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「ごめんって」


 二度も落とされた絨毯はかなり機嫌を損ねたらしく謝るネルを無視し、セシルの元へ行こうとして彼の手を見てこちらに急転換してきた。絨毯を持とうとすると魔力を込めろと言わんばかりに、自分の端をアリアの手にぐいぐいと押し付ける。いつも訓練で使う程度の量を込めたが、少なかったらしく手のひらを軽く叩かれる。強めに込めると満足げに布をぴんと張ってセシルに乗るように促した。


「アリア、ありがとう。君も優しいね」


 手が使えないためセシルを持ち上げて絨毯に乗せる。絨毯は本来の自分の役目をこなせたことで落ち着いたのか、セシルが端を撫でてもうんともすんとも言わずに進み始めた。ネルは絨毯からやや距離をとりながら歩きはじめた。


「それで、うちの師匠がなんだって…?」

「そうそう、私たちのおばあちゃんで…」


 絨毯に振り回されているうちにそれてしまった話題が戻ってきた。セシルに半年前にあったこと、アルフィおばさんの恋物語をすべて話した。他人には話さない方がいいものだろうが、おばさんの弟子のネルならセーフだろう。


「師匠にそんなことがあったなんて知らなかったよ。でも心当たりならあったな。あの人、たまに誰かからの手紙を読み返してる時があった」

「手紙?」

「あぁ、何度も同じ手紙を読んでいたから、師匠にも一人くらいは大切に思うものがあるんだなって思ってたんだけど、君たちのおじいさんからのものだったんだな」


 彼女は子供と恋人を置いて行ったが、情まで置いていったわけではなかったらしい。わがまま放題に振舞っているように見えるが、その実、家族の動向をずっと気にしていたのかもしれない。そういえば、依然私を迎えに来たのがアルフィおばさんだと師匠が言っていた。ずっと他人のふりをしていたけれど最初から知っていたのだろうか。


 話しながら進んでいると、遠くから聞こえていた轟音が近くなる。茂みに隠れながら進んでいると、人の声が聞こえてきた。ひときわ背の高い茂みに身を隠して様子を窺う。


「状況は」

「五分五分、といったところです。首領と見られていた女はひとまず無力化したそうです」

「捕らえたのか」

「いいえ…」

「それではこちらが劣勢ということに変わりない!奴らは後先考えず突っ込んでくるが、あの女がいなくなればそれも終いだ。必ず捕らえるか、殺せ」


 聞こえてきた物騒な内容に思わずその場で座り込んだ。今攻めてきている人間の軍だろうか。そう考えていると、うめき声が聞こえてきた。茂みの隙間から様子を窺うと、先ほど報告をしていた人が地面に倒れている。


「ぐ…!」

「殺してもいいと言っておる。それ以上楯突くな」

「奴らの魔法は人間にどうにかできるものではありません!撤退をっ…!」


 食い下がる部下に、報告を受けていた人物は容赦なく剣をふるった。思わず悲鳴が漏れる。後ずさった事で茂みも派手に音を立てた。


「誰かそこにいるのか」

「やばい、逃げるぞ…!」


 たった今一人の命を奪った大柄な男は血濡れた剣を持ったままこちらに近づいてくる。アリアの口をとっさに抑えていネルは小声で素早く言うと、立ち上がろうとした。しかし、その次の瞬間、若い男の声が聞こえてきた。まだ少年にも思える幼さの残る声に男は立ち止まる。


「隊長!さっきここに猫が逃げてきませんでした?黒くて青い目のかわいい子なんですけど」


 緊迫した陣営に飛び込んできた明るい声に、男は少し表情を緩める。やがて男の前まで来た少年の姿を見て今度はセシルが身じろぎした。


「あれ?また流れ弾ですか、怖いですね。それで、猫なんですけど」

「さっきあそこの茂みが何かいたぞ。だがお前が戦力外といえど、死ねば損害にはなる。あまりうろちょろするんじゃない」


 男の前に転がる死体に、一瞬浮かべた動揺をくるりとしまった少年は男に無邪気に話しかけた。先ほどまで人だったものを無いもののように扱っている異様さに思わず背筋が寒くなった。今日一日でどれだけ血を見たのだろう。風向きが変わったのか血なまぐさい臭いも流れてくる。喉元までせせりあがってくる胃液を押し戻しながら、彼らの会話を聞いていると少年に何かをささやかれて男は陣営から出て行った。


「ふん…」


 男の去っていった方向に舌を出した少年は、先程の兵に短い祈りを捧げた。そして立ち上がり、こちらに歩いてくる。今度こそ逃げようとネルがセシルの腕を引っ張ったが、彼はその場で向かってくる少年を見つめたまま動かなかった。


「どうしたの?捕まっちゃうよ!」


 肩を叩いてみたが、やはりセシルは少年の方を一心に見つめている。絨毯もセシルの足元で跳ね回って、逃亡を促していたがもちろんそれが届くことはない。


「あ」


 そうしているうちのこちらに歩いてきた少年がアリアたちに気付いてしまった。茂みを搔き分けて三人の前までやってくる。見たところ武器は持っていないし、体格もアリアより少し大きいくらいだ。いざとなれば逃げきれるだろう。


「君たち…」


 目元を隠した奇妙な子供三人組を見て、少年は目を丸くする。それと同時にセシルが小さく安堵したような息を吐いた。けれど何も言わない。両者の間にしばらく沈黙が落ち、先に口を開いたのは少年だった。


「君たち、魔法使い?」


 ぴくりと体を震わせてネルは懐から自分の杖を取り出した。いざとなれば魔法を使おうとしているんだろう。けれど、その少年はあたりを見渡してほかに人がいなことを確認してしゃがみこんだ。


「ここは人間の拠点だぞ。見つかったらすぐに殺されてしまうから早く逃げた方がいい」

「君は?」

「俺は混乱に乗じてやってきただけさ。あわよくばここで死ねたらいいと思ってさ」


 ずっと黙っていたセシルが問うと、少年はあっけらかんと笑った。しかし、その口から飛び出た言葉は重い。こんなにも屈託なく笑っているのに心のどこかでは何にも興味がないような、そんな顔だ。ここに来たばかりのセシルが浮かべていたどこかうつろな表情に似ている。


「なんで死にたいの?」

「なんでそんなこと聞くんだ?この争いの中、人が一人死んだって二人死んだってさして変わりはしないだろ」


 彼がそう言った瞬間、ひときわ大きな轟音が響き渡った。周囲の人間たちが騒がしく走り回る足音が聞こえ始める。陣営にも何人かの足音が駆け込んでくる。


「とにかく、ここは危険だ。もし誰かに見つかっても俺がうまくごまかすから君たちは逃げろ」

「どうして…」

「どうして助けるのか?そりゃ俺は人間が嫌いだからな」


 その表情にマイナスな感情など全く浮かんでいないのに、どうしてだか少年からは言い知れない怒り、そして悲しみの感情が感じられる。


「てことだ、さっさと逃げるんだな。魔女の拠点はあっちだ。あ、そうそうこの薬を君たちにあげるよ」


 茂みから出ていこうとした少年は、肩から掛けていた小さな鞄から何かを取り出し、振り返ってそれをこちらに投げた。セシルが慌ててそれを受け取る。それは小瓶だった。中には半透明の薄緑色をした液体が入っている。


「これは、火傷の塗り薬?」


 セシルが顔を上げて少年の方を見ると彼はすでに姿を消していた。それはいつも師匠が作っている火傷用の塗り薬に似ている。匂いを確認しても師匠に言われてたまに集めに行く薬草の匂いがする。


「変わったやつだな」

「…」

「今はそれよりも師匠たちに合流しないと。この薬はセシルが持ってるといい」


 中身を確認して、ネルは小瓶をセシルのポケットに押し込んだ。セシルは黙ってうなずくと小瓶をポケットの上からそっと撫でた。


「さっきの人、もしかして友達?」

「…うん」


 足早に歩き始めたネルの後を追いかけながら、絨毯に乗ったセシルと追いかけていく。控えめに頷いたセシルにネルが振り返った。


「はぁ!?そういうのは早く言えよ!」

「言ってもこの状況じゃどうにもならないと思って。けどあの人には申し訳ないと思ってるよ」

「そういえば名前を聞きそびれたな。あの子の名前はなんていうんだ?」

「セラ、僕の兄代わりみたいな人だったんだ」


 ぽつぽつと屋敷での日々を教えてくれるセシルの表情はどこか茫洋としている。使用人の息子で年が近いことから一緒に勉強をしたり、遊んでいたらしい。両親の目を盗んでこっそり町で話題の菓子を二人で買いに行ったこと。バレて二人で怒られたこと。彼がここに来るきっかけになった例の事件の時も彼は屋敷にいたこと。


「てっきり、あの人も死んでしまったのかと思ってた」

「でも生きてた」


 ポケットに入った小瓶を撫でながら、セシルは口元に小さな笑みを浮かべた。きっと本当に嬉しいんだろう。


「でもあの人はなんだか死にたがってたような気がしたけどな」

「少なくともあの家の人たちは全滅したって師匠から聞いた。だから、彼の両親もきっと…」


 セシルが声を落としてうつむいた瞬間に、またひときわ大きな轟音が響き渡った。

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