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呪い屋処分――明治時代、近代化の一環として行われた霊能者狩りの亡霊に、警官・斉藤一が立ち向かう

作者: ごんぱち

呪い(まじない)屋処分』


一.


 日はすっかり落ち、宿場もとうに見えなくなり、僅かな月明かりが手元足元を照らすばかり。

 森の中の奥州街道を吹き抜ける初春の風はまだまだ冷たい。

 木藤出喜(いでよし)は、黙って歩く。三〇絡みの目鼻の小さい顔立ちで、人目を引く程に美しくも醜くもない。背は幾分小柄で、手には墨染めの軍手をはめている。

 その後には妻の留子と、門弟である日野助也、そして助也の背には七つになる出喜の子の鶴吉が負ぶわれている。

「……鶴吉は寝たか」

 振り向かずに、出喜は尋ねる。

「はい」

「すまん」

「旦那様?」

「先生?」

「この出喜の腕では、お前たちを連れて逃げる事は出来ん」

 出喜は懐から油紙の包みを取り出す。開くと、中には四寸四方の紙の束が出て来た。

 刹那、木々の間から、黒い洋装の男たちが七人現れた。ベルトに刀を吊っており、既に抜刀している。

「くっ!」

 助也も、懐から紙を出す。

 それは既に折られており、折り物――後に折紙と呼ばれる遊戯――の鶯の形をしていた。

 折り物は瞬時に本物のカワセミに姿を変えると、男たちに突進する。

 標的にされた男は、一歩踏み込んで紙一重でかわす。剣術で鍛え抜かれた動き。

「甘いっ!」

 カワセミは急激に向きを変えた。

 本物の鳥類の数倍はあるスピードで、男の眼球を貫こうとする。

「うわっ!」

 しかし。

 カワセミは、動きを止めた。

「ひゅぉっ!」

 隊長格と思しき男の刀が、カワセミを貫いていた。

 カワセミの動きを見極め、構えから溜め無し。踏み込みの鋭さと、左腕一本伸ばし切って放つ射程の長さ。一歩間違えば――否、仲間もろとも貫いていない事が不思議な速さと勢いを持つ突きだった。

 続く二度目の突きが助也の腕を貫く。

「うおあああっ!」

 助也は腕を押さえてうずくまる。

「う、うわあっ!」

 別方向から悲鳴が上がった。

 更に木々の間で包囲を固めていた男たちに、虎が襲いかかっていた。

 そして、その上空を、巨大な鷹に肩を掴まれた出喜が、飛び去って行った。周囲を飛び交う鳥が、狙撃の銃弾も全て受け止めていた。

「弟子と女房子供を見捨てて逃げるとは、見下げ果てたヤツですね」

 目を抉られそうになった男が、遠ざかっていく出喜を悔しげに見上げる。

「何であれ」

 隊長格の男は、血刀を拭って鞘に収めた。

「私たちは、また斬り損じた。それだけだ」


 江戸に程近い草加の番所を改装した詰め所に伝八が戻ってから四日後の夕暮れ。

 自室から出た伝八は廊下を歩き、二つ隣の、庭に面した部屋の黄ばんだ紙の貼られた障子を開ける。

 丁度、部屋の中で障子の方を向いていた鶴吉と目が合った。

 鶴吉は怯え引きつった顔で部屋の奥に座っている留子に駆け寄る。

「何の、御用でしょう」

 留子の声は震えている。

 伝八は表情一つ動かさずに言った。

「明日、お前たちを殺す」

 留子は一瞬呆気に取られた顔をしたが、手先、足先から震え始め、両目から涙をこぼし始める。

「お、お助け、下さっ……」

「自害しようなどと思うな。お前の影に仕込ませた使霊は、一呼吸の間もなくお前の身体を縛るからな」

 伝八はそれだけ言って、部屋から出る。

 障子に影を落とさぬよう、伝八は少し廊下を歩き、立ち止まって庭を眺める。梅の散った枝に、雀が一羽、二羽、飛んで来ては留まる。

 伝八は顔を向けずに目の端だけで雀を見つめる。縄張り争いの啼き合いのようだった。

 しばらく雀は啼きかわした後、もつれるようにぶつかりながら飛んで行った。


 行燈の明かりに照らされる自室で、伝八は文机の前の座布団に座り刀を抜く。

 刃紋こそ打ち粉の細かい傷でぼやけているが、刃先は研ぎたての鋭い荒さを保っている。

 伝八は柄を両手で握る。

 生き物なら何でも持ち合わせている魂を構成する気の流れが、手から柄を伝い、刀身へ流れ込み刃で凝集される。実体を持たない鬼、天狗、幽霊、幻、式の変化部分、それらは全て気によって触れる事が出来る。日本刀は正しく対霊武器だった。

 鬼の腕を斬ったのも、幽霊を調伏したのも、悪霊退散の儀式で剣を振るうのも、これ全て刀剣のこうした力による。

 刀なら幽霊を切れる。

 ひと昔前なら誰でも当たり前に持っていた知識は、呪い屋処分とそれに伴う情報操作によって失われつつある。

 霊力の類を持たない伝八の肉眼に、刃に凝集される気は見えていない。

「……助けに来るか、木藤?」

 しばらくの間、刀身を見つめていた伝八は、再び刀を鞘に戻す。

「一瀬隊長」

 廊下から、平七の声がした。

「晩飯を喰いに行くんですが、如何ですか」

「そうだな」

 伝八は明かりを吹き消し立ち上がった。


 居酒屋の醤油樽に腰掛け、伝八は部下四人と飯を食べる。

 芋の煮物と、小松菜のお浸し、それから、大根と白菜の漬け物。

「しかし、たまには牛鍋でも喰いたいもんですね」

 平七は、飯をかきこむ。

「私たちは表向き越後で謹慎中の身だ、のこのこ江戸に入る訳にもいかん」

 伝八は白菜の漬け物を食べる。

「隊長ぉ、もう江戸じゃないんですぜ、東京ってんでさぁ」

 巨漢の部下が、にやにやと笑う。

「……大した変わりもないだろう、長谷川」

 少々不機嫌そうな顔で、伝八は茶をすする。

「結構な違いだけど、でもそれはそれとして、言い間違えはするよね。まだ二月前に変わったばっかりだし」

 小柄な部下が、箸で芋を取ろうとして失敗している。

「そもそも、東京って名前が変だぜ。なんだよ、東の京って。じゃあ、西だったら西京か? 北だったら北京か?」

 顔に傷のある部下が笑う。

「清にそんな地名がありましたね。読みはベイジンだか何だか」

「あんのかよ!」

 伝八達が食事を続けていると、戸が開いて部下の一人が入って来た。

「隊長」

「なんだ、益田」

「交代の刻限です、そろそろお帰り下さい」

「動きはあったか」

 尋ねつつ、伝八は芋を食べる。

「いえ……何も」

「そうか」

 伝八は手を叩いて店員を呼ぶ。

「はい」

「酒を持って来てくれ」

「はーい」

「「「「「た、隊長!?」」」」」

 皆、腰を浮かせかける程に驚く。

 平七が他の客に聞こえないように小声で言う。

「だ、だって、今晩中に木藤が襲って来るかもって、警戒させたのは隊長ですよ?」

「隙はいくらでもあった。そこを狙わんのなら、もう狙わんさ」

 伝八は店員が持って来た銚子から猪口に酒を注ぎ、ぐっと飲み干す。

「私の奢りだ、存分にやれ」


 番所に戻った伝八達は、そのまま布団にくるまって雑魚寝をする。

 酔って眠っているせいか、いびきは大きい。

 障子を月明かりがぼうと照らし、時折吹く春の風が枝を揺する。

 伝八は刀を抱え目を閉じている。

 その顔に酔いの気配はない。

 飲んで見せた酒、あの銚子一本に入っていたのは、水だった。

 伝八は片目に呪符を当てたまま、じっと待つ。

 姿の分からぬ、殺気も伝わらぬ、来るとも知れない敵を、ただ動きの気配のみに意を払い待ち構える。

「式、か」

 新撰組で剣を振るっていた時代から、常に付きまとっていた。同輩が呪殺された事は一度や二度ではない。軍中法度にある奇矯、妖怪、不思議の禁止とは、法度自体を唱える事で怪異を言霊によって否定する防衛術の側面が強かった。

「……斬れば斬れる。人も霊も式も変わらん」

 声に出さず呟き、伝八はまた気配を読み始める。

 風の音が庭木を揺らし、天井裏を走るネズミのかさかさという足音がする。そのネズミが式でないという保証はない。しかし、迂闊に動けば警戒を悟られる。

 部下達の寝息、天井裏のネズミ、風の音、家鳴り、そして留子の寝息、鶴吉の寝言、拷問部屋で責められた後治療をされた助也の呻き声。

 ほんの僅かに開けた障子から見える空はまだ暗く、月明かりが一筋差し込んでいる。

 静かに、あくまで静かに呼吸を続け、気配を探り続ける。

 そして。

 東の空が白み始めた。


 町外れの処刑場の、思想犯用の板塀に囲まれた処刑場に網駕籠が運ばれる。

 そして、処刑場の少し凹んだ土の上に、猿轡を咬まされ、両手両足を縛られた留子と亀吉が下ろされる。

 刑吏用の返り血の染みだらけの古い着物を着た伝八が、留子の傍らに立つ。

 足音で気づいたのか、既に血の気の引き切った留子の表情は一層恐怖に歪み、恐らくは命乞いと思われる呻き声を出し始める。

 伝八は刀を抜いて、ゆっくり振り上げる。

 鞘走る刀の音に、留子は失禁し尿の臭いが漂い始める。

 伝八は刀を振り下ろした。

 留子の首が切断され、胴から噴き出す血に染められながら転がる。唇はしばらくの間ぴくぴくと動き続けていた。

 続いて、鶴吉の首も切り落とす。こちらは皮一枚残して断ち切られ、断面から血が噴き出し、たちまちのうちに土が真っ赤に染まった。

 伝八は懐紙で刀を拭う。

「女房子供まで本当に見捨てるとは、もう何も出来はしないでしょう」

 血を地面に吸い取らせていく首のない二つの死体を見ながら、刑吏姿の平七が言う。

「うむ」

 伝八は小さく頷いたが、それでも、周囲に視線を巡らせ続けていた。


 中央集権を推し進める明治政府は、私的な陰陽、呪術、魔術、霊能、気を操り「見えぬもの」を見る「霊術」を持つ者達から技術の強制接収・破壊を行った。

 後に霊的廃刀令とも称されるそれは、各地で抵抗を生んだが、全面的協力を行った土御門家、検非違使の時代から伝わる警察流の対霊技術、そして主導的立場にあった川路利良の策略により、結託する間もなく各個撃破された。

 内部で「まじない屋処分」と呼ばれたこの破壊は巧みに隠蔽され、主体も目的もぼかされた上で「廃仏毀釈運動」との名で後世に伝わる事となった。

 ほぼ同時期の一八七〇年に陰陽寮が解体されるに及び、明治政府は目に見えぬものの完全否定の立場を取るようになった。

 収集した技術の全ては、警察機構の管轄とされ、現代に至るまで改良されつつ使用される事となる。



二.


 東京警視庁の警視長室で、巡査の制服姿の伝八が杖を持ったまま敬礼する。

「――脚の具合はどうかね、藤田君」

 川路利良大警視は、鼻ヒゲを撫でる。熟年間近の、どことなく隙のない、風格のある男だった。

「多少違和感はありますが、まあ、名前を変えた時ほどではありません」

 一瀬伝八改め藤田五郎は、詰め襟の襟元を指先で揃える。

「はっはっは、頼もしいな。ま、名前の方は勘弁してくれたまえ、呪殺対策は万全にしておかんとな」

「はい」

「抜刀隊としての活躍見事だった」

 川路は椅子を立ち、木製のロッカーから細長い袋包みを二本取り出す。

 差し出された包みを、五郎は受け取る。

 中身はサーベルだった。僅かに抜いて刀身を眺める。

「鬼国丸国重を探し出し、サーベルに拵えさせた。名刀を一振り持つよりは鈍刀を二振り持てと言うが、名刀が二振りあるならそれに越したことはないだろう」

「これは……ありがとうございます」

「君たちには、密偵時代にも相当な世話になっておる。表向きの口実がなければ報償も与えられんのが、歯痒いぐらいだ」

「勿体ないお言葉です」

 五郎は深々と頭を下げる。

 その姿を川路は黙って見つめていたが、少し思い切った風に口を開いた。

「藤田君、まだ、呪い屋処分で討ち漏らした術師を、探しているそうだな」

「……死体が確認出来ていない者が七名程」

「呪い屋処分から八年。その間に破壊工作らしきものは皆無だ。それでも続ける気か?」

「私の任務は、呪い屋を斬れ、との事でしたので」

 五郎は即答した。


 昼休み、警視局近くの大衆食堂に五郎と平七は入る。

 五郎はサバの煮付けに味噌汁と飯、平七はうどんを食べる。

「――いやー、しかし、征西の戦が終わったってのに、なんだかまだ物騒ですね」

 平七はうどんをすする。

「士族の集会も抗議もなくなりませんし」

「斬りもせん刀を取り上げられる事に、何の抵抗があるのかと思うがな」

 皮肉っぽく笑って、五郎は味噌汁を飲む。

「あの、失礼ですが」

 二人が食事をしていると、一人の男が近付いて来た。和服姿でハンチングをかぶり、手には畳んだ紙と鉛筆を持っている。

「抜刀隊の藤田五郎さんで? 讀賣新聞の記者をしております――」

「話を聞きたければ、上を通せ」

 一気に残りの飯と味噌汁をかきこむと箸を置き、席を立つ。

「ちょっ、隊長!」

 慌ててうどんのつゆを飲み干し、平七も後に従う。

「待って下さいよ、藤田さん! 抜刀隊の英雄として、一つお話しを」

「それが人と話す態度か、恥を知れ」

 静かだが気迫のこもった五郎の言葉に、記者はそれ以上何も言えず、追いかけては来なかった。

「あれって、新聞とかいう?」

 ちらりと振り返りながら、平七が小声で尋ねる。

「瓦版屋や絵草紙と変わらん」

 五郎は杖をつきながら歩くが、一見したところ足取りに不自然さはない。

「そうなんですか? 難しい名前が付いてるもんだから、おれはてっきり政府の認めたもんだとばかり」

「最初はそう思ったがな。東京に戻って来るなり、家まで押しかけて来て征西戦争で撃たれた傷口を見せろとまで言って来た」

「……ぶっ」

「何がおかしい」

「だって、そうでしょう?」

 平七はくすくすと笑い出す。

「新撰組の頃から、闇討ちの暗殺ばっかりやってたおれ達が、瓦版に載って豪傑扱いですよ。全く、明治サマサマだ」

「傷の具合なんて知られたら、どうなるか」

 五郎は奥歯を噛みしめつつ、傷付いた方の足で地面を蹴る。

「隊長、呪い屋処分で逃がした呪い屋達の事、まだ気にしてるんですか?」

「狙うなら、今だろう」

「ははっ」

 平七は腰のサーベルに手を当てる。

「八年も経っている上に、恨む相手もはっきりしない呪い屋処分ですよ? 恨みの方も保ちませんて。大石内蔵助だって二年も待っちゃいなかったんですから」


 冷たい夜風の吹き抜ける長屋の間を、五郎は部下三名を連れて走る。全員、片目には呪符を宛がっている。

 どぶ板の上を走りつつも、足音を立てない。密偵として鍛えられた走りだった。

 程なく、五郎は突き当たりのどぶ泥の積み上げられた掃き溜めに辿り着く。

 そこには、何もなかった。

 ――否。

 呪符越しに見れば、ぼんやりとした人の形をしたものが浮かんでいるのが分かる。往生出来ていない悪霊だった。

 五郎は抜き打ちに斬り付ける。

 避ける間もなく、悪霊は両断されそのまま霧散する。

「お見事」

 眼鏡をかけた部下が唸る。

「もう足の怪我もすっかり良くなったみたいですね」

 平七は嬉しそうだった。

「ああ、踏み込みで響く事もなくなったな」

 頭の禿げた部下が、どぶ泥を棒で漁る。泥の中からは、人の死体が出て来た。

「田中残れ。すぐに回収に来る」

「お……お願いしますよ」

 頭の禿げた部下は、心配そうに死体を見る。

「化けて出られたら、困りますんで」

「今しがた悪霊を斬っただろうが」

「そりゃ、そうなんですけど……」

 頭の禿げた部下一人を見張りに残し、五郎達が長屋の路地から出て、交番へ向かう。

 交番の前にいた巡査が、五郎達を見るなり、駆け寄って来る。

「藤田さん!」

 巡査は汗だくだった。

「だ、大警視が、川路大警視が!」


「大警視!」

 五郎は大警視室に駆け込む。

「ん……藤田警部補」

 川路は自分の机に向かっていた。

「え? 暗殺されたのでは?」

「勝手に人を殺すなよ」

 笑って見せる川路の顔は、しかし青ざめている。

 五郎はふと、風が頬に当たるのに気づいた。窓のガラスが全て割れ落ちている。そして、壁という壁に、びっしりと無数の穴が開いており、本棚も置物も机も全てボロボロになっていた。

「間一髪だった」

 川路が立ち上がる。

 穴だらけになっていた椅子が、崩れ落ちた。

「鳥が一羽飛び込んで来てな。おかしい、と思って部屋から飛び出した直後にこれだ」

「式使い……?」

「恐らくは」

「申し訳ございません。この藤田、油断致しました」

 五郎はその場で土下座して頭を下げる。

「来ると予想していながら、このような」

「これだけの間動きがなく、しかも、君の足が治った後を敢えて狙うのだ。その式使いもまた、暗殺慣れをした男なのだろう」

「はい……」

「これだけの強さの式を一時に放てるのだ、さほど遠くから狙っている訳でもあるまい。君の狙いも絞り込めたのではないかな?」

 川路の声は恐怖に震えているが、しかし、冷静さは全く失っていない。

「……はい」

「討伐を頼む。それまで、わたしは逃げる」

 川路は悪戯っ子のように笑った。

「一度、フランスのパレ・ロワイヤルを見てみたくてな」



三.


「可能性としては、この会社で売っている紙が一番近い、と言えるね」

 丸メガネの鑑識課の巡査が、大判の封筒から分析結果を五郎に手渡す。

「双葉製紙店……」

 繊維の拡大模写の類似部分に朱墨でマーキングがしてある。

「紙は会社によって、使われているミツマタの配分が違ってね。繊維を見比べれば一応似ているかどうかは分かるんだ」

「なるほど……」

「けど、ね」

 巡査は苦笑いを浮かべる。

「指の先程の大きさしかない切れ端じゃあ、流石にあまり断言は出来ないよ?」

「動きを止めたら自爆して燃え尽きるように作ってあってな。残っているだけでもとんでもない幸運だ」

「どちらかと言うと、無宿者を片端から掴まえて調べ上げた方がマシだと思うね」

「そっちはもうやってる」

 五郎は答えて、分析結果の書類を封筒にしまった。


 五郎は、リストアップされた人名の一覧を一つ一つ確認していく。

 紙と縁の近さ、転居歴、戸籍の有無、居住地、現在の職業。

 部下と、密偵時代の人脈、情報屋、一般警察、博徒、的屋、自身の聞き込み。

 使える限りの情報源から集めた名前のリストを確認する。

 その膨大な量は、ただ目を通すだけでも時間がかかり、そして、その間にも東京の人間は入れ替わっていく。

 出喜を取り逃がしてから七年、時間さえ出来れば繰り返している作業だった。

 そして今、リストの八割近くが捜査範囲外に分類された。

「……常に、警視局を狙える位置、しかも、流れ者が目立たずに紛れられる場所、業種」

 硯で追加の墨を摺る。

「人足寄場、花街、博徒、的屋、芸人……」

 大きく伸びをして、書き込みをした地図を手に取る。

「今日は、花街辺りを、当たるか」

 椅子から立ち上がる。

「……ん」

 五郎は革靴を脱いで手に取る。

 薄くなった靴底が破れ、穴が開いていた。

「給料日前なんだが」

 小さくため息をついた。


「――この吉次ってお人は、もういなくなってしまわれましたな。目のこう、ぎょろっとした、腕っ節のそれはそれは弱いお人でなぁ」

 老齢の縫い子の女は、出喜の人相書きとリストを見ながら答える。

 遊女見習いの禿が茶を持って来る。七つ八つ程の目立たない目鼻立ちの子供で、人慣れしていないのか、五郎の気配に不穏を感じたのか、幾分怯えた様子だった。

「維新より後に出入りがあった人というと、ここに名前のある人ばかりですなぁ」

「そうか、ありがとう」

 返されたリストに、五郎は鉛筆でチェックを入れる。

「お探しの出喜というお人は、人相風体以外には、折り物が上手いという事しか分からないんですかな? 何をされていたお人で?」

「小細工師の類かとも思うが」

 五郎は平然と嘘を言い、リストをポケットに収める。

「……折り物の事がなければ、お一人、似た顔のお客様がおりましたな」

「折り物の事が、なければ?」

「お冨坊、どちらからおいでか、覚えていますな?」

「は、はい」

 先程茶を持って来た禿は、びくり、と、身体を震わせた。


 五郎と部下三名は、陸軍砲兵営舎の屋上に集まっていた。

 五郎は望遠鏡で寺の境内を見つめる。

「調べる中で、妙興寺にも行った事があったのですが……面目ない」

 平七は気まずそうな顔をする。

 寺の境内で掃除をしている寺男。顔に大きな火傷の痕があり、そして。

「――いや、見落とすのも道理か」

 五郎が呟く。

 寺男の手の指は右手も左手も、人差し指と親指が切断されていた。箒を持つのも難しいようで、ぎこちなく掃除を続けている。

「よし、斬るぞ」

 五郎は、屋上の出口に向かう。

「ですが隊長、あれでは四方式を折る事も出来ないのでは?」

 平七の言葉に、立ち止まり、振り返った。

「それがどうした」

 五郎は屋上の鉄扉のドアノブに手をかけようとした。

 瞬間。

 横飛びに飛んで、転がりつつ起き上がる。

 鉄扉にカラスが一羽、嘴から突っ込んでいた。

 カラスは鉄扉から嘴を引き抜き、ホバリングを始める。

「式だああっ!」

 平七は刀を抜く。

 続いて、部下二人も刀を抜く。

『下がっていろ、三下』

 カラスが出喜の声で言う。

『俺が貰うのは、藤田五郎の首ただ一つ』

 屋上の全周から、ヤマネコが姿を現す。

『ずっと見ていた。留子と鶴吉を殺した、お前の首――』

 五郎の左片手一本突きが、カラスを貫く。カラスは鶯の折紙に戻り、一瞬で燃え尽きた。

「あまり喋ると呼吸が乱れる」

 呟いて、五郎は一番突出していたヤマネコの式の首を切り飛ばした。


 五郎は次々と襲い来るヤマネコを、最小限の刀の振りで切り落としていく。

 式たちは本物のヤマネコよりも遙かに早く、ほぼ同時に襲って来る。

 しかし五郎は足さばきによって距離を取り、ほんの僅かに突出した式を迎撃する。一番肉薄した敵から倒していけば、完全な飽和攻撃でない限りいつまででも迎撃が続けられる道理だった。

「あの手で、どうやってっ、こんな!」

 平七が刀を振るが、ヤマネコに避けられ足を引っ掻かれる。制服のズボンごと、足の肉がざっくりとえぐれた。

「……作り置き、か」

 五郎はまた一匹ヤマネコを斬る。

『ご名答』

 五郎の刀を振り抜いた背後から、別のヤマネコが飛びかかる。大きく踏み込んで辛うじて急所をかわした五郎の肩が抉られる。

『数千の式を折り置き、網にかからんよう、顔を焼き指を落とし、待ち続けた。甲斐はあった』

 部下の喉笛を噛みちぎりかけているヤマネコを突きで倒し、五郎はまた構えに戻る。突き以上に引きが素早く、次撃を常に考えた構えだった。

『いつまで保つかな』

 皇城から黒い雲のようなものが浮かび上がった。

「皇城の森にっ!?」

 血まみれになった平七が叫ぶ。

 カラスや雀や鳩を始めとした、様々な鳥の式が群れになって飛んで来る。

 数が圧倒的過ぎる。とても刀で切り払える量ではない。

 その時。

 屋上の扉が開くなり、陸軍の兵士たちが三〇名、一気に出て来た。

「撃ぇぇぇええ!」

 兵士たちは小銃を構え、一斉射撃をする。

 呪の仕込まれた銃弾は式達を貫くと四散し、紙に戻していく。

「密偵上がりの私が、陸軍や土御門程度、動かせんと思ったか?」

 五郎は大きく踏み込み、逃げようとするヤマネコの式の背から口まで貫く。

「式共は任せた、警察は本体を叩く」

 兵士らの指揮を執る隊長に言い捨て、五郎達は屋上から出て行った。


 屋敷と官庁の建物の並ぶ通りを走り抜け、警官隊に包囲された妙興寺に辿り着く。

 五郎は門をくぐり境内に飛び込んだ。

「ひっ、あ、あれは!」

 遅れて到着した平七が、怯えた声を上げる。

「鬼……?」

 部下の表情にも動揺が浮かぶ。

 境内には炎に包まれた人間の背丈ほどもある巨大な鬼の首が浮かんでいた。

「どんな姿だろうが」

 五郎は刀を正眼に構える。

「式は式だ」

 鬼の首が炎を曳きながら突進してくる。

 五郎は突きを繰り出すが、鬼の首は紙一重かわし、方向転換して平七の方へ向かう。

「来たっ!」

 平七が突こうとするが、鬼の首は切っ先をかわし、そのまま通りぬける。

「あ……が、あ……」

 鬼の首が通り過ぎた後。

 平七の身体は顔と上半身の半分が抉り取られ、その場に崩れ落ちた。

「平七いいい!」

 部下二人が斬りかかるが、刀を振り上げた時には既に鬼の首は遙か後方へ通り抜けていた。胴体を丸ごと抉られ、部下二人も即死する。

「早いな……間合いの取り方も堂に入っている」

 五郎は呟いて、鬼の首に対峙する。

 鬼の首は高速で突進する。

 五郎は踏み込むなり、添える右手を外し左手一本を伸ばす。左片手一本突き。

 一瞬前、鬼の首は、更に速度を上げた。今までの速さが上限ではなかった。ただ五郎を欺く為、突きの間合いをずらす為に速度を落として見せていた。

 五郎は。

 更に、二歩、足を継いだ。

 一歩で下がり、一歩で踏み直す。

 変じる点を三つ持つ突き。三段突き。

 五郎は鬼の首に、間合いと速さを完全に合わせる。

 刀は真っ直ぐ鬼の口を貫いた。

 同時に、ガラスの割れる音がした。

 鬼の口は、瓶を一本含んでいた。五郎の突きで貫かれ割れた瓶から液体が引火しながら飛び散る。

 五郎の全身が燃え上がる。瞬時に、地面に転がり、消す。

 くすぶる制服をそのままに、五郎は起き上がって走り、本堂に飛び込む。

 そしてそのまま、本堂の釈迦三尊像の前に座っていた出喜の背に刀を突き立てた。

「ふ、ふふっ」

 表情の分からぬ程に火傷をした顔で、出喜は笑い声を漏らす。

「俺の、勝ち、だ」

 無言で五郎はもう一度出喜の胸を突き刺す。

「日本中の……霊術者が討てなかった、川路利良、を、討ったのは……四方式だ」

 五郎は刀を振り下ろした。

 出喜の首が飛び、釈迦の膝に当たって床に転がった。

「藤田さん!」

 警察隊の小太りの隊長が駆け込んで来る。

「やりましたな! 外をご覧下さい、鳥の式がどんどん紙に戻って行きます! これで、呪い屋処分の亡霊もさっぱり片付いたというもの」

「大警視と連絡を取れ」

 刀を拭いながら、五郎は言う。

「はい、それはもちろん」

「急げ!」

「ははは、郵便船の出航までは一週間もありますよ。手紙に添える土産を選ぶのも充分な時間だ」

 隊長が大きな腹を揺すって笑う。

「……まあ」

 五郎は刀を鞘に収めた。

「人斬りとしての仕事は、果たした、か」

 転がっている出喜と目が合い、五郎は軽く睨み返した。



四.


 ヨーロッパへ向かう船上、甲板で川路が部下達と海を眺める。

「む……」

「どうされました? 大警視」

 部下の一人が尋ねる。

「来年度予算に、品目を一つ入れ忘れていた気がしてな」

「ははは、仕事の虫ですね、大警視は」

「離れると気になるものだ」

 川路は照れたように笑う。

 それから、西の方を向く。

「……藤田君は、どうしているかな」

「藤田、というと、藤田五郎ですか? 十年戦争の抜刀隊の英雄の」

「まあそれ以外にも色々と、手間をかけさせた」

 その時。

 それが飛んで来た。

 弾丸型のペンほどの大きさの物体。

 音速を超えるそれを、視認出来た者はいなかった。

 それは川路の腹を貫いた。

「ぬ……これ、は」

「大警視!」

「早く医務室へ!」

 その物体は、そのまま――数キロ進んで海に落ちた。同時に、折りかけの紙飛行機のような姿に戻り、ゆっくりと波間に沈んで行った。


 秋。

 客の置き忘れの讀賣新聞を、禿のお冨が読む。

「おや、お冨坊、そんなに難しい字が読めたかね?」

 遊女の一人がからかうように声をかける。

「お冨坊のおとっつぁんが、西南の戦の負け側だったんだってよ」

 別の遊女が言う。

「じゃあ、世が世なら華族様だね」

 皆、笑う。

 お冨は顔を赤らめて、新聞を持ったまま部屋に戻ってしまった。

 禿達の部屋に戻ったお冨は、自分の私物を入れてある長持を開ける。

 中には、びっしりと本が入っていた。

 和書だけではなく、洋書まである。

 お冨は中から一冊の本を手に取る。手垢に汚れた手書きの私製本だった。

 それから、文机に新聞を置くと、まん中に筆で文字を書いて少し置いて、ハサミで正方形に切り直す。

 完全な正方形になったのを確認してから、本を開く。中身は、折り物の折り方だった。

 ざっと折り方を見た後、お冨は正方形にした新聞紙を折り始める。

 正確で無駄のない折り筋で、瞬く間に鶴が折り上がる。と。

 折り物は、掌に載りそうな大きさの、小さな鶴になり、部屋の中を飛び始めた。

「えへへ」

 嬉しそうにお冨は鶴を眺める。

「……でも、おじちゃんの作ったのの方が、よく動いたなぁ」

 本を閉じる。

「おじちゃん、また来てくれないかな」

 鶴は折り物に戻り、ひらひらと畳の上に落ちた。

「頼まれたろけっとだって、作ったし、ちゃんと当てたのに……もっと、上手くならないとダメなのかな?」

 お冨は切り抜かれた新聞から、また紙を取ろうと、見出しの上にハサミを当てた。そこに書かれた「川路大警視死去」の文字に、さほどの興味を払う事もなく。


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