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「………」
冷たい牢の床に無造作に座り込む男が一人。革命を起こした格好のまま手錠をかけられて、その男は誰に向けるでもなく薄ら笑いを浮かべて天井に生える苔をぼんやりと眺めていた。牢屋は静かで、どこかで漏れ出した水が滴る音が響いているだけだった。
不意に金属が擦れる悲鳴のような音が響いて、こつこつと規律正しい厳格な足音が響いてきた。
「里への襲撃は失敗だ」
むすりとした顔の兵士は淡々と告げた。その様子を見てなんだかおかしくなってくる。
「ハハハ!まあ、そうだろうねぇ」
「貴様、何を笑っている?」
文明の発展していない人間の世界において、爆弾という兵器の登場はきっと世界を変える劇薬になりうるだろう。しかし、魔法使いに対しては別だ。彼らは奇跡と呼ばれる数々の魔法を操り、人間が必死に知恵を絞ったところで対抗する術などないに等しい。神に媚びず、権力に媚びることもない。そんな誇り高い生き物に人間が寄せ集めの兵と武器で勝とうなんて、千年早いことは男にはよくよくわかっていた。
まあ、もしかしたら…という気持ちが無かった訳ではないが、とにかくこの結果は男にとって意外なものでは無かったのだ。
今回提案したバクダンもきっとすぐに対応されたのだろう。ふと、なんとなく床を見ると、この世界に来てから薄紫色になった瞳が水たまりに反射している。
「王兵を動かして失敗するなど、到底許されることではない。処刑までの期日は短くなるだろう」
「さあ、どうかな」
「?」
男の手の内には宝石の原石のような緑の宝石が握られている。いつの間にか姿を現した宝石に怪訝な顔を向けながらを、鍵を開けて兵士が牢に入る。その瞬間、硝子が粉々に砕け散るような音が響いた。
「!?」
「ハハッ!」
狂気じみた笑い声とともに手の中で爆ぜた宝石を兵士に投げつける。ただの微塵となった石には何の力もなかったが、警戒した兵士は思わず目をつぶり、隙を晒してしまった。
「またな」
「っ、おいっ!」
男の愉快気な声に兵士がはっと目を開けると、目の前には誰もいなくなっていた。
「こんにちは。アリア、セシル、いるかい?」
控えめなノックに続いて、少しセシルより低めの少年の声が聞こえてきた。食卓でとっくに昼食を食べ終えて、暇そうに頬杖をついていたアリアがパッと顔を輝かせて飛び出していく。顔の半分が見えないのは不便だが、アリアは表裏が無いので口元を見れば今どんな気持ちを抱えているのかはすぐにわかった。
まだ椀に残っていたスープを飲み干すと、新しく仕入れた薬草とにらめっこしているアネリに一言断ってアリアを追う。
「やっと来たわね」
「セシル、おはよう。調子はどう?」
扉を開けると、そのすぐ横に3人がしゃがみこんでいた。ここに残ると決めたその日から早くも一週間が経つ。
あの避難所でほんの少し交流したネルは、フェリスを連れて毎日訪ねてくるようになった。フェリスは元々感情表現が薄いのに加え、顔にかかる布も他より少し長く、口元が角度によっては見える、と言った具合だ。会って挨拶をしても返事が返ってくることはほとんどない。声をかけて顔がこちらに向けられたのが分かれば良いくらいだ。
「とてもいいよ。ところで今は何をしてるの?」
「出てくるなりアリアが変なものがあるっていうからみんなで探してたんだよ」
よくよく見ると、常に歩きながらでも針を持って一心不乱に人形を作っているフェリスでさえ、その“変なもの”探しに加わっているようだ。
「変なもの?」
「うーん、なんか黒くてモヤっとしたのがいたんだよね〜」
「私たちには何も見えなかったのだけれど、アリアが言うならきっとそうね」
一週間、なんやかんやと言いながら毎日欠かさず遊びに来てることですっかり顔見知りとなったフェリスは、アリアには妙に甘い。セシルのことは突然現れた邪魔な存在だとすら思っていそうなほど、対応に温度差がある。
「もうここにはいないんじゃないか?そもそも、それ呪いとかじゃないだろうな?」
「うーん、いっしゅん見えただけだから分からなかった…」
早くも暗礁に乗り上げた変なもの探し隊は、早々に解散した。今日は近くの森に出かけて3人の魔法の練習を見学する予定だったはずだ。
「まぁ、アリアの見間違いじゃなければまたすぐ出てくるよ」
「うーん…」
まだ少し納得に行ってなさそうなアリアは、ふと隣を見上げた。そこには誰もおらず、ぼんやりとした様子で辺りを見渡した後に首を傾げてこちらに視線を戻す。アリアはこうして誰もいない空間にをぼんやりと見つめていたり、不意にあたりを見渡すことがときどきあった。
「またなんかいたのか?」
「ううん、リウがいないの」
聞きなれない名前に首を傾げる。まだ出会って一週間、この里で知らない人間がいるのは仕方ないが、この社交的な少女にはまだセシルの知らない友人がいたようだ。
「知らないのかい?アリアのいまじなりーふれんどだよ」
「?」
聞き慣れない単語にまた首を傾げた。
「アリア、あなたの一番の友達を紹介できないような男と一緒に暮らすのはやめた方がいいわ」
「タイミングがなかっただけかもしれないだろう?」
セシルの様子を見て、素早くアリアに向き直ったフェリスはその柔らかい頬を撫でながら優しく言う。呆れた様子でセシルの肩に手を回したネルはこちらを見ながら言った。
「リウはアリアにだけ見える女性だよ。アリアの傍にいつもいるらしいんだ。たまにどこかに向かっておしゃべりしてない?」
「見たことないと思う…」
「本当に?アリアの見えない友達は里でも有名なんだよ」
1週間のうちにそういう素振りを見たことはほとんどなかったが、どこかに向かって口を開きかけてはやめていることを何回か見てきたので少し納得する。
「本当はは早くセシルにしょうかいしたかったの。でもいなくなっちゃったの」
「いなくなった?」
心細そうな声で俯いたアリアは、自分の手を握りしめる。
「セシルが来て何日かしてからぜんぜん見かけないの。どこに行っちゃったんだろう…」
「やっぱり、あの子は追い出した方がいいわ。そうしたらリウも戻ってくるわよ」
「フェリス、君ずいぶんとセシルのことが嫌いみたいだな」
ネルが苦笑しながらこちらを見ている。セシルが傷ついたかもしれないと心配しているのだろう。正直に言って、アネリやアリアに迷惑をかけている自覚はあるし、この場所に長居するべきではないことも分かっているのだ。それでもこの無邪気な少女とずっと一緒にいたいと思ってしまう気持ちが心を揺らした。
フェリスの言葉にちくりと痛んだ心を無視して、うつむくと地面に張り付いてこちらを見上げる血走った目玉と視線が合った。




