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「さて、今日も大変な一日だったな。私は飯を作るから二階で遊んできな」


 一瞬写真を見つめたアネリは丁寧に写真立てを置きなおすと、立てた人差し指を揺らしながら台所に向かった。ぼんやりとした様子で師匠を見ていたセシルは、こっちに向き直ると少しぎこちない笑みを浮かべながら手を差し出した。


「で、どうしようね」


 二階の寝室、ベッドの上で作戦会議を開く。


「ネルは人間が嫌いなんだよね」

「うん。でも多分フェリスおねえちゃんよりましだけどね」

「そうなの?」

 

 首を傾げたセシルはのんびりと人形作りにいそしむフェリスしか知らないため無理もない。初めて会った彼女は何かを怖がるようにずっと布団に潜り込んで出てこなかった。いつしか布団から出てきて一緒に遊ぶようになったが、刻まれた傷は簡単には癒えない。大人たちの会話から漏れ聞こえる言葉に、顔を曇らせる場面を幾度となく見たことがあるから、よく知っている。


「あした、とにかくあいにいこう」

「会って…謝った方がいいかな」

「何を?」

「隠していてごめんって」


 何も謝ることはないと思うのに、姿形だって違わないのになぜ人間だと言うだけで謝るのだろう。そう伝えるとセシルはなんだか困ったような顔をした。

 こんな時、リウが、お母さんがいればどうしてか答えてくれたのだろうか。常に傍で見守ってくれていた友達、そして私をこの世に産み落としたお母さん。ずっとそばにいたはずなのにさようならも言えなかった。


「許してもらえなかったら…そのときはきっとこの里を出ていくよ」

「だめ!それだけはだめ!」

「どうして?」


 セシルは震えた声で聞き返した。笑っているのにその口元はどこか泣いているようだった。飛びついてふたりベッドにもつれ込む。思わず声を上げたセシルを逃がさないように抱きしめた。


「セシルもいなくなったらさみしい」

「どのみち来年には帰らないとなんだけどね」

「それもいや」


 アリアに押し倒される形になっているセシルは、ぼんやりとここに父や母がいたら行儀が悪いとしかられていただろうなと苦笑した。しかし、そんなルールはここは存在しない。好きな時に好きな人と触れ合い、話し、笑い合う。そんなことが当たり前にできる場所。見たことのないおとぎ話のような世界で、つい最近初めて会ったおばあ様の故郷。

 きっと、ここは今までセシルのいた場所よりも何倍も楽しくて自由な場所だ。そんなことはとっくに分かっている。わかっているからこそ自分は帰った方がいいのだ。家族が命を散らした地に戻り、貴族としての務めを果たさなければ。


「そんなことだれが言ったの?」

「だれって、それは…?」


 確かに誰かから言い聞かされていた記憶はあるのに何も覚えていない。かすかな頭痛を感じて頭を抱える。こんなことばかりだ。また記憶を消されたのだろうか。それとも、もともと消された記憶に含まれていたものだったのか。考えてもやはりつかみどころのない記憶は思い出せず、するりと抜けていってしまう。


「分かった!」

「?」


 こんがらがってきた頭に突然弾んだアリアの声が聞こえて、セシルが考えていたことは頭の片隅に霧散していった。


「きぞくとして、とかつとめ?はよくわからないけど、にんげんも魔法使いもみんなで仲良くできるせかいを作ればいいんだよ」


 あまりにも壮大な計画を聞いて、セシルは目を見開いた。あまりにも真剣な声音に一瞬納得しかけたほどだった。


「そうなったら素敵だね」

「ね、いっしょにつくろう?」


 その驚くほど突飛で魅力的な誘いに乗りかけた。同時に幼い少女のこぼしたたわごとだと咎める気持ちも少しある。けれど実際、自分は母の友人である魔法使いに救われ、そして魔法使いの孫でもあるのだ。そう考えれば、とても無理な話、というわけでもないのかもしれない。


「飯だぞー!」


 階下から聞こえてきたアネリの声に顔を見合わせる。考え込んでいたセシルは驚いたようにベッドから起き上がろうとして、勢いが足りずにベッドに倒れこんだ。おかしくなってきてくすくすと笑い合う。


「ほら、いこう」


 笑いながら手を差し出して、セシルをベッドから起こす。少し黙ってから手を取ったセシルはまたぎこちない笑みを浮かべた。


「はははははは!」


 食卓に豪快な笑い声が響く。頬を膨らませて師匠を見ると涙を拭きながら、愉快そうに言う。


「お前、とんでもないことを言うな」

「師匠もきょうりょくしてよね」

「さてそれはどうかな?もし、そんなことが出来たら一番いいのは確かだけどな」


 食事を再開しながらも、師匠はまだ笑っている。釣られてセシルも笑い出したので、なんだかどうでも良くなって三人で笑いながら夕食を済ませた。








 牢獄から逃げ出した元囚人は、馴染みの酒場の前に立っていた。往来をゆく人々は彼を見ては視線を逸らし、体を縮めて歩いていく。まるで目をつけられたら死ぬかのような大袈裟な反応だ。一通り人々の反応を楽しんだ青年は酒場の扉を開ける。


「やぁ、久しいね」


 先ほどまで、気持ちよく酔った男たちの笑い声や怒声で賑わっていた酒場が、水を打ったように静まり返る。ぼろぼろの格好をした男が突然入ってきたせいではない。その格好に似合わぬほど整った顔のせいでもない。


「あ、あんた…」

「おかえり!しゃ、釈放されたのか、良かったなぁ!」

 

 亡霊でも見たかのように引き攣った顔になった男たちをぐるりと見渡して、つい数日前まで囚人だった青年はにやりと笑った。


「ずいぶん楽しそうだったね、まだ祝勝会をやっているのかい?」

「あ、あぁ!そんなところだ。あんたの分まで飲もうってなぁ!」


 豪快に笑った若い男は、隣にいた中肉中背の中年の肩を叩いて巻き込んだ。笑みを浮かべているのは表向きだけで、肩を叩いた手には大量の手汗をかいている。すべての罪を擦り付け、革命に従った者たちの命の保証と引き換えに、牢屋にぶち込まれ、処刑にまでなったはずの男が目の前でニコニコとほほ笑んでいるのだから不気味なこと、この上ない。


「じゃあ、そこの酒を僕にくれよ。僕の分なんだろう?」

「当たり前だ!でもこれは俺の飲みかけだからな、せっかくの祝杯ならば新しいやつを頼もう」


 奥で様子を窺っていた店員を呼び出し、酒を注文した男が青年に向き直ると、その場の全員が思っているであろう疑問を投げかけた。


「んで、何をやらかしてきたんだ?」

「比較的穏便に脱獄してきた」

「はあ!?」


 何事もなかったかのようにジョッキに口をつけた青年はあっけらかんと言い放つ。


「大丈夫、王はきっと僕がいなくなったからって君らを処刑するようなことはしないさ。けど、王様のお目当てのセシル君はやっぱり見つからないねぇ」

「そうか。ご遺体は出ていないからきっとどこかでまだ…」


 その丁寧な言い方に少し引っかかったように感じたが、青年は無視した。自分の目的はまだ果たされていない。些細なことを気にしている場合ではないのだ。やはり、魔法使いの里か、と用意されたつまみを鷲掴みにしながら黙々と考える。

 酒場の雰囲気はまだぴりついている。その時、外から鎧の擦れる金属質な音が聞こえてきた。誰かが通報したのだろうか。笑みを浮かべたまま黙り込んだ青年はぼろぼろのズボンの中から取り出した緑色の砕けた石をカウンターに置いて、店員のいるカウンターに回り込んだ。


「それでは僕はお(いとま)するよ」

「おう、達者でなぁ」

 

 従業員しか使えぬ裏口を無理やり通って、酒場から出ると同時に、兵士たちがなだれ込む気配がした。ほくそ笑んだ矢先に裏口の見張りを頼まれたと思しき兵士数人と遭遇する。


「おや」

「脱獄人だ!とらえい!」


 すかさず、号令を出した妙齢の男に舌を出して走り出す。兵士たちが雄たけびを上げて追いかけてくるのをからかいながら逃げる。狭い路地に逃げ込んだ青年は簡易な爆弾を投げつけながら叫ぶ。威力は低いが、煙で目の前が見えなくなるように調整されているものだ。


「はは、通れないだろ?じゃあなー」


 そうして近頃、王都を賑わせていた革命家は、一夜にして世紀の脱獄犯として、また王都の話題をかっさらうこととなった。

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