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翌朝、考えてもいい作戦は思いつかなかったので、ためらうセシルを連れて家を飛び出した。向かうのはもちろんネルの家だ。歩いて行けるのであんまり遠くはないと思うけど、体力のないセシルはすでに疲れた様子だった。あまり気の進まない様子のセシルの手を引いて扉を叩く。
「どうも!」
「アリア?」
中から出てきたのは眠そうに目を擦ったフェリスだ。扉の隙間からは朝ごはんのいい匂いが微かに漂っている。
「どうしたの?こんな朝早くに」
「えーと…お姉ちゃんとはやく遊びたくて!」
面食らったアリアは思わずセシルと顔を見合せて慌てて返事をした。
「なんでフェリスお姉ちゃんがここに?」
「分かっててきてくれたんじゃないの?師匠が人間の街に降りてるから、しばらくここに住むのよ」
「そうなの?」
「うん、なんであんな場所に行くのか分からないけどね」
吐き捨てるように言ったフェリスの言葉に、セシルが緊張したのが繋いだ手から伝わってくる。手をそっと握り返すと、小さなため息が聞こえてくる。
「仲良しさんね。とりあえず中に入りなさい」
気だるげに差し出された手を取って、家の中に入る。招かれて踏み入った家の中は酷い有様だ。
そこら中の床転がっている酒瓶に、今にも倒れそうなほど積み重ねられた皿、その間を縫うように置かれている本の山。全てアルフィによってなされたものだろう。
「アリア、それに…セシルじゃないか」
人一人通れるかどうかも怪しい雑然とした廊下の向こうから朝食を作っているネルが顔を出した。言葉の間に合いたわずかな空白を除けば、その声音は普段と変わらず、昨日のことも何も無かったかのようだった。
「ちょっと待ってね。今ご飯を作ってるから、二人はもう食べたかい?」
「ううん」
「じゃあ材料を追加しよう、少し待っててくれ」
ネルの手際は見事なものだ。魔法を駆使しつつ自分の手も使って流れるように作業していく。踊るように目玉焼きを焼くフライパンに、その隣ではフライ返しがふよふよと浮きながら野菜とベーコンを炒めている。
「すごい…」
セシルが思わず呟いた。出来上がった料理を盛り付けながら、ネルはまんざらでもなさそうに笑う。自分の担当する料理が出来上がって役目を終えた道具たちも、その後ろで嬉しそうにお互いをぶつけ合ってカチカチと音を鳴らした。
「このくらい普通だよ。でもありがとう、こいつらも喜んでる」
「この道具たちは生きてるの?」
セシルが聞く直前に水場を指さしたネルは、思わずしまったというような顔になる。しかし、その時にはもうすでに道具たちは水の張られた桶に向かって行進を始めていた。桶に次々と飛び込んでいく道具たちは水に浸かった瞬間にびくとも動かなくなった。それでも動かない道具を興味津々で見つめているセシルに、ネルは目を細めた。
「まあ、いいや。これは朝ご飯を食べながらでも話そう」
料理が盛り付けられた皿たちもひとりでに浮いて飛んでいく。
「汚い家でごめん、こっちにテーブルがあるんだ」
わざわざセシルの空いている片手を引いて案内するその声は柔らかい。彼には本当にあの時見えていなかったのか、それともなにか考えがあって優しく接してくれているのか分からず、セシルは困惑を隠せなかった。
案内された部屋は比較的片付いていた。しかし、それまで通ってきた空間と比べるとあまりにも物が少なすぎて逆に寂しくなるくらいだ。
テーブルの上にきちっと揃えて置かれた皿と食器は、まだ屋敷にすんでいた頃の豪華な食事を思い出させる。
「好きなところに座って」
椅子がひとつ足りないと思っていると、部屋の入口からふわふわと浮いた椅子が入ってきた。師匠は体が鈍るとこういうところに魔法はあまり使わないが、反対にアルフィはせっかく使えるものは使わなければという考え方なので家にもふんだんに魔法が施されている。
みんなが座って食事を始めて少し経つと、ネルがセシルに話しかけた。
「セシルは本当に何も知らないまま生きてきたんだな?」
「ご、ごめん」
「いや、怒ってる訳じゃなくてさ。僕も大概だけどよほど閉鎖されたところにいたんだなって」
セシルを見つめるその様子からはどんなことを考えているのか全く分からない。じっと見つめられたセシルも居心地が悪そうに、こちらに少し寄った。
「もう、めんどくさいわね。早く言いなさいよ」
そんな微妙な空気の中、フェリスがうんざりとしたように言った。顔の向きからしてその言葉はネルに向かっている。ばつが悪そうにうつむいた彼は見えないセシルの顔をちらりと見た。いつもの飄々としたイメージからは考えられない少し弱気な様子だ。やっぱ昨日のことを気にしているのだろうか。
「ええと…」
「ほんと肝心なとこで意気地無しなんだから。セシル、答えなさい」
もう耐えられないといった様子で立ち上がったフェリスは人差し指をセシルの目の辺りに突きつける。
「あなた、人間なんですって?」




