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「おい、朝だぞ」
少し不機嫌な声と共に、頬をむにりと抓られた。痛みで一気に目覚める。
「いたっ、師匠!」
慌てて起き上がると、既によそ行きの服を着込んだ師匠が呆れた顔でベッドに座っている。時計を見ると昼時の少し前くらいだ。
「もう行っちゃうの?」
「あぁ、てかお前が寝すぎだ。今日は見逃すが、もう昼飯だぞ」
「えぇー」
がっくりと肩を落としたアリアの額をアネリは軽く指で弾いた。
「あいたっ」
「ほら、もう行くからな。飯は下に置いてあるからちゃんと食って、それから修行をサボるなよ」
涙目で額を抑えたまま頷くアリアの頭を一撫ですると、アネリはベッドのすぐ横にある窓を開けた。寝起きの目には少し刺激が強い光が目に容赦なく差し込んでくる。
アリアが声なき声を上げて悶えているうちに、アネリはその窓から外へ飛び出るとソファを呼び出して、それにゆったりと座りながら里の中心、長の住む大樹の元へと向かって飛んでいった。
ようやく目が慣れて、改めて窓の外を見ると既に師匠はいなくなっていた。少し寂しい気持ちを抱えながら食卓のある一階に降りると、リウが師匠の席に座りながらぼんやりと窓の外を眺めていた。アリアが席に着くと、こちらに顔を向けて、軽く手を挙げた。
「おはよう、リウ」
『おはよう、愛しいリア』
リウに食事は必要ないらしい。いつどこにいても変わらぬ姿でアリアの傍にいる。
挨拶が済むと、保存魔法の掛けられた食事に触る。泡のような薄い膜が弾けて、中から出来たてのフレンチトーストが現れた。
これは師匠が許可した人間が触った時のみ、解除される魔法だ。物を何百年も時を超えて保存できる魔法、と最初に習った時はなんだか壮大な魔法だと思ったが、師匠は使い捨ての包み紙のような使い方してる。アリアも一週間かけて習得したため、いまでは生活の一部に組み込まれた便利な魔法だ。
トーストを食べながら、リウに話しかける。
「師匠はどこに行くのかな」
『さあ、でもまた里長の招集じゃないかしら』
「最近、多いよね。2週間前にもあったよ」
里長は美しい黒髪を持ったレーナという魔女だ。彼女は500年間ずっと里を統治している。他の個性の強い魔法使いとは違い、特筆して過激なところや特殊な趣味も無いが、魔法の腕は里一番だ。
そんな彼女は月に数回、100歳以上の魔女を呼び出して会議を行う。大抵の議題は人間との諍いについて内容らしい。前に師匠に聞いた時は、まだ早いとはぐらかされた。
『何事も無いと良いわね』
「そうだね」
頷きながらトーストを口の中に頬張ると、じゅわりと甘さが染み出てくる。バターの風味と甘さがちょうど良い。
朝ご飯を終えたら基本的な魔法の復習から始める。いざと言う時に身を守るための攻撃魔法。結界を展開する防御魔法。治癒魔法はできないので怪我をした時はその時だ。
横からじっと様子を見つめているリウの感情は読み取れない。ふと、空を飛んでいく魔女の一人を見ると、アルフィだった。これから会議に向かうのだろう、派手な帽子を被り、重ねて付けられた豪華な飾りはこちらからも見えるくらいだ。いつもよりも意識が逸れた拍子に魔法で作った炎があらぬ方向へと飛んでいく。
「あっ」
『危なかったわね』
「誰もいなくてよかった」
少し周りの草を燃やすだけで消えていった炎に安心する。ここに師匠がいれば間髪入れずに怒鳴られていたことだろう。アリアは冷や汗を拭ってまた、火の玉を小さくコントロールする練習を始めた。
里長が招集をかけた場所に行くと、先に来た何人かの魔女や魔法使いが集まって話し合っていた。その話し合いの中心にいる黒髪の少女はこちらに気付くと、手招きしながら言った。
「アネリ、遅かったね」
「…すみません、弟子がなかなか起きなくて」
「アリアは元気?」
「元気だよ、なにせ常に元気に満ち溢れてるからな」
その報告に優しい笑みを浮かべた少女、もとい里長のレーナは輪の中心に視線を戻す。深刻な様子は無いが、全員が黒を基調とした服に身を包み、顔を布で覆い隠している光景は一見異様である。もちろん、アネリものその一員ではあるが。
「話し合いは始まったばかりだからね、ほらここに入りなよ」
「ありがとうございます」
レーナに促され、アネリは魔法使い達が囲んであれやこれやと意見を交わす輪に加わると同時に、思わず一歩引いてしまった。
そこには、この里に存在するはずの無い、存在してはならないものがいたからだ。