音楽祭 4
国王様、王妃様はすでにお着きになっておられるとのことだった。
国王様と王妃様がいらっしゃる貴賓室にはエイリオス様達もご一緒されていらっしゃるということで、説明を繰り返すという手間は省けそうだった。
しかし、演奏が終わった後でならばまだしも、演奏会の最中に、僕が貴賓室などに伺っても良いものだろうか。
たしかに、ルルーウィルリ様は一国の、もしくは種族の姫君であらせられるのだし、その従者の方を待たせるというのは忍びないのだけれど、ここは従っていただくしかない。ナセリア様の演奏を楽しみにしていらっしゃるだろうご家族に、余計な、いや、他の事でいらぬ心労をお掛けしてしまうかもしれないという事態は避けたい。
それが正しいのかだおうかは全く分からなかったけれど、僕は客席の後ろの方へひっそりと向かうつもりだった。
「ユースティア殿」
しかし、ルルーウィルリ様とリンデンブルムさんと一緒に戻った時点で、ひっそりと、とか、目立たずに、など不可能な話だった。
「そちらのお二方は‥‥‥」
案の定、護衛警戒を務めていらっしゃる騎士の方に警戒の目を向けられる。ルルーウィルリ様は女の子の姿をしていらっしゃるけれど、服の後ろからはエメラルドのように輝く綺麗な尻尾と、両方の耳の後ろ辺りには誤魔化しようのない––そもそも誤魔化すおつもりもないのだろう––輝く立派な金色の角が生えていらっしゃる。
「説明するとややこしくなるのですが‥‥‥」
まさか、こちらにおわすお方は竜の王国からいらした姫君で、こちらを害されるおつもりはなく、国王様との謁見を求めていらっしゃいますと、馬鹿正直に説明しても、余計に混乱させてしまうことだろう。
一般には知られていない、竜の王国の姫君と言われても信用はされないだろうし、かといって、ここで形態を変化していただくわけにもいかない。余計な混乱が引き起こされるだろうことは明らかだ。
「面倒じゃの。こ奴らを黙らせれば良いのか?」
「わーっ! お待ちください、ルルーウィルリ様。ここは私に任せてはいただけないでしょうか」
あれこれと迷っている時間はない。そんなことをしていれば、ナセリア様の演奏に間に合わなくなってしまう。
おそらくは、理解してはいただけないのだろうなと思いながらも、僕は正直にルルーウィルリ様とリンデンブルムさんの事をお話しした。
「はあ……、しかし、ユースティア殿もご存じの事と思いますが‥‥‥」
何とかルルーウィルリ様が異国のお姫様なのだということは理解していただけたのだけれど、やはり、疑うではないけれど信じられないといったお顔をされてしまった。
無理もないことだし、仕方のないことだとは思うけれど、今は納得していただかなけれぼ、時間が無くなってしまう。
「全ての責任は私が受け持ちます。一切の被害は出さない事をお約束いたしますので、どうか、この場は通らせてはいただけないでしょうか」
僕に出来ることと言えば、その場で膝をつき、深く頭を下げることだけだった。
「ユースティア、何しているの。お姉様の演奏が始まってしまうわよ」
音楽ホールの窓から、待ちなさい、フィリエ、という声が聞こえたかと思うと、建物の、おそらくはあの間取りだと貴賓室のある辺りの窓から、フィリエ様が、文字通り飛び出していらした。
「まったく、何をして‥‥‥」
フィリエ様の視線が僕の後ろにいらっしゃるルルーウィルリ様とリンデンブルムさんに向けられる。
フィリエ様の視線とルルーウィルリ様の視線が交錯する。
「ユースティア。まさか、お姉様の演奏の前にナンパしてきたんじゃないでしょうね?」
「ユースティア。この者がお主の言っておった大切な者かの?」
ナンパなどであるはずもないし、けれどそれをフィリエ様に説明するには今回の事を説明しなくてはならないわけで、心配を悔過ないようにと連絡してくれた方の意図を無視することになってしまう。
フィリエ様のことはもちろん大切なのだけれど、今から演奏なさるのはナセリア様で、しかし、フィリエ様を大切ではないとは言うことは出来ないし‥‥‥。
「‥‥‥ふーん。さっきまでより空気が緩んでいるみたいね。良かったわ」
フィリエ様は周囲の様子を軽く見回され、何か納得されたように頷かれた。
「客席の方にいないかとユースティアの事を探していたのだけれど、いなかったのは、あなた達が原因だったのね」
フィリエ様はなおも何か言いたそうにされていたけれど、ナセリア様の演奏直前だからか、その言葉を飲み込まれたようだった。
「そのことは後でゆっくり聞くとして、とりあえず、今はお姉様の演奏を聴きに行きましょ」
フィリエ様は僕の手を握られると、ルルーウィルリ様の方を振り向かれて、
「あなた達も逃げないようにあたしたちのところへ来なさいよ。お姉様の演奏を聴くのに、余計なことに気を遣っていたくないし」
どうでもいい風ではなく、気分を害していることを隠そうともされずにそうおっしゃられた。
「何じゃと‥‥‥」
「姫様。一先ずは落ち着かれて下さい」
ぴくりと眉を動かされたルルーウィルリ様をリンデンブルムさんが窘められる。
ルルーウィルリ様は鼻を鳴らされた後、黙ってフィリエ様の後ろについて、貴賓室と思われる部屋の窓まで辿り着いたのだけれど、
「フィリエ」
「うっ、お母様‥‥‥」
恐ろしい笑顔のクローディア様が立ち上がっておられ、フィリエ様と、それから僕へと視線が映り、最後にルルーウィルリ様達の方へと視線を向けられた。
「もう時間がありませんから、皆、はやく入りなさい。後のことはナセリアの演奏が終わってからです」
クローディア様の迫力に逆らえるような方は、ルルーウィルリ様とリンデンブルムさんを含めてもいらっしゃらず、僕たちは音を立てないように窓から身体を滑り込ませた。
幸いなことに、直前の演奏者の方が丁度終えられたところだったらしく、鳴り響く喝采の音に隠されて、こちらの声は届かなかったようだ。
僕たちは1列になって、貴賓席の前面に並ぶ。
流石に1番良い席だけのことはあり、ナセリア様のお姿がとてもよく見えた。
紺と白のドレスを纏ったナセリア様は、誰もいなくなった舞台の上を、ただ光に照らされながら、ヴァイオリンを持ってゆっくりと歩いて出てこられると、真ん中に進み出られて綺麗なお辞儀をされた。
ナセリア様は僕たちのいる貴賓席の方を見上げられ、一瞬、僕と目が合ったかと思うと、わずかに頬を紅潮させられて、口元を綻ばせられた。
客席から大きな、大きな拍手が沸き上がり、僕もそれに負けないように強く両手を叩いた。
拍手が止むと、静かな空間にヴァイオリンの調べが奏でられ始めた。
澄んだ柔らかな、いたわるような、優しい旋律は、あっという間にホール全体を包み込んだ。
音楽のことは詳しく分からないけれど、今までナセリア様がなさっていた練習のときよりも、それは暖かく僕の胸の内に広がってきた。
ナセリア様から目を離すことが出来なかったけれど、きっとほかの方も同じように感じられていることだろう。
再び、さらに大きな拍手がナセリア様を包み込むまで、僕たちは、僕はナセリア様の奏でる調べにじっと耳を澄ませていた。




