引き返す音楽祭
「あなたのことは精霊たちの噂で知っていました。急に現れたのだと」
無駄な体力や魔力を使うことを避け、焦ってもどうしようもなさそうだったし、一先ずは情報の収集をしなければ何事も始まらないと思い、僕は竜の王国から来たのだというリンデンブルムさんの話に耳を傾けていた。
彼ら––竜に性別というものがあるのかどうかは知らないけれど––の話を聞く限りでは、この世界には精霊というものが存在していて、それは世界中どこにでもいるのだという。
そんな精霊たちの噂が竜の皆さんの耳に届くまでに距離の割には時間はかからず、ひと目見ようと飛んでこられたらしかった。
「その精霊とおっしゃる方達とも、私はお会いしたことはないと思うのですが‥‥‥」
「まあ、奴らは人目につくのを避ける傾向があるからの。知られずに仕事をするものです、と言っておるのを聞いたことがある」
ということは、竜の姫であらせられるルルーウィルリ様はその精霊とおっしゃる方と意思の疎通が出来るということなのだろう。
縫い目の見当たらない、どのように縫製されているのか分からない、見た目だけは肩から先がむき出しのシャツと‥‥‥
あれ、やっぱり僕は夢を見ているのだろうか。
ルルーウィルリ様が着ていらっしゃる衣服の裾からはエメラルドのように綺麗な尻尾が見えている。
「あの、ルルーウィルリ様」
「何じゃ? 何でも言うてみい」
リンデンブルムさんの頭部に座られているルルーウィルリ様は、足をぶらつかせられながら、屈託のない笑顔を見せられている。
もしかしたらこれが竜の皆さんの正装なのかもしれないけれど、女の子の嗜みとして––実年齢は分からないけれど––もう少し恥じらいを持つべきではないのだろうか。
しかし、もしこれが正装なのだとしたら、尋ねるのは失礼に当たるかもしれない。
尋ねかけた僕は1度口を噤み、再び口を開いた。
「‥‥‥突然のことで混乱しているのですが、1つ1つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「良かろう。我に答えられることならば何でも答えようぞ」
少し得意げにルルーウィルリ様は、衣服の上からでも多少は膨らんでいることのわかるお胸を張られた。
「では初めに、創成教という組織をおつくりになった理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
なぜ僕を攫うような真似をされるのか?
竜王国とは何なのか?
形態が変化したのはそういう種族だからなのか?
竜という種族に関する様々な疑問。
これは前もって計画されていたのか、話は通っているのか、このように人を連れてゆくことはよくあることなのかといった、人間、もしくはその他の種族とのかかわりに関する疑問。
聞きたいことはあるのだけれど、どれから尋ねたらよいものだろうかと混乱しているのか、上手く話すことが出来ない。
僕が最初にした質問は、結局、自分の境遇に関することではなく、ナセリア様達がお知りになりたいだろうこと、リーベルフィアに必要な情報だった。
「何か疑問でもあるのかの?」
疑問というか、わざわざ僕を攫うためにそんなことをわざわざする必要があるのかと思っただけだ。
僕を連れ去るだけならば、先程のように無理やり掴んで連れてきてしまえばいいだけではないのだろうか。
いや、もちろん僕も抵抗はするだろうけれど、現にこうして攫われてしまっているわけだし。もちろん、帰ることも出来そうな雰囲気なので、出来るならばナセリア様の演奏に間に合うように帰りたいものだけれど。
「だって、そっちの方が格好良かろう? それに、そなたの事を調べるのに、あまり目立ちたくもなかったしの」
じゃあ、感情の収集とか、負の魔力がどうたら言っていたのは。
「そなたとコミュニケーションをとるためじゃな。やはり違う種族と対話をするには、そなたらの事を知らんとならんしな。それにおぬしらの使う魔法と、我等の使う魔法とでは少しばかり違うようだからの。その辺も気になっておったし、まあ、便宜的にそう呼んでいただけで、大した意味はない」
「それも格好良さそうだったから、という理由ですか?」
うむ、とルルーウィルリ様は頷かれた。
相手は圧倒的に僕よりも強いわけだし、ここで怒るのは賢い行動だとは言えない。それに、僕がここで叫んだところで、今更、起こってしまった出来事は変えられるはずもない。
「どうした? 頭でも痛いのか? 先程からずっと手で押さえておるが」
僕は深呼吸を1つして、気持ちを落ち着かせる。
大丈夫。太陽の位置から考えて、今から戻ったのならば十分にナセリア様の演奏に間に合うはずだ。ナセリア様の出番は最後なのだとおっしゃっていたから。
「では、もう1つお聞かせください。僕を連れて、その竜王国へ行き、その後どうされるおつもりだったのですか?」
「まあ、子作りじゃな」
飲み物を飲んでいなくて良かった。
僕は心底そう思った。
「子孫は大事じゃぞ。我等も長くは生きるが、永遠ではないからの。もちろん、同じ竜の誰かと交わっても良いのじゃが、他の種族の優秀な遺伝子を合わせれば、より強い子が出来るのではないかとな。それに、そなたは、我が今までに見た人間の中でも、容姿もなかなかに優れておる」
じっと僕を見つめるその瞳は、ご自分の判断を全く疑ってはいらっしゃらないお顔だ。
「‥‥‥人間の感情を理解されたいとおっしゃるのでしたら、私の話も少しは聞いていただけますでしょうか?」
ルルーウィルリ様が、話してみい、とでもいうように顎をしゃくられるので、僕は深くお礼に頭を下げると、
「これから、私のとても大切な方が音楽を演奏なさるのですが、私はそれを聴くために先程の場へ戻りたいのです。そして、ルルーウィルリ様。よろしければご一緒にその演奏をお聞きしてはいただけないでしょうか。あの場には、その、人間の感情もおおいに集まっていることと存じます」
「つまり、その演奏とやらを聴けば、そなたは我が国へ来て、我と子作りをするという事じゃな?」
どうしても本能の方が優先されるらしい、この竜という種族の方は。
「それは、人間でなければならないのですか?」
「うむ。それは分からぬが、ここ最近、最も強力な魔力を感じたのがお主、つまりは人間だったのでな」
このルルーウィルリ様も女の子、いや、女性なのだろうから、最近とはいつごろまでの事ですか、などとは口が裂けても聞くことは出来なかった。
それで、もし、千年とか、万年とか言われたら、一体、どうしたら良いのか。
「そうさな、ついこの前、一瞬だけ、何か別の、この世界のものではない何かを感じたのじゃが、それ以降は全く感じられなくての。面白そうなおもちゃじゃろうかと思ったことは否定はせんが、理由が何であれ、興味を惹かれたことは事実だったでの。まあ、だいたい1年ほど前の事かの」
その時の魔力残滓(と呼ばれる何かを感じられたらしい)を辿って、僕まで行き着かれたというわけらしかった。なんだかよくわからない話だったけれど、思い当たる節があるとすれば、あの、どうやったのか分からない転移の魔法の事だろう。
「そんなわけ––、あっと、あれじゃったな」
竜王国へ向かっていた時よりも速い飛行だったのか、音楽ホールが見えてきたのは、存外早かった。
「ルルーウィルリ様。どうか、いらっしゃる方を怖がらせるようなことはなさらないでください。こうして、お話させていただければ、お話は出来る方だと分かるのですが、如何せん、私たち人間という生き物は、まず容姿から入るものですから」
心得ましたと、不可視の魔法と変身のような魔法で、空中で姿をお変えになったリンデンブルムさんの背中から飛び立ちつつ、ナセリア様に念話を送る。
(ナセリア様)
(ユースティア! ‥‥‥っ、無事で何よりです)
どうやら音楽祭の方は一時中断と、長めの休憩になっていたらしい。
そうならないように僕が出て行ったのだけれど、どうやら結局ご迷惑をおかけしてしまったようで、もはや謝るよりほかにない。
「とりあえず、私ではなく、この国の国王様のところへお連れいたしますので、そちらでお話くださいますようお願いいたします」