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「里長」
「ん?」
子供たちを箒に乗せ、飛び上がったレーナはふと後ろからの呼び掛けにくるりと振り向いた。声の主は里一番の問題児アルフィ、の弟子だ。
「僕、なんか変なものを見た気がして」
「さっきの子のこと?」
「いや、その前に…」
首を傾げたレーナに答えようとするも、言葉を唐突に切ったネルは口をつぐんでしまった。レーナが様子を見ていたのは、子どもたちが家に逃げ込んだところからだった。しかし、チェルシーに注目していたため子供たちのその前後の行動はあまり確認していない。チェルシーのことをあまり気にしていないのならば幸いだが、それ以外になにかあったのだろうか。心当たりもなく、首を傾げていると後ろからフェリスがひょこりと顔を出した。
「アリアとあの子が階段から落ちたときのこと?ネル、あの後からずっと様子がおかしいわ」
「あぁ…いや、僕の見間違いかもしれないからいいよ」
2人が階段から転がり落ちて、その顔を覆う布がわずかに捲れた瞬間。あの瞬間に確かにネルの目には彼の目が見えた。まずいと思った、魔法使いは同胞であっても目を合わせてはいけない。その目に宿る不思議な力は人、動物、そして同じ魔法使いさえも狂わせるからだ。だが、その瞬間に好奇心が勝り、布の下をのぞき込んでしまった。しかし、実際に見えたのは予想していた色と反対の色彩だった。夕焼けのような、橙色の優しい色をした瞳。その瞳は彼が魔法使いではないことを示していた。
「何か怖いものでも見てしまったの?」
本当はすべてを知っているのだろうか。この里に人間が入ってくれば里長が知らないはずがない。里に張られている巨大な結界は魔法使い、人、動物関係なく出入りする者の気配を術者に伝えるのだと今よりも幼いころに師匠から教わった。その術者こそレーナだ。知らないはずがない、なのにここで何も言わないのはきっとフェリスがいるからだろう。
フェリスは人に虐げられ、人を憎んで、その力を魔法の力に変えている。魔法は元々魔法使い自身が持つ力によって行使される不可思議な力の事だが、稀に持っている力以外から力を得られるものもいる。フェリスは人を憎む感情を力に変えているのだ。つまり、この衝撃的な情報を彼女の耳に入れてしまえば最後、彼女は感情の乱れによって力を制御できなくなってしまう可能性すらある。
「きっと気のせいだから気にしなくていいよ」
「あなた、もしかして私が理解できないと思って話さないの?」
「そんなわけないだろう。君が理解できないと思っていればむしろ話すよ」
「何よそれ、馬鹿にしているの?」
後ろから話しかけてくるフェリスをなんとか誤魔化そうとしたが、かえって火に油を注ぐことになったネルはレーナに助けを求めるようにしがみつく。
「おっと、あんまり動いたりしないでね?今日は調子が悪くてね、落ちても拾いに行けるかどうかわからないよ」
軽く放たれた恐ろしい言葉に、2人とも背筋を伸ばして安定した姿勢を取る。その様子を見て苦笑しながら前を見た。ネルがセシルの秘密に感づいたことは察したが、それはどうにもならないことだ。見られてしまっているのであれば、どうしようもない。
元々この場所は人間に居場所を奪われたもの達が寄り集まって出来た里。いかなる脅威からも脅かされることは無いと約束されているはずの場所だ。
ネルも2歳の時、人間に虐待されているところを通りかかったアルフィに偶然救われ、そのまま里に連れてこられた。そうして彼女の弟子となり、今ではだらしない師匠の世話を立派に焼くほどまでに成長した。しかし、2歳の彼が負った心の中の傷は簡単には癒えてはいないのだろう。
「大丈夫、どんな子でもこの里に来た以上私たちの仲間なんだ。時が経てば君もわかるだろう」
「人間なのに…」
「私は別にこの里に受け入れる子を魔法使いに限定しているわけじゃない。それに魔法使いだって全員が全員良い奴、てわけじゃないでしょ?それと一緒で人間にも良い奴とそうじゃないやつがいるだけ、それだけなんだ」
レーナの考えにネルはあまり納得出来なかった。下卑た笑い声を上げながらまだ小さかったネルを蹴り飛ばした大男の姿を思い出す。目を出さぬように不潔な布で顔を覆われ、その小さな身に余る暴力を受け止めていた日々。奴が外に出る時は檻の中に閉じ込められ、3日間飲まず食わずで過ごした日もあった。たまに食事を届けに来る女がいたが、そのうち来なくなった。あそこにいる間、優しさと呼べるものを受けたことは1度もなかった。生かされていたのだって、奴らの信じる神が子を殺すことを許さないからだった。
「君たちは人間にいい思い出がないだろうけど、もっと長く生きていけばそれだけじゃないってきっと気付く。君らの人生はまだこれからだ。きっといい人間にも悪い魔法使いにも出会う、もちろんその逆にも。君も師匠みたいにいつか、世界を旅してみるといい」
「…」
黙り込んでしまったネルに言い過ぎたか、と思って口をつぐむ。先ほどから置いてけぼりにされていると思われるフェリスはネルに隠れて見えない。もしかすると話を聞いていれば誰の話をしているかわかってしまったかもしれない。
「君たちにはまだ少し早かったかもしれないね。でもどの道、彼がここにいる以上は里の住人に変わりはないんだ。そのことは忘れないで」
気付けばネルとアルフィの家についていた。地面に降りると未だ何か考え込んでいるような少年はぼんやりとしながら箒から降りる。フェリスはしっかりとした足取りでそっと地面に足を下ろした。ハヴィが人間の街に降りているため、ここ数日はネルの家に泊まっているのだ。
「2人だけで大丈夫かい?」
「…あ、はい。ご飯はいつも僕が作っているので」
セシルのしっかりとした頷きから、日頃のアルフィの生活が察せられる。レーナが心の中で密かに声援を送っていると、フェリスは特に何も言わずに家の中に入っていった。
フェリスが無愛想なのはいつも通りだが、今回は話題がすこし繊細なものだった上に自分は仲間外れだったのだから面白くはないだろう。彼女をこれからなだめなければならないネルには申し訳ないが、里に来たばかりのフェリスに比べたら格段に柔らかい雰囲気になったものだ。彼女らの絆がどうか、種族だけで壊れぬようにと祈りながらレーナはその場を去った。




