばかりであろう火傷が覗いている。かすかなうめき声が静まり返った洞窟に響く。
しかし、彼女は朗らかな先ほどの様子とは打って変わって、警戒を緩めずに杖を取り出した。隣でセシルがかすかに息を吞む気配がする。
「お前、人間だね」




