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「え?」
その声は誰が発したものだったのか、そう考える前にアキおじさんが床に崩れ落ちた。彼は自分の胸に空いた穴を見つめ、ぼんやりと私たちの方を見る。黒い服に空いた穴からゆっくりと染みが広がっていく。
「おじさん!」
「お、前…」
少し驚いたような声はアリアたちの横を通り過ぎて、いつのまにか背後に現れた男に向けられていた。
アキは残った力を振り絞り、子供たちを自分の背に隠す。青ざめた表情を浮かべる彼らを今すぐに慰めてやれるすべはない。今の体だってレーナの守護の魔法がいくらか効いてるおかげで、すぐに意識を失うことはないだけだ。安心させたくて駆け寄ってきたフェリスとネルの頭を撫でようと思ったが、とっさに傷を抑えてしまった手はすでに赤く染まっている。笑うことで少しマシになるかと思ったが、優しい子供たちはますます口角を下げてしまった。
状況を確認しながら冷や汗をぬぐって体勢を立て直したアキを見た男は、少しも意外ではなさそう顔で持っていた奇妙な武器を無造作に片手で持ち直した。自分と同じように伸び放題になっている髪の隙間から覗く紫色の瞳はアキの持っているものよりも少し薄い。あちらの世界では貴族と呼ばれる者のような格好ではあるが、不慣れそうな動きからして恐らく本当に貴族ではないだろう。
「これで死なないのか」
「悪いね」
「ではこの子ならどうかな?」
その瞬間、セシルが悲鳴をあげて素早くアリアを庇った。その様子を見た男は何故か愉快げに笑い声をあげた。その男をじっと見つめるセシルの手は震えている。
「やっぱりここにいた」
「あ…」
「やめろ、その子には…」
依然、武器を構えながら男はセシルに話しかける。その声音は親しげにも聞こえるが、目は笑っていない。ゆったりとした足取りで近づいてくる男にセシルは一歩も引かない。セシルはあの顔を知っていた、あの人は、あれは確か、たしか、なんだったのだろうか。半年ぶりに感じた違和感に思わず鳥肌が立った。
「あ、んたは…」
「やっと思い出してくれた?」
燃え盛る屋敷の中、母と隠れていた部屋に真っ先に乗り込んできた男。母の胸を持っていたその武器で貫いた男。その記憶が蘇った瞬間、喉の奥から吐き気が込み上げてきた。
「セシル!」
口元を抑えたセシルを背に庇うようにして、セシルの目の前に飛び出す
フェリスの悲鳴とネルの手が伸びてくるのが見えたが、身を捩って避けた。帽子から取り出した杖を構えて男に向ける。軽率に使ってはいけないと、よくよく言い含められていた攻撃のための魔法は練習通りに、寸分の狂いなく練り上げられた。
躊躇いはなかった。男に向かってそれを放つ。炎の鳥が男めがけて羽ばたいていく。
「おっと」
鳥の攻撃が当たった瞬間、また愉快そうな笑い声を上げて男は素手で炎を消した。こちらの動揺を見て満足げに微笑んだ男は、アリアに向かって挨拶でもするように話しかけた。
「はは、君は?」
「鉄の魔女アネリの弟子、アリア」
「鉄の魔女…?あぁ、100年前にどっかの国を引っ掻き回した罪人の名前か」
「師匠のわるぐちを言わないで」
「悪口も何も事実だけどね」
肩をすくめながら言葉を漏らした男は、くるりと表情を変えて膝をつき、私と目線を合わせた。その顔と声音は一見すると迷子の子供に接するような優しさに満ち溢れていたが、その目に浮かんでいたのは邪悪な悪意と哀れみだった。
「何が目的?」
「この子をこちらに渡してくれれば、ここにいるほかの子は全員見逃してあげるよ」
「やだ!」
間髪入れずに拒否すると男は一瞬不快そうに目を眇めたが、すぐに人のよさそうな顔を作り出す。その瞬間、地面がかすかに揺れた。
それと同時にセシルはこちらを押しのけて前に出る。
「セシル!?」
驚いて悲鳴にも近い声が出た。もし、彼が傷つけばアキおじさんのように無事ではいられないはずだ。
しかし、心配したのもつかの間、男の体がなにか鋭いものに切り裂かれたように一瞬で傷つき、よろめいた。それまで余裕を保っていた男も流石に少し焦りの表情を見せる。じわりと赤い染みが男の来ている白いシャツに滲んでいった。
「あ、はは…君、魔法は魔法使いの特権じゃないのか?」
セシルは何も持たぬまま、男に向かって腕を出している。目の前で起こった出来事が信じられずに、思わずアキの手当てをしていたネルやフェリスも息を吞んだ。
「セシル?」
思わずセシルの顔を覗き込むとさっきの攻撃の衝撃波を受けて顔の布が捲れ、その顔は露わになっている。その顔に浮かぶ表情は、出会ってから見たこともない氷のように冷たいものになっている。そして何よりも見慣れないのはその目の色だ。いつの間にか朝焼けのような橙の柔らかい色を塗り替えるように、深い夜空の色が彼の目に差し込んでいた。
「僕が目当てならば、アキさんを撃たなくてもよかった。でもそれをしなかった時点でその交渉は無しだ」
「…」
男は黙ってその言葉を聞き、やがて目を閉じた。意識はあるようだが、顔色は悪く、口の端から血が溢れ出ている。傷口の出血もアキより酷く、床に敷きつめられた柔らかいカーペットが赤に染っていく。
その様子を無感情に眺めていたセシルの後ろから恐る恐る顔を出す。
「死んだ?」
「分からない」
私の目を塞ぐように爛れた手を私の前に出した。その見た目は酷く痛々しい。思わず無事な手首を掴むと、セシルはようやく顔を歪めた。
「ちょっと痛いかな」
「ちょっとな訳ないわよ、早くこっちに来なさい」
少し怒った様子のフェリスがセシルを呼ぶ。先ほどの冷たい空気を解いて、気まずそうな顔でセシルは歩いていく。アキおじさんも自分の怪我をそっちのけにしてセシルを心配している様子だ。
「言いたいことはもっとあるけど、とりあえず腕の他に怪我はしてないな?」
「はい」
表情はいつものセシルに戻ったが、目の色だけは戻らない。ずっと夜空の色だ。よくよく見ると滲んだような橙の色が残っている。綺麗だな、と思って見つめていると、セシルと目が合った。
「アリア、どうしたの?」
「あ、えーと…目が綺麗だなって」
「目?」
思わず近くの窓に顔を近づけて、僅かな反射で自分の顔を確認したセシルは目を丸くする。困惑しきった彼は不安げに私の手を握った。ここ半年ずっと一緒に過しているうちに、これはすっかり癖になってしまった。その手をぎゅっと握り返すと、セシルは優しく笑う。
「何が起きてるか全く分からないけれど、二人だけの世界に浸ってる場合じゃないことだけは確かね」
「それはそうだね。とりあえずこ…の人はここに置いたままでいいのかい?」
ネルがそっとセシルの顔を確認しながら聞いた。セシルが床に伏した男を見下ろす視線は冷たい。しかし、顔を上げてみんなの方を向いた時にはすでにいつもの優しげな顔に戻っていた。
「いいんじゃないかな、僕もどうしたらいいか分からないけど」
「とりあえず縛っておこう」
セシルがこちらに来たばかりのころアルフィを縛るのに使った縄を箒の中からっ引っ張り出す。体に縄が擦れた瞬間に傷口に触ったのか、苦しげな声が上がる。呻いた男を見ていたアキおじさんも釣られて痛そうな顔をした。
「これでいいかな?」
「アリア、人間は繊細だから生かす気があるなら、もうちょっと優しくしてやってくれよ」
「うん」
素直に頷くと、一息ついたアキおじさんは床に座り込んだ。改めてその顔を見ると、今にも気絶しそうな顔色だ。ネルが応急処置で巻いた包帯にはすでに血が滲んでいる。
「おじさん!」
「あぁ、心配しなくていい。でも、このままではちとまずいな…っ」
言い終わると同時に、アキおじさんは大量の血を吐き出した。
暴力的なほどの赤が柔らかい絨毯を濡らしていく。アキは幼い子供たちに走る動揺と、意識を失ったままの男を交互に見て、霞む無意識の中で今頃前線で戦っているであろう少女の顔を想った。彼女は前回の襲撃を受けて、人間の持ち込んだ武器を知っていると言っていた。彼女ならば犠牲を出すことはしないだろう。だが、ここに残される子供たちには自分の身を守る手段はない。今、彼らを導くことができるのは自分だけだ。
「よく聞いてくれよ。ここには、大した結界はないし、俺ら以外の味方もいない。こいつの持ってた武器からして、魔法使いでも危ないものだ…。お前らがこれを正面から受けたらひとたまりもないだろうな…だからここから逃げろ」
「おじさんは?」
「おじさんはこの不審者を見張ってるんだよ。こいつの言ってたことからしてセシルが狙いのようだから、アリアはセシルをちゃんと守ってやるんだぞ。」
「…う、うん」
普段は伸び放題で少しだらしない髪の隙間から覗く表情は、なんだかとても悲しそうに見えて短い返事をするので精いっぱいだった。




