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「見られたか…」


 こういう日が来ることは予想していたが、思っていたよりも早い。アネリは少しの動揺を慎重に胸の内に隠した。この里でセシルが人間であることを知っている大人は割と多い。例の会議に出席していた者たちはもちろん、今も里でひっそりと暮らす数人の人間にも共有されているはずだ。


「でもなにも言わなかったからもしかしたら見てないかも…」


 アリアは少しの希望を抱きながら振り向いたが、こちらを見たセシルは首を振った。どうやら確実に見られたらしい。肩を落としながら師匠を見上げたが、師匠は黙り込むばかりだ。


「師匠、どうすればいい?もう人間の街に帰った方がいいのかな」


 セシルの不安げな声が揺れる。どこか大人びた彼は遅かれ早かれこんな事態になるのは分かっていたのだろうか。もしかしたらここで暮らすと決めてくれた時からずっとこの時を恐れていたのかもしれない。


「その必要はない。ネルはそれを見たことを言わなかったんだろう?」

「…そういえばあの子、なんだか元気がないと思ったけどそのせいだったのね~」

「なんだ、起きてたのか」


 床から急に口を挟んできたアルフィに、アネリは素っ気ない返事を返す。床に転がされたままの彼女は何がおかしいのか薄っすらと笑みを浮かべながら寝返りを打った。予想外に露わになった彼女の非道にはまだ衝撃が残っていたが奔放な彼女の事だ、冷静に考えればそんなに意外なことでもないような気がした。


「お前がいつのまに人間と子供を作っているとはな」

「ちょっと興味が湧いただけだったのよ。ちょっとね。でもすごくめんどくさかったの、あの人」


 心の底から面倒だと思っているような声音だ。セシルは先ほど光の粒になって消えた母の眼差しを思い出しながら、いつも話を出すたびにはぐらかされてきた祖母が目の前にいることに不思議な感覚を覚えた。祖父は寡黙で厳格な人だったが、セシルが母と会いに来ると必ず穏やかな笑顔で出迎えた。セシルを膝に乗せ、母の子どもの頃の話を穏やかに話しながら、頭を撫でてくれたしわくちゃな手を思い出す。セシルが住んでいた街を一つ越えた先の離れた場所に住んでいたはずだが、無事に逃げられただろうか。


「祖父はあなたの帰りをずっと待っていました」


 当主を引退してから広い屋敷で、数人の使用人に支えられながら暮らしていた老人は、1枚だけ残った妻の写真をずっと部屋に飾り続けていた。目から上が見切れている不思議な写真だと思っていたが、彼女が魔法使いだったのなら辻褄が合う。


「そう」


 静かにぽつりと呟いたアルフィは、縛られた体をねじってこちらに顔を向けた。その口元からはどんな感情も読み取れない。肌や体の雰囲気は写真で見た容姿からあまり変わっていないように見える。年老いて杖を突きながらゆっくりと歩く祖父のかつての恋人だと言われても信じることは難しいだろう。

これも魔法使いと人間が分かり合えない、一緒に溶け合うことが出来ない所以なのだろう。


「そういうところが、面倒だったわ」


 街中でスリに遭った彼を助けた。始まりはそれだけだった。逃げるスリの足をすれ違いざまに引っ掛け、荷物を取り返して渡した時、その足捌きに惚れたと真顔で言った彼を面白いと思った。数日の間、彼がどんな生活をしているか見守った。貴族の彼は毎日淡々と書類仕事をこなし、時々気晴らしに街へと出かけては市をぶらついていた。彼が街に出かける度に様々な格好をしてはちょっかいをかけ、表情を変えることは滅多になかったが彼たまに眉を下げながら笑う顔が好きになった。

 数週間で恋仲になった2人は満月の夜に密かに逢瀬を重ねた。情事の後、愛しているとそう囁く彼の声をぼんやりと聞いているとき、ふと悟った。彼が自分を人ならざるものと知っていることも、それを知りながら屋敷に囲おうと着々と準備を進めていることも。

 好みのドレスに香り、宝石、ふとした瞬間に気になると零したもの、全て揃えられた部屋は彼女のために作られていた。

 世間の噂に全く興味はなかったが、隠さずに屋敷に出入りするようになった頃にはすれ違う屋敷のメイドたちはこちらに聞こえるように誰もが噂していた。


「旦那様はどうしたのかしら」

「仕事も手につかなくなって」

「一体何企んでいるのかしら」

「亡国の王候貴族の娘だとか」

「街で出会った娘と聞きましたが?」

「いいえ、卑しい娼婦でしょう」

「やだわ、はしたない」

「またこっちを見てる!」


 散り散りになっていったメイド達を横目に見ながら、その日貰った宝石のついた指輪を取りだして日に透かした。アルフィの赤髪と同じ色合いの美しいルビーの指輪だ。彼は自分が人間の常識に疎いのを知っていて、これを付き合いが始まってから半年の記念だと言った。しかし、アルフィとて流石に指輪を男から女に送ることが何を意味するのかくらいは知っていた。

 その時には既に腹には2つの命が宿っていて。彼の母と名乗る老けた女が仕事する彼を詰り、貴族の娘と今からでも結婚させようと、大量の釣書を屋敷に送り付けてきたが彼は頑として首を縦に降らなかった。


「祖父はあなた以外の女性を1回も受け入れずにずっと1人で暮らしていました」

「それは申し訳ないことをしたわね、1回でも会いに行けばよかったかしら」

「なんで会いに来なかったんですか?」


 思わず少し責めるような口調になってしまったが致し方ないことだろう。横を見るといつものようにアリアがいる。きっとこの話の半分も分かっていないだろうが、ニコニコと笑いながら隣にいてくれることが何よりも心を落ち着かせてくれる。


「あの人には悪いけれど、生まれたあの子たちが人間でよかったと心の底から思っていたの。私はきっとこの恋に飽きることは分かっていたから、あの人の人生にずっと寄り添うなんて無理だと思った。去るとき、あの人にはあの子たちさえいれば満足だと思っていたの」

「アルフィ…」

「私のことなんて気にせずにほかの女の子と結婚した方が絶対に幸せだったはずよ。人間の人生に寄り添えるのは人間なのだから」


 かつての思い出を思い出しているのか、床に視線を落とした彼女は静かに顔に手を添わせた。


「長い時が過ぎたのね、そう…あの子たちに子供ができるほど」

「ずっと思っていたんだが、さっきのことを踏まえて考えるとセシルはともかく、アリアもお前の孫ということか」

「そうよ、アリスも私の娘。孫がこんなに近くにいたのに気づかなかったなんてね」


 感慨深げな声音でぽつりと呟いた彼女は、寄り添う二人の子供とアネリを見比べてどこかさみしそうな笑みを浮かべた。

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